第4話

「この学校の六年A組には、腐った蜜柑がいる!」


校長がそう言うのを、俺たちは黙って聞いていた。


「一個の腐った蜜柑がいると、他も腐っていくというが、六年A組はほとんど全員だ! 絶対に許されないぞ!」


痩せた教頭が、その耳元で「あの・・・蜜柑という言葉だと・・・」と言って、少しみんなから笑いが漏れた。


「・・・そんなことで笑っている場合か! バカモン! 蜜柑さんは、あまりの辛さで食べ物も食べれず・・・分かっているのかね、君たち! 遠野蜜柑さんは、とんでもなく辛い思いをして、遺書を書いてから屋上から・・・ちょうど林檎の木が植えている所からだ!」


そうだ・・・

もう、あの笑顔を・・・二度と見れないんだ。



・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「とりあえず、町田くんと錬介くんたちのせいでしょ!?」

 クラスの女子が叫んでいる。

「お前らだって、カニカニーってあれだけ言ってただろうが!」

 町田も泣きはらした目で言い返す。

「あれは・・・からかってただけよ! 蜜柑ちゃんだって、カニのポーズを取ってたじゃない!」

 女子も泣き始める。


「大体、錬介くんなんてサイテーよ! 蜜柑ちゃんとは一年の時から仲良しだったのに、町田君と一緒に・・・!」

 錬介は今にも死にそうな顔で椅子に座っている。


「みんな、もう止めて!!」

 美香が一喝した。

 一瞬で静まり返る。


「もう・・・ひぐっ・・・ほんとは私のせいよ! うわあああああん!」

 俺は美香を見ていた。

 あの強い美香が泣いている。

 生まれて初めて見た。


「何言ってるのよ!? 美香ちゃんはみんなを止めてたじゃない・・・? 私たちのせいで、蜜柑ちゃんが・・・」


「ひぐっ、うぐっ、そうじゃない! 私ね・・・ほんとは蜜柑が傷ついてるんじゃないかなって思ってた! けど・・・怖かった・・・!」


「怖い・・・? 何が怖いんだ・・・?」


「私も蜜柑と同じ目に遭うんじゃないかって! あんまり止めてたら、私も蜜柑と同じ目に遭わされるんじゃないか・・・クラス中が・・・笑っているクラス中がずっと怖かった!」

 俺は、

「俺もだ・・・美香・・・」

と言った。


 あの頃、まるで教室中が”笑いの針”で蜜柑を突き刺しているようだった。

 初めは止めていたはずの俺も、いつの間にか蟹のマネをする蜜柑を見て、「まあ、楽しんでるならいいか」と自分に言い聞かせていた。

 ほんとうは、蟹なんかの真似をさせられて、楽しいワケがないのは知っていたのに・・・

「いくら、空手鍛えても、俺は何にも変わらなかった・・・」


 町田にイジメられていた時の俺は、鍛えて強くなった気でいた、

 けれど、教室中からの”笑いの針”は町田の拳よりも百倍恐ろしかった。


「俺たち・・・みんなで、蜜柑を自殺に追い込んだんだ・・・」

 愕然としていた。

 ようやくそのことに気づいた自分に。


 錬介は立ち上がった。

「なあ・・・昼休み・・・ちょっと来てくれ、翔太。あの林檎の木の下に」

 俺は何をやるのか分かった上で、

「ああ」

と言った。


 林檎は悲し気に咲いている。

 蜜柑の血の跡はもう拭かれているようだ。

 俺も見た。

 血まみれの地面の上で、体のあちこちから血を流して、担架に乗せられて運ばれる蜜柑。

『友達三人のせいじゃありません』

と蜜柑はわざわざ遺書に書いてくれた。

 本当に優しい子だな。


「なあ、稽古つけてくれよ、翔太」

 錬介は上段に構える。

「・・・ボコボコにするぞ」

 俺は中段に構える。

 そして、俺たちは混ざり合った。

 突き、蹴り、回し蹴り。

 錬介は素早く躱して、カウンターで膝蹴りを入れてくる。

「ぐっ・・・」

 侮っていた。やっぱり、錬介は強い・・・

 なのに、なんでだ・・・?

 なんでお前が、あれをやった?

 怒りに任せての順突きで、錬介をガードごと吹っ飛ばす。

「なんでだ!? なんでだよっ!?」

 そのまま、殴りまくる。

「なんで、あんなことした!?」

 もう空手じゃない。

 ただの子供の喧嘩だ。

「うるせえっ! ムカつくんだよ、翔太あああっ!」

 錬介も飛び蹴りを放ってくる。

 俺の顎に炸裂した。

「いじめを助けてやったのに・・・美香を横取りしやがって! 死ね!」

「てめえが死ね! クソチビが!」

 ごろごろと転がりまわる。

 俺が馬乗りになっても、錬介は素早く体を入れ替える。

 もう、お互いがズタボロで、勝ち負けなんか分からない。


「バカっ! 二人とも、そんな場合じゃないんだよ!!」

 美香の強い声。

 やっぱり、美香の声には芯がある。

 俺も錬介もびくりとして振り返った。


 美香は涙を浮かべていた。

 けれど、その眼には喜びの色があった。

「病院からの連絡だよっ。蜜柑が目を覚ましたんだよ! あっははははは! 蜜柑が死ぬワケないんだ! さあ、早く行くよっ! 馬鹿みたいに喧嘩してたいなら勝手にしなさい!」

 美香は涙を流しながら、晴れやかな顔で俺たちを見ていた。

 俺と錬介も、馬鹿みたいに笑ってから立ち上がった。

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