第6話 寿観21年春・三ツ矢焔との出会い(3)

 焔が居間から出ると、僕は机に突っ伏した。そして、耳をそばだてた。

 父と焔の声がした。

「大和と何を話したんだい?」

「自己紹介した程度です。大和さんは聞き上手な方ですね」

 焔のお世辞に父は馬鹿みたいに喜んだ声を上げた。挙句に、また来てほしいと無遠慮に言った。焔は曖昧な相槌を打った。父をまた嫌いになった。

 その時、焔は聞いたことも無い明るい声を上げた。

「在の用はもう済んだ?」

 焔よりも父よりも低く、独特の甘さがある声が応えた。

「ええ。もう大丈夫よ」

 僕はこの時、初めて在の声を知った。焔と違って絶対に女とは聞き間違えない男の声。遠くから眺めたことのある「お人形さんみたい」な彼からは想像できない生々しい男の声。

 生理的な嫌悪を覚えていると、焔が僕に対してよりも気楽な調子で提案した。

「じゃあ、天理ラーメン食べに行こうぜ」

「ラーメンなんて焔は食べ切れないでしょう」

「だから、在といる時に食べるんだよ。在なら分けてくれるだろ」

「ああ、そういうこと。なら、行きましょうか。天理市に行けばいいのかしら」

 父が村近くにあるラーメン屋を教えた。そして、二人は家を後にした。

 僕はこの日から引き籠ることを止めた。

 といっても、社会復帰はしなかった。ただ、専業主夫じみたことをやり出した。

 鬱病の治療も前向きに取り組み、生活を整えた。

 村外に一人で出ることは未だできなかった。父と一緒に村外に出ても、相変わらず行ける場所は限られていた。

 鬱病を患ってから、商品が多く並んだり、人が多くいたり、騒がしかったりする場所には行けなくなっていた。これは今もなお続いている症状の一つだ。

 社会復帰せず、家の中で家事しかしない状況でも僕や家族や村民は特に焦らなかった。この村で僕に求められている能力はその程度のものだった。それに、僕が何をしようとも、来年――三十年三月に僕の状況が変わることは決まっていた。

 そんな中、社会復帰する切欠になることが起こった。

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