紺碧の翼(7)

 その日の夕方、鈴井はブリュッセル郊外の一軒家にいた。殺人事件が起きた家には数人の警官が現場を調べていた。

 「全く……何でこんな現場に立ち会わないといけないんだよ。特務隊は何でも屋か」

 床の血だまりを踏まないようによけながら鈴井は家の中を見て歩いた。

 二階の部屋に入った。聖なる革命団が起こしたテロの記事が載った新聞や雑誌の切り抜きが壁に貼ってあった。先に入った警官が写真を撮っていた。

 「革命団の狂信者が家族を殺したってところだな」

 鈴井が壁の記事を見ていた時、下から大きな物音と銃声が聞こえた。

 「何だ!」

 鈴井と二階にいた警官が一斉に降りた。

 一階の居間の床に穴が開いて下から悲鳴が聞こえた。

 「地下室か!」

 鈴井は穴から飛び降りた。

 何者かが警官の背中を手で貫いていた。警官の体が下に落ちて黒と灰色の肌の細身の男が立っていた。

 「こ、こいつは!」鈴井の脳裏に研究棟の騒動の光景が浮かんだ。

 他の警官が発砲したが男には効かなかった。

 「よせ。こいつには効かない。全員逃げろ!」

 鈴井の指示で警官達は怯えながら地下室から出て行った。

 「さあ、どうする……」

 鈴井の顔から汗が流れた。男は黙って立っていた。鈴井は男を見ながらスマホで軍に応援を頼んだ。

 (角は生えていない。肌はそんなに固くなさそうだ。なぜ襲って来ない)

 鈴井は策を考えた。

 「一か八かだ!」

 鈴井は男に駆け寄った。男は鈴井を殴ろうとしたが鈴井はよけて背後に回った。男の首筋にスタンガンを当てた。男は一瞬のけぞったが鈴井の腕を掴んで突き飛ばした。鈴井は壁の棚に当たってうずくまった。

 「やっぱり化け物だな。お前、どこの研究所から逃げて来たんだ」

 鈴井は立ち上がって言うと、

 「うおおおおお!」

 男が両腕に力を入れて叫んだ。男の背中から赤銅色の翼がゆっくり生えた。

 「飛ぶのか!」鈴井は慌てて翼に発砲した。しかし翼に傷ひとつ付けられなかった。

 男は翼をバサッと大きく広げて家の天井を次々と破って飛んで行った。

 「くそっ!」鈴井は家の外に出た。翼が生えた男は東の方向へ高く飛んで行った。

 基地に戻った鈴井は会議室で同じ特務隊の研究員のエディに状況を説明した。

 「軍から逃げた報告は来ていない。自宅に留まっていた事を考えると民間の研究所から脱走してきたとは考えにくい。闇サイトで細菌を買ったのかも知れないな」

 蒼白い顔で細身のエディはノートパソコンを操作しながら淡々と話した。

 「細菌を買う?どういう事だ」

 「あるんだよ、そういうサイトが。軍がコムザンを倒した後で周辺の土をこっそり採取して細菌を抽出して培養して高値で売る連中が。聖なる革命団の狂信者なら買うのも納得できるな。細菌をばら撒いたのが革命団だったし」

 「そんなの放っておくのもどうかと思うけどな。売っている連中を捕まえたり買うのを禁止するように政府が呼び掛けたりしないのか」

 「そんな事やってみろ。みんなこぞって買うぞ。テロやコムザンのせいで何もかも失って自暴自棄になっている奴、社会に不満を持っている奴、今の状況を少しでも変えたいと思っている奴が溢れているんだ」

 「なるほど。第二第三の聖なる革命団が生まれるって訳か」

 (こいつ苦手だ……)

 鈴井は早口で話すエディにひるみながら答えた。

 「この件は地元の軍や警察に任せるしかないな。ところで何でお前がその現場に行ったんだ」

 「ジャック隊長から現場に立ち会うように命令が来たんだ。理由はわからないが」

 「そうなのか。殆ど話した事なかったがお前も訳ありな奴か?特務隊はそういう人間が多いからな」

 「じゃあ、お前はどうなんだよ」

 「想像に任せるよ。今の俺の見解も合わせて隊長に報告しておいてくれ。それじゃ」

 パソコンを持ってエディは会議室を早足に出た。

 「全く、パイロットだけやらせてくれよ……」

 鈴井はぶつぶつと呟きながらパソコンで資料を作った。

 翌朝、朝食を済ませた鈴井は待機室でスマホでニュースを見た。昨日の殺人事件の記事はなかった。

 コムザン出現のアラームが鳴った。同室していたパイロット達が一斉に部屋を出て行った。

 「今日も出番なしかな」

 しばらくスマホを見ていると鈴井に外へ出るように館内放送で指示された。

 「あれは!」鈴井は空を見上げて驚いた。基地の上空に翼を広げた人影が数体飛んでいた。

 「これじゃ出発できないな」

 鈴井は近くの電話機から管制室へ繋いだ。

 「これじゃ発進は無理だ。コムザン撃退は他の基地に頼んでくれ」

 鈴井は言うとすぐに電話を切った。他の兵士がライフルやバズーカ砲を持って走ってきた。

 「あいつらが足止めしてくれたらいいが、取りあえず今はやれる事をやるしかないな」

 鈴井は駆け足で施設に入った。

 基地の上を飛んでいたその生き物は《シーヴィ》と呼ばれるようになった。

 シーヴィは兵士の銃撃をかわしながら滑走路の上をひらひらと飛んでいた。明らかに戦闘機の発進を妨害する目的だった。

 その内の一体が落下した。

 「よし、効いた!思いつきだがな」

 鈴井がガッツポーズをして叫んだ。鈴井は銃撃している兵士達に車を寄せて麻酔銃で顔を撃つように指示をして銃を渡した。

 麻酔弾が顔に命中したシーヴィは次々と地面に落ちた。落ちたシーヴィは兵士達に拘束された。1時間程で騒動が落ち着き、その間に地上種のコムザンは他の基地から出撃した戦闘機部隊に撃退された。


 同様の事件が各地で起きた。シーヴィの姿から悪魔が世界を滅ぼしに来たと噂が広がった。

 モゼラニクス社をはじめとする軍事企業は対シーヴィの兵器や宇宙種の飛来防止に地対空ミサイルの開発を進め国連軍や各国の軍へ納品した。一方で従来から続いていた各国間の緊張関係は相変わらず続いていた。

 先進国や発展途上国に関わらず人々が暗い時代を生きる虚しさを抱きながら醜い姿で自由に空を飛ぶシーヴィへの羨望を強めていった。コムザンの細菌を体内に注入すると死ぬ確率が高かったが少ない希望に命を賭ける人々が後を絶たなかった。

 各地で発生したシーヴィは動物的本能からか集団で人里離れた山奥や砂漠や小島に生息するようになった。誕生したばかりのシーヴィは人に危害を与えたが数日で遠くへ移動して行った。

 また、国によってシーヴィが住む巣へミサイルを撃ち込んだり、元は人間だったという理由で殺さずに監視するだけとシーヴィへの対応がまちまちでそれが理由で国家間で新たな軋轢が生まれた。

 そんな中、アメリカのシェリー博士をリーダーとする研究チームがシーヴィに関する研究資料をネット上に開示した。

 「つまりシーヴィは人間よりも知能が低いって事か」

 ベガロの改造でモゼラニクス社のイギリス支社に来ていた鈴井は零樺から説明を受けていた。

 「そう、現時点ではね。でも短期間で一気に知能が向上するかも知れない。細菌による皮膚の変異過程は解明されてきたけどわからない事が多すぎるの。このアメリカの研究資料が今のところ最先端の情報よ」

 「日本で見たのと形が違うのはどうしてだ」

 「恐らくあれは宇宙種のコムザンの細菌を注入したのよ。もしあれと同じ物が出てきたら厄介ね。高熱でしか倒せない」

 「今はそいつが出て来ない事を祈るしかないな。なあ、素人目線で訊くけどあいつら子供作るのか?」

 「資料の通り生殖能力も不明よ。体形以外に男女の性差が見られない。精子も卵子もない。それ以前に哺乳類か爬虫類かの定義にも当てはまらないからね。繁殖せずに死んでくれた方がありがたいけどね」

 「そうだな。寿命が尽きて死んでくれたらいいが何年生きられるのだろうか」

 「その辺もまだわからないけどね」

 「亜人の存在はSFの話だと思っていたが本当に現れるとショックだな。世間が大騒ぎするのもわかる」

 「そう。そしてそれを敵視する者、利用する者が現れてまた対立が生まれる。人間って愚かよね」

 「異星人の末裔のお前から言われると耳が痛いな。利用する者って……まさかあいつらを生体兵器にする気か。昔、そんな映画かゲームがあったぞ」

 「さあ、どうかな。フフフ」

 零樺は意味ありげに微笑んだ。

 「お前、やっぱり怖いな」

 「あなたは余計な事を気にしないで自分の仕事をやったらいいのよ。ベガロの新装備のマニュアルは読んでおいてね。それじゃ」

 零樺はにこやかに手を振って部屋を出た。鈴井はため息をつきながら分厚いマニュアルを見た。

 ベガロにはシーヴィに効果がある低周波兵器に小銃器、改良型の追跡ミサイルが搭載された。コックピットやエンジン部分なども改修が加えられ機体の色は白と紺碧のツートンカラーで配色された。

 「久しぶりの紺碧の機体か。嬉しいような嬉しくないような」

 テスト飛行をしながら鈴井は目の前に広がる空を見て呟いた。

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