第7話 想いの形

 もふもふの塊に視界を遮られ、ノアは再び地面に背中を預けることになる。


「そうそう、この狼もただの動物という訳ではないわよね?」

「え、ええ……そうです、ね……」


 ベルベットの目がノアからヘルツへと向けられると、ヘルツは逃げるように目をそらした。


「サラは若者らしく思いをこじらせて、マインドを作り出しちゃうし、ヘルツくんも密かに動いていたらみんなに勘違いされちゃってるし。たまたまやって来たノアくんはレオンの色を変えちゃうし……世の中何が起こるかわからないわね」


 手のひらを天に向け、ベルベットは「参ったわ」と呟く。

 この場でベルベットの発言を理解できたのは、レオンだけであり、彼もまた、体を起こしては深いため息をはいていた。


「待って。サラがマインドを作り出したって……まさか、さっきの化け物を作り出したのがサラだとでも!?」


 信じられないと言うように目を見開てベルベットの沈黙が肯定を示す。


「サラ! 君は……」

「違うの! 私、知らなくて! さっきベルベットさんと話して、そこで知ったの。私が、あんな化け物を作り出して……街を壊していただなんて……ごめ、なさいっ……」

「サラ……」


 サラがボロボロと大粒の涙をこぼした。


「あのー……俺、何もわかんないんですけど」


 どんよりとした空気の中、バールとバロック、二匹の狼にすっかり懐かれた様子のノアが声をあげる。

 二匹をやっとの思いで顔の上から退けたが、顔を嘗められつつ、間に割って入る。


「無知な餓鬼だ」

「レオン!」

「ちっ!」


 ボソッと言った言葉でさえも、ベルベットは拾い上げ、戒める。それもあってレオンは続けて罵倒する言葉は吐かなかった。

 全く情報を持っていない一般人に、どこまで説明すべきか悩んだ様子を見せた彼女だったが、少しの間を置き、詳細を話す。


「さっきの黒い獣を、あたしたちは『マインド』と呼んでいるの。マインドは人の強い感情から生まれ、人を殺すたびに力を増していく。創造者を殺したときには、言葉を交わすこともできるようになるわ」


 背筋が凍るような話だ。思わず、ノアはバールにしがみついた。


「マインドを倒せるのは、同じように強い感情を武器にできる人だけ。その狼を作り出したヘルツくんも、レオンの武器を変えたノアくん。二人とも素質があると思うのよね」

「ソシツ?」

「そ、素質。マインドと戦う組織に加わらない?」


 突然の提案。「え?」と聞き返すも、彼女はニコニコしているだけである。

 二つ返事で頷くことはしなかった。


 みんながみな、きょとんとして沈黙に包まれた。

 そこにノアの腹の虫が空気を読むことなく、大きな声をあげた。


「とりあえず、ゆっくりしましょうか。疲れているでしょうし」


 この提案には、この場全員、賛同した。



 ☆



 移動した先は、サラの店。

 高台からそこまで距離があり、負傷しているレオンの移動は困難かと思われたが、普段から鍛えていたからかそれとも我慢強いからか、レオンはノアの肩を借りながらも自らの足で歩いて移動した。


 流石に頭から血を流していたから、ノアも心配そうに彼を見るもムッとした顔をして返すばかりだった。


 噴水広場を通って、サラの店へ着くと真っ先にレオンは席に着いた頃には止血していたが、真っ先にドスリとソファーに腰を下ろす。

 ふー、と息を吐く姿は我慢していた痛みを逃がすようだった。


「マインド討伐に意欲的なのはいいけど、無茶はしないでとリーダーに言われているでしょうに。いつ命を落とすかもわからないから、ルナールさんも口を酸っぱくして言うでしょ。勇気と……」

「勇気と無謀をはき違えるなだろ。わかってらぁ。こっちはそんな言葉でやってるんじゃねぇ。復讐するまで死んでられるか」

「……そうね。それじゃあ、死なないように何とかしなさいね」


 ベルベットは自らの腰元のポーチから取り出した包帯をレオンに投げる。反射神経よく、すんなりと受け取ったそれで、手際よく傷口を覆っていく。ちらりと見えた腹部には、すでにふさがった傷跡が多々あり、過去に何度も怪我を負っていることがよくわかった。

 赤く染まった皮膚。わかりやすくかなりの傷を追っている彼に、ノアも手を貸そうとしたもののベルベットに止められた。


「彼は放っておいて大丈夫よ。さあ、座ってお話ししましょうか。質問なら受け付けるわ」


 どーんとこい、と木製の椅子に座って、両手を広げる彼女。どこから何を聞いたらいいかノアが悩んでいるうちに、手を挙げたのは狼を連れたままの少年、ヘルツ。


「マインド……って、つまりは何なんですか?」


 真っ黒のフードをかぶったままであっても、覇気のないことがわかる。


「マインドは人の想いが具現化したものって考えてくれればいいわ。どんな想いであっても形になる。そして倒すとマインドが結晶化する。例えば、今回のあのマインドは、サラがみんなを否定した想いからかしらね? 真っ黒な結晶になったもの。どう? 当たってる?」

「え、っと……」


 どう、とベルベットの手元には先ほどのマインドを倒した際に残った真っ黒な結晶。光を通さないほどの闇色は、見続けていると吸い込まれそうになるほどだ。それが自らが生み出したマインドが残したものだと知って、ビクっと肩をあげて反応したサラ。口を閉ざして、話したくなさそうだ。だが、ベルベットの強い瞳に見つめられ、間をおいてから話す。


「みんな、デシベルさんにも、ヘルツにもひどいこと言っていて。それを止めることもできなくて……ひどいこと言う人がいなくなっちゃえばいいのにってずっと思っていたの」

「サラ……僕のことをそんなに考えてくれていたんだね。ありがとう」


 サラとヘルツ。二人の様子を見て、ベルベットは「若いっていいわね」とニコニコほほ笑む。


「ところでヘルツくん。貴方が連れているその二匹の狼たちは、どうやって従えてるのかしら?」

「バールとバロックは、その……ここから」


 ヘルツは上着の内側から、一冊の本を取りだした。

 色あせたそれは年季が入っているようである。


「僕はじいちゃんみたいに、物知りでもないし、人と話すのも苦手で。外に出るのも嫌で家に籠っていたら、ヴォルクさんがこれをくれたんだ」

「親父が?」


 急に出てきた父の名前にノアが反応する。


「『苦手なことは無理すんな。好きなことをやっていれば、いつか苦手も乗り越えられる』って。だから僕は好きな絵をここに書いていたら、それが実際に出てくるようになっちゃって」


 空白のページを開くと、そこに狼たちがすっと吸い込まれるように消えていく。

 すると、何も描かれていなかったページに、白と黒の狼が現れた。


「すっげー! ヘルツって絵がうまいんだね!」


 目を輝かせて、ぐいぐいとヘルツに近づく。勢いに圧倒され、半歩下がったヘルツだったが、ノアの純粋な言葉に照れを見せた。


「それほど、でも……」

「すごいよ! めちゃくちゃリアル! 絵でも動き出しそう……というか、動いていたもんね! すごいなあ!」


 他のも見せてとせがむノアを、ベルベットが何やら長いものが入った布の袋を持って止める。


「貴方のお父様がヴォルクさんなのよね?」

「? そうだけど?」

「ちょっとだけだけど、あたしもヴォルクという名前に心当たりがあるのよ」

「ほんとに!?」


 ベルベットの方へぐるりと体を向ければ、優しい目を返された。


「うふふ。ノアくんはお父さんのことが大好きなのね」

「べ、別に! そう言うわけじゃないし! ただ、唯一の残った家族だから……」


 照れ隠しのように言った言葉だったが、本心が漏れ出てだんだんと声が小さくなっていくノアの頭に、彼女がそっと手を乗せて優しくなでた。

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