6「キャロとレグスセンス」
「昨日の開かずの間のことでお話ししたいことがあるので、一緒に来てもらえますか?」
僕、ヨルム・クウゼルは朝家を出てすぐにニクリと出会い、突然そんなことを言われた。僕たちだけの秘密をどうしてニクリが知っているのか、どこまで把握しているのかわからなくて――僕は従うしかなかった。街の西側の路地に入った辺りで意識を失い、気付いた時には薄暗い部屋で椅子に縛られていた。
情けないことにあっさり捕まってしまった僕を、キャロたちが助けてくれた。
だけどいま、危機的状況はさらに高まっていた。僕は痛む肩を押さえて身体を起こす。
目の前に、漆黒の魔物ヘル・ダークウルフ。その威圧感に身体が震えだし、再び後ろに倒れてしまいそうになるのを必死に堪えた。
「ヨルム、大丈夫?」
「キャロ……う、うん」
隣で僕の身体を支えてくれているキャロ。肩を押さえながら起き上がった僕を見て、クールな表情を崩して心配そうな顔を見せる。カリィヌやロアイに見られないかこっちが心配になった。
少し言いにくいけど、肩が痛いのは吹っ飛ばされた時に受け身を取れなくて思い切り打ったからだ。もちろん捕まった僕が悪いし、ロアイにはとても感謝している。
ただニクリが言っていたけど、僕は本当に丁重に扱われた。口を縛られたのもキャロが来る直前だったし、食事も取らせてもらえた。
傷付けることはしません、開かずの間のことを話してくれたらすぐに解放します。自分たちはキャロの味方だから絶対に悪いようにしません、と。尋問というより懇願、説得に近かった。
だけど僕は話さなかった。フォルン王の手記の内容を勝手に話すわけにはいかないから。
「僕なら本当にもう大丈夫だよ。キャロ、それよりあれを……」
改めて目の前の魔物に目を向ける。巨大な狼の姿をした漆黒の魔物、瞳に青白い炎を燃やし、口元に赤い炎をくゆらせる。
こんな巨大な魔物見たことがなかった。さすがはダークウルフのボス。威圧感は先日のとは比べものにならない。ニクリはどうやって捕まえたんだろう。
「ヨルム、あれきっとガレッドが討伐したダークウルフたちのボスだよ」
「ガレッドさんが? あ……そういえば、群れだったのにボスがいなかったって」
そこまで口にしてハッとする。そうか、ニクリがボスを捕まえてしまったから、残されたダークウルフたちが近くの森まで探しに来ていたんだ。
「キャロおねえさま、見ての通りまだヘル・ダークウルフの拘束を解いていません。準備が出来たら言って下さいね、解放しますから。ちなみにとっても気性が荒いので、目の前にいるキャロおねえさまたちにすぐ襲いかかると思いますよー」
「知ってるよ」
「さすがキャロおねえさま。ではヘル・ダークウルフにさらなる進化があることはご存じですか?」
「それも私を試しているの? ケルベロスだよ。魔王最強の配下、黒炎の魔物ケルベロス」
その名前は僕も知っていた。フォルンの手記にも出てきたけど、詳しい姿が書物で伝わっている。黒い炎の身体で三つ首の狼。それぞれ
「正解です! でも試そうと思ったわけじゃないですよ。ケルベロスのことは詳細に伝えられているんですよね」
「みたいだね」
ケロべロスは情報が多いおかげで色んな本に出てくる。だから誰もが常識レベルで知っていて……あれ?
僕はチラッとキャロを見た。すると、口元で少し笑って「そりゃそうだ」と呟いていた。
魔王最強の配下ケルベロスと戦ったのは、他ならぬフォルン王。なるほど、だから詳しいことが後世まで伝わっているんだ。
「もっとも、魔王がいない現代ではヘル・ダークウルフがケルベロスになることは無いと言われてますけどね。というわけで、ケルベロスよりもぜんぜん弱いヘル・ダークウルフです。キャロおねえさまが本物ならちゃちゃっと倒してくれますよね」
ニクリが無茶苦茶なことを言う。
明るくてキャロにとても懐いていて……その印象は崩れていないけど、まさかこんなとんでもないことをする子だったなんて、思いもしなかった。
「キャロ……どうるすの?」
「ケルベロスより全然弱い、か。確かにね。――ヨルム、カリィヌ、ロアイ。聞いて欲しい」
キャロがヘル・ダークウルフに背を向けて、僕らの方を向く。
「私はこれからヘル・ダークウルフを全力でぶっ倒す。それはもう完膚なきまで、圧倒的な魔力で瞬殺してやるつもり。3人にはその協力をして欲しい」
「ぶ、ぶっ倒す? いつになく熱くなっていますわね」
「でもそんなキャロちゃんもいいかも」
「じゃあ、使うんだね。レグスセンスを」
「もちろん。ニクリに見せていいものか迷ったけど、もういい。レグスセンスを使った私が、全力の私だから」
僕の中にある魔力はキャロの魔力でもある。それを使わずにして全力とは言えない。
その後のニクリや秘密結社チーキスのことが心配だけど、もう気にしない。キャロがそう決めたのだから、僕も従うまでだ。
「そしてヨルム、今回は私にすべての力を使わせて欲しい」
「……うん、そうだね。わかった」
つまり僕の魔力変換は行わないということだ。キャロは自分の魔法で決着をつけるつもりだ。
「それから……カリィヌ、ロアイ。二人には後できちんと話すよ。だからいまは、私を信じて協力して欲しい」
「いいわ。約束ですわよ? 聞きたいことはたっっっぷりあるのよ」
「もっちろん! 協力するよ! わたしはふたりの話すことならなんでも信じる!」
僕らは頷き合い、3人が僕を囲むように並んだ。
「キャロおねえさまー、作戦会議終わりました?」
ニクリがヘル・ダークウルフの後ろから催促してくるけど、キャロはそれには答えず僕を見る。
「ヨルム、よろしく頼む」
「じゃあわたしから! お願いねヨルムくん!」
「うん――」
最初はロアイ。彼女の足下にしゃがみ、その蠱惑的に白いふとももを見る。血管が透けて見えるその肌はやはりどこか妖しく儚げだ。触れたら壊れてしまいそうなのに、触れてみたいと思ってしまう。だけど覚悟を決めた僕はもう躊躇わなかった。僕がするのは魔力増幅のみ。戦うのは彼女たちだ。少しでも不安にさせないように、僕も強い意志でふとももに触れる。吸い寄せられるように手を伸ばし、ふとももを掴み、存分に揉んだ。
「あっ……ヨルム、くんっ……んん……!!」
――ドクンッ――
ロアイの魔力が急激に上がるのがヨルムにもわかった。かつてないほどの魔力に、ロアイも戸惑って頬が上気している。
次はカリィヌだ。彼女の方を向き、その健康的なふとももをじっくり見る。3人の中で一番背が高いのもあり、スラッとして長い足だ。近くでよく見ないとわからない、隠れた筋肉が美しい。ヨルムはそのふとももを包むように触ると、その筋肉と瑞々しい肌をしっかり確認しながら、すうっと足首まで手を這わせた。
「ちょ……はぅ……ヨルム!?」
――ドクンッ――
ロアイ同様、カリィヌもとんでもない魔力が溢れ出した。顔を真っ赤にして身体を抱え、魔力を抑え込んでいる。
そして、最後はキャロ。
美しい白、美しい脚線。理想的すぎて目が離せない。見事に完璧。完璧で見事。僕の心をこんなにも浄化し、乱し、悟り、狂わせ――やがて頭の中は真っ白になった。ふとももの白だ。僕はそのふとももに触れる。あぁ――なんて柔らかいんだ。極上の触り心地。だめだ、目も手も離せない。もっともっと、たくさん触りたい。いいやそれだけじゃ足りない!
「……ヨルム。……いいよ? ――――きゃっ」
キャロの声が耳に入った瞬間、 僕は彼女のふとももを抱き寄せていた。最高の触り心地の、気が遠くなるほど柔らかいふとももに、僕は……そっと口づけをする。
――ドクンッ――
「あっ……! すごい、いままでで一番――! あぁぁ!!」
カッ――!
キャロの身体から白い光が溢れ出す。抑えきれない光の魔力が揺らめく炎のように立ち上り、それだけで周囲の闇にヒビが入った。
「キャロおねえさま!? いったいなにをしたんですか?」
「いいから、早くヘル・ダークウルフを解放しなさい!」
「――――くぅぅ!! しびれます! わっかりました!」
バキン――!
金属が割れるような音が響き、ヘル・ダークウルフを包んでいた残りの闇がすべて払われる。すると、
「ぐおおおおぉぉぉぉがぁぁぁぁぁぁうおぉぉぉぉぉぉん!!」
「――――!!」
耳をつんざく雄叫び。聞いただけで頭がクラクラして倒れそうだ。しかも前足をズン、ズンと叩き付け、地震のように足もとが揺れる。建物の崩落が進んでしまう。
「ヨルム、下がってて」
「う、うん。3人とも気を付けて」
僕は素直に後ろに下がる。レグスセンスで魔力を増幅した時点で役目は終わった。あとは応援と心配をするだけだけど――その必要はないかもしれない。
「すごい、すごいよ! こんなに魔力が溢れてるの初めて!」
「ロアイ、ヘル・ダークウルフが暴れ出す前に動きを止められる?」
「任せてよキャロちゃん! あんな大きな魔物だけど――いまはもう、ぜんぜん恐くない!」
バシュ――ババババババッ!!
ロアイが紫の稲妻となる。部屋を縦横無尽に飛び回り、無数の線を引いていく。ヘル・ダークウルフは自分の周りを飛ぶロアイを鬱陶しそうに払い、噛み付こうとするが捕らえられない。やがて蜘蛛の巣のように紫色の光の線が巨体を囲み、
「縛れ、雷網――サンダーボルトネット!」
「ぐおおぉぉぉぉぉん!!」
バチバチバチバチバチバチ――!
光の網が縮み、ヘル・ダークウルフを縛り付けて激しい紫電を撒き散らした。
体中から黒い煙を出し、ヘル・ダークウルフの動きが止まる。
「次はわたくしよ!」
カリィヌの身体が真っ赤に燃える。キャロを包む光の魔力に負けないくらいのすごい魔力が噴きだし、炎の柱となった。
「わたくしは! 英雄ブレイダ・トゥエンの末裔! 受け継ぎし業炎、その目に焼き付けなさい! インフェルノ・ストーム!」
「うぉぉぉおおんん!!」
ズドオオオォォォォォ!!
ヘル・ダークウルフを囲むように炎の輪が浮かび、回転。炎が渦を巻いてヘル・ダークウルフの身体を焼き焦がす。熱風と共に腐臭のようなものが僕らの方まで届いてきた。
炎が消え、完全に動きを止めたヘル・ダークウルフ。これで倒してしまったんじゃないかと思ったけど、まだだ。全身を雷と炎で焼かれても、双眸に燃える青白い炎が消えていない。
「最後は私だよ。ニクリ、よく見ておくんだ」
「待ってました!」
キャロがゆっくりと歩を進め、ヘル・ダークウルフの目の前に立つ。青白い炎がキャロを睨み、口元から真紅の炎が勢いよく噴きだし巨大な火球を作っていく。
「私の魔力が見えているだろうに。さすがは群れのボスだ。――でも、倒させてもらうよ」
キャロはすっと右腕を高く上げる。するとその先に、大きな光の剣が現れた。
「ぐるるるるぅぅぅ……」
「魔を断つ光――ホーリーセイバー・オーバーズ・レイ!」
キャロが腕を振り下ろすのと、ヘル・ダークウルフが火球を放つのは同時だった。だけど火球は剣が放つ強烈な光に呑み込まれて一瞬で消え、次の瞬間にはヘル・ダークウルフの身体は真っ二つになっていた。
光の剣はヘル・ダークウルフを斬ると同時に周囲の闇も斬っていた。殻を割るように後ろの壁から天井に、そして奥の壁へと一条の光が走る。そこから光が溢れ出し、闇を崩していく。魔術の出所がわからないと闇を払っても再び覆われてしまうと言っていたけど、これはそれすらも許さない。力尽く――すべてを吹き飛ばすキャロの全力魔法だ。
ヘル・ダークウルフは断末魔を上げる間もなく消滅し、僕たちを覆っていた闇は光に置き換わった。その眩い光の中に浮かぶ、残された一つの影。ニクリの姿だけが真っ黒に染められていた。
「あぁ! あぁ!! やっぱり本当の本当に、キャロ・レイルーンさまなのですね! ニクリが敬愛するキャロさまが、目の前に!」
「今度こそ認めてくれたみたいだね」
「正直に言うと、本当はもう信じていたんです。でも本に描かれていたキャロさまの最強の魔法を見てみたくて、こんなことをしました。ごめんなさい」
「なっ――……はぁ。君って子は……。でも残念だけど、私は君を捕らえないといけない」
「ですよねー。ところでキャロおねえさま、やっぱり開かずの間の中のことは教えてもらえませんか?」
この後に及んでまだニクリはそんなことを聞いて来る。それに対しキャロは、
「……歴史だよ。私が知っている魔王との戦い。そしてその先が記されていた」
「魔王との戦い! やっぱりキャロさまは魔王と戦ったんですね?」
「そうだよ。私たちのパーティとフォルンたちのパーティは協力し、一緒に魔王城に攻め込んだんだ。そして――」
教えてしまうのだろうか。あの真実の歴史を。
だとしても、僕には止められない。キャロが決めたことならば受け入れると決めたから。
その後どうなるかわからないけど、僕はキャロと共に歩む覚悟がある。
そんな気持ちで背中を見ていたら、キャロがチラッと振り返る。
見つめ合う。それは一瞬だったけど、でも僕の気持ちは伝わったと感じた。
「――私は、魔王を討てなかった」
「……え? キャ、キャロおねえさま?」
「私の魔法と魔王の力がぶつかり合い、空間が歪み……私はそこに放り込まれた。そして未来に飛ばされてしまったんだよ」
「そんなことが……で、でも、それで魔王を倒したんじゃないんですか!?」
「いいや、弱らせることはできたけど倒せてはいない。それは飛ばされる瞬間にしっかり見ているよ。フォルンの――開かずの間に書かれていた内容によれば、残ったフォルンたちが魔王を倒し、封印したそうだよ」
僕はなにも言わず、キャロの横に並んだ。話を聞いて動揺するニクリを真っ直ぐ見つめる。
キャロは嘘をついた。本当の歴史を話さなかった。
それが彼女の出した答え。だから僕も、目を逸らさずニクリを見ることができる。
いま言ったことが、本当だと。
ニクリは僕とキャロの表情を見て愕然とする。
「そ、そんな……それでは……歴史は」
「リロたちには申し訳ないけど、歴史は本当だった。偽りなどなかったということだ」
「そう、ですか……。わかりました。組織には、そう報告させてもらいますね」
「……ニクリ。それはできない。ここから逃げられると思うの?」
「え? あぁ……はい。もうすぐわかりますよ」
「ニクリ?」
フッ――。
ニクリの影と、周囲を照らしていた光が同時に消える。
光を失うと、再び闇に包まれる。いやこれは単に夜だからだ。建物が崩れてもうほとんど外にいるようなものだった。そしてそんな瓦礫の中、ニクリがいたはずの場所に――見たことのない男の人が無言で立っていた。香炉のようなものを両手で抱えて持っている。
「な……ニクリ!? どこにいった――」
「うお! やっと出られたぜ。つーかここどこだ?」
後ろから声が聞こえて振り返ると、冒険者のガレッドがキョロキョロと辺りを見渡していた。そして僕と目が合い、
「お、ヨルムじゃねぇか! そうか、キャロに助けられたんだな」
「は、はい……」
「面目ない、俺は捕まっててな。いやとにかく無事でほっとしたぜ」
近付いてきて僕の頭をワシャワシャと撫でるガレッド。この時はまだ知らなかったけど、ガレッドを中心に冒険者やトゥエン家の人たちが総出で僕を探してくれていたらしい。
「んで? その突っ立ってる男が犯人ってわけだな」
「それは――」
「ガレッドさーん!! よかった、無事っすね?」
そこへ、ほとんど崩れた扉と壁の向こうから冒険者らしき人たちが入ってきた。そこで改めて周囲を見渡して驚愕する。天井が吹っ飛び、二階部分は完全に無くなっていた。日が暮れて暗い夜空が丸見えだ。残った壁も穴だらけでいまにも崩落しかねない危険な状態だった。
ガレッドは入ってきた冒険者に指示を出す。
「俺はなんともねぇ、行方不明の学生も保護した。でも建物が危険だ、こいつらを避難させてくれ。近隣に被害が無いかの確認もだ。それとあの男を捕らえて、ここらを調査するぞ。崩落に気を付けろよ。……それと城から警備兵が来るだろうから説明頼む」
「了解っす! 警備兵はガレッドさんにお任せしますっ」
冒険者たちが慌ただしく動き始め、僕らも危険だからと崩れかけの建物から遠ざけられた。
結局、建物の瓦礫からは男が持っていたものとは別にもう一つ香炉が見つかっただけで、他に誰もいなかった。そして――
「さっき聞きそびれたが、この男がヨルムを攫った犯人で間違いないな?」
「……はい」
僕らはニクリの名前を出さなかった。
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