第3話 薬師神子在を思い返す

 横隔膜の震えは止まる所か、激しさを増した。別のことを考えようと、目の前の屍に集中した。

 彼女はやはり屍であることが惜しくなる程の美貌だった。例え瓜二つの男の顔が浮かんでもなお美しかった。

 いや、元々、薬師神子在という男も美しいのだ。

 匣織市に住んでいた時には会ったことはなかったが、煤谷村では見かけることはあった。裏鍛鍛冶屋の刀匠である裏鍛直正なおまさが彼の剣鉈を誂えているので、幾度か来たことがあったのだ。

 二代目組長で在の父である淳が存命の時は、彼に寄り添うように在は来ていた。無論、彼ら二人だけではなかった。蛇蔵へびくら高忍たかのぶという父の幼馴染で、長い金髪の三つ編みとスプリットタンが特徴の男も必ずいた。彼に加えて、あと二人は必ず連れていた。一ノ宮が来た時もあった。

 煤谷村の中心である裏鍛家の当主が初代組長に惚れこんでいることもあって、村全体で桜刃組を好意的にみていた。特に女性陣は在の美貌に見惚れて、覗き見ては楽しんでいた。

「まるでお人形さんみたいやねえ」

 彼女達は黄色い声でそんな風に彼を持て囃した。

 整った顔や白い肌や漆黒の髪を持ち、背難くてモデル体型であることでそう言っていたのだろう。だけども、僕は同じ言葉を違う意味で思っていた。

 在はいつも無表情だった。僕と直接対面することは無かったが、何度も相手をした僕の父に対してすらその頃は必要最低限の言葉しか口にしなかったらしい。

 自己主張も無いが、誰かの機嫌を窺っているという訳でも無いようだった。ただ、その場に存在している。魂があるのかすら怪しい程の静けさを保っていた。

 だから、嫌いでは無かった。

 僕は基本的に男が嫌いだ。煩くて粗野で、馬鹿のくせに傲慢で、自分だけが正しいと思っていて、体も中身も硬くて威圧的で醜くて臭くて大嫌いだ。

 だから、「お人形さんみたい」な在は嫌いでは無かった。好きでも無かったが。

 嗚呼、嫌いになりかけたことはあった。

 二代目組長が死んだ年の――二十一年の春、在の剣鉈のスペアが無くなり、煤谷村を訪れた時のことだ。今から八年も前のことだ。

 当時、僕は自室から出られず、直接彼を見ることはかなわなかった。しかし、父を含めた村民達が騒ぎ立てた為、嫌でも詳細を知ることになった。

 三代目組長となった在は以前とは別人のような可憐な笑みを振りまいた。あまつさえ、村民達を虜にする行動をとった。

 在が一緒に来ていた三ツ矢みつやほむらを伴って車に向かう時、偶然近くでキャッチボールをしていた少年が暴投した。硬球が在の顔に当たりそうになったが、彼は首を曲げて交わした。硬球はそのまま近くの茂みに落ちたそうだ。在はわざわざ拾い、両手で包み込んで歩いて少年に手渡したらしい。唖然とする少年を見て、焔が「投げて返せばよかったのに」というようなことを在に言うと、在は「ボールを投げたことが無いから、ちゃんと返せるか分からない」と応えた。そのやりとりが少年の胸をうったようで、彼は村中に言いふらした。それを聞いた村の女達は次のように評価を変えた。

「王子様みたいやなあ」

 僕はそうは思わなかった。それまで僕が嫌っていなかった在は父親に抑圧されて生じていただけで、父親から解き放たれてしまえば僕の苦手な男の一人となるのだろうと嫌いになっていった。

 在のあの変化は躁転であって一時的なものだったと後に聞かされてなければ、今もなお嫌いになり続けていただろう。好きにもなれないままだが。

 在に再度まみえることを女達は期待していたが、今現在、あれから在が村を来ることは無い。

 桜刃組と裏鍛鍛冶屋の関係は解消されていないから、桜刃組の人間は来る。だいたいが猪沢優作一人だ。たまに一ノ宮時也が来ることもあった。

 焔もあれ以来一度も来たことが無い。

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