紺碧の翼(3)

 その夜──基地の敷地内にある研究棟の1階の廊下を男がゆっくり歩いていた。その足元には血まみれの死体がいくつも横たわっていた。

 灰色と黒が混ざった顔の男は背筋を丸めてエントランスの自動ドアをこじ開けようとした。分厚いガラス製の自動ドアはロックされていた。男は諦めて拳でドアを叩き割った。館内で非常ベルが鳴った。男は足元に残ったドアのガラスを蹴飛ばして外に出た。

 銃を持った兵士が集まって来た。

 「撃て!」の命令で全員が一斉に男に発砲した。男はビクンとたじろぎながら持ちこたえた。

 男は兵士の一人に駆け寄り顔を握ると放り投げた。地面に叩きつけられた兵士は首の骨が折れてぐったりとなった。

 別の兵士が至近距離で男の顔を撃った。男の額を撃ち抜いた筈だが何の反応もなく男は兵士の喉を尖った指で突き刺さした。突かれた兵士が「ゲホッ」と叫んでその場にうずくまった。

 兵士達が男を背後から取り押さえようとしたが跳ね飛ばされた。男の顔が灰色に変わり、こめかみから角が生えた。目の色が黄色に変わった。兵士達が銃撃したが全く効かなかった。男はゆっくり鋪道を歩いた。兵士の一人がバズーカ砲を発射した。弾が男に命中し爆発した。しかし男は立っていた。男の服が燃えて暗い灰色の肌が露わになった。

 「化け物か!」誰かが叫んだ。その声に男が反応した。男はジャンプして3メートル先の兵士の腹を拳で貫いた。同じ動きで数人の兵士を殺した。

 「くそっ!手榴弾を投げるぞ!全員散開!」

 兵士達がパッと男の周りから散らばった。

 手榴弾が男の足元に落ちた。数秒後にドンと大きな音と共に爆発した。

 「な、何だ!」

 鈴井が爆音と震動で目覚めた。部屋を出ると研究棟で何かあったらしいと騒然となっていた。館内放送で「指示があるまで待機するように」と流れた。

 「まさかあの女か」

 鈴井は部屋に戻り銃をズボンの腰に入れた。寮の玄関は警備兵に押さえられていたのでトイレの窓から出て中腰で走った。

 すぐ近くから銃声が聞こえた。鈴井は近くの植え込みにかがんで頭だけ出して様子を見た。

 並んだ外灯の下で黒い異形の人影が歩いてその前を銃を構えた兵士達が後ずさりしていた。

 「何だ。あれは……」

 頭に角が生えた黒い生き物がゆっくり歩いている──その姿を現実と受け入れるのに鈴井は戸惑った。

 「少なくとも着ぐるみショーじゃないわね」

 背後から女の声がした。鈴井はビクッとなって振り向いた。黒い覆面姿の女が立っていた。

 「お前、あの時の!」

 「あの時?ああ、ヘリで追いかけてきた……」

 驚く鈴井に女は軽く答えた。

 「お前は一体何だ。あれもお前の仕業か!」

 鈴井は小声できつく言った。

 「まさか。あなたの軍は面白いおもちゃを作っているみたいね。よくやるわ」

 「お前、あれを知っているのか」

 「高濃度のコムザンの細菌を注入した人間よ」

 女はあっさりした口調で答えた。

 「な、何だと!」鈴井は驚いた。兵士達の銃声が響いた。

 「そんなに驚く事ないでしょ。あんな実験どこでもやっている事だし特に国連軍はコムザンの研究が進んでいるからね。日本で研究していたのは意外だけど。あの様子だと何らかの原因で急に活発になったみたいね。あのサンプルを使ったのかも」

 「お前は一体何なんだ。何を知っているんだ」

 「何でもいいじゃない。それより早くしないとあの怪物がコムザンの細菌をばら撒くわよ」

 女は静かに言うと微笑んだ。

 「そうなのか。しかしあれに通用する武器は無い。ミサイルをぶち込む訳にもいかないし」

 「じゃあ私が燃やしてあげてもいいわよ。火だるまにする位ならやれるわ」

 「えっ?」鈴井は驚いた。

 「但し、私を見逃してくれないかな?あなた、さっきからずっと拳銃を持ったままだし」

 「そういう事か。じゃあついでにお前の顔を見せろよ」

 鈴井は女の眉間に銃口を押し付けた。

 「残念ね。じゃあ帰らせてもらうわ。せいぜいバズーカ砲でも効かない怪物と遊んでいるのね。それと基地で人体実験をやっている事が世間に知れたらどうなるかわかっているわよね」

 銃口を額に突きつけられても女は微動せずに淡々と言った。

 「くそっ、足元を見やがって。わかったよ」

 鈴井は銃を下ろした。

 「取引成立ね」女は目を閉じた。二人の後ろで穴が開いて黒いコンラルが現れた。

 狂暴な顔つきの魔獣に鈴井は思わず「うわっ」と叫んだ。

 女は「じゃあね」と笑いながらコンラルに乗った。コンラルは翼を広げて宙に浮き、口から火球を3発放った。火球が命中し男は火だるまになった。

 燃える男の姿に気を取られた鈴井はハッと後ろを見上げたが既に魔獣に乗った女はいなかった。

 「そのまま逃げても良かったのに大胆というか律儀というか変な奴だ」

 外灯の下で人影が次々と増えていく中で鈴井は物陰に転々と身を潜めながら寮に戻った。


 「夕べの騒ぎは何だったんだ」「研究棟で死者が出たんだって」「管制室の騒動と関係あるのか」

 翌朝、食堂で隊員達がひそひそと話していた。

 「隊長、夕べ何見たんですか?」

 向かいの席で食事をしていた望月が眠そうな口調で訊いた。鈴井の箸を持つ手が止まった。

 「何って……行ったら他の連中が集まっていて見えなかったよ」

 (まさか、俺をつけていたのか)

 鈴井は頭の中で言い訳の言葉を探した。

 「そうですか。別にいいですが火薬の匂いが凄くて外に出たのがバレていますよ」

 「あっ、ああ、ハハハハ……そうか、バレバレだな」

 鈴井は笑ってごまかして朝食を済ませた。

 シャワーを浴びて資料室に入った鈴井はパソコンでコムザンに関する情報を調べた。

 コムザン用の武器の情報だけで人体実験に関する情報は何もなかった。

 「研究資料なんて一般兵の俺が知る必要ないからな」

 鈴井は気持ちを切り替えて魔獣に関する情報を読み漁った。

 昼休みになり資料室を出た鈴井は食堂で昼食を済ませ部屋でテレビを見ていた。

 どのテレビ局も似たようなニュースばかりで夕べの基地の騒動は流れなかった。

 「あの女がてっきり漏らしたと思ったけどなあ」

 鈴井はベッドで横になって女の顔を思い出した。

 (黒い髪に黒い目、覆面をして顔はわからないが多分日本人か。最初に起きた魔獣の事件の関係者だろうか)

 日本でラウトラが出現した時に鈴井は航空自衛隊の戦闘機で緊急発進した。しかし現場に到着した時にはラウトラの姿はなかった。町からいくつも黒い煙が上っていた。コックピットから見えた町の景色は真っ赤に燃える地獄のようだった。

 その後で幾度も見たコムザンに襲われた町も映画とは違う生々しい壊れ方をした景色で吐き気を催した時もあった。

 ぼんやりしていると部屋のスピーカーで支部長室へ来るように呼ばれた。

 (夕べの事だな)

 鈴井はため息をつきながら制服に着替えて部屋を出た。

 支部長室に入ると真木の他に背広姿の細身の男が二人、ソファに座っていた。

 (うわっ、いかにも取り調べをしそうな連中だな)

 訝し気な表情で男達を見ながら鈴井は奥で座っている真木の前に立った。

 「諜報部が君に訊きたい事があるそうだ。座りたまえ」

 真木からソファに座るように促されて座ると片方の男がテーブルに写真を置いた。

 「単刀直入に訊く。この人物は誰かね」

 植え込みにかがんでいた鈴井と一緒に映っていた女を指差して男が訊いた。

 「気に入らないな。何様だ。あんた」

 鈴井は男を睨んだ。もう一人の男はだまって茶を飲んだ。

 「何だと!じゃあこれは何だ」

 男は激昂しながら別の写真を見せた。研究棟の上にコンラルが飛んでいた。

 「ああ、そういう事。もしかして俺がスパイだと思っているのか?俺が聖なる革命団の生き残りと秘かにつるんでいるって所か。残念ながらそいつの正体は知らない。たまたま居合わせただけだ」

 「そんな嘘が通用するとでも思っているのか!」

 「何だと!やるかコラァ!」

 鈴井は立ち上がって男に怒鳴った。もう一人の男が茶碗を置いた、

 「諜報部か何だか知らないがこっちはいつもいつもデカい化け物退治で気が立っているんだ。答えられる事は全部答えた。もう戻っていいか」

 「まあ落ち着いて座って下さい」

 もう一人の男が穏やかな口調で言った。鈴井は舌打ちして座った。

 「気分を害したのなら謝ります。しかし我々も治安維持の為に仕事をしているのです。その辺はどうかわかって下さい」

 「ああそうですか。わかりましたよ。出来れば最初からその態度で訊いて欲しかったですけどね」

 鈴井は茶を飲んで気持ちを落ち着けた。真木は奥の席でパソコンを操作しながら様子を見た。

 聴取が終わり男達は部屋を出た。

 「やれやれ、全く何なんだよ」

 鈴井はため息をついた。

 「まあ彼らの仕事だからな。部屋に戻っていいぞ」真木は淡々と答えた。

 鈴井は真木に「失礼します」と敬礼して部屋を出た。部屋の外で中嶋が待っていた。

 「よお、連続呼び出し男。人気者は辛いねえ」

 「お前なあ、盗み聞きでもしているのか」

 中嶋の呑気な笑顔に鈴井は呆れた。

 二人は食堂で話した。

 「何か他にいい仕事ないかな」

 缶コーヒーを飲みながら鈴井は呟いた。

 「おい、いきなり何だよ。支部長に絞られて嫌になったのか」

 「別にそうじゃないけどさ。毎日基地の中にいてばっかりで息が詰まりそうでさ。外は外で大変な状況なのは良くわかるけど何だかなあって思うよ」

 「謹慎中で腐っているのか。走り込んだらどうだ」

 「そうだな。まああと少しで謹慎が解けるからな。悪い。今のは忘れてくれ」

 鈴井は缶コーヒーを飲んだ。

 「まあ元気出しなって」

 中嶋は缶コーヒーを飲んで鈴井の肩を叩いた。

 緊急発進のサイレンが鳴った。缶コーヒーを一気に飲み干した中嶋は立ち上がって背伸びをした。

 「さて化け物退治の時間だ。じゃあ行ってくるわ」

 「ああ、気をつけてな」

 鈴井は手を挙げて答えた。

 「余計な事は考えない方がいいな」

 人影がまばらな食堂で鈴井は呟いて窓の外を見た。

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