6「ヨルムの魔法とダークウルフ」


 400年前、英雄フォルン・リカッドは仲間のスザン・エルテリスとブレイダ・トゥエンと共に魔王城に乗り込んだ。

 魔王城には魔王最強の配下である黒炎の魔物ケルベロスが待ち受けていた。

 その名の通り黒い炎の身体を持つ、三つ首の狼。その首はそれぞれ黒炎こくえん青炎せいえん灼炎しゃくえんを操り多くの人間が犠牲になっている。ケルベロスとの対決は避けては通れない道だった。

 ケルベロスはその三つの首を同時に落とさなければすぐに再生してしまう、恐ろしい魔物。簡単に倒せる魔物ではなかった。ブレイダとスザンが炎を受け止め必死に隙を作ると、雷魔法と剣技を組み合わせた二刀魔法剣でフォルンが一閃。三つの首を落としてようやくケルベロスを倒すことができた。

 しかしケルベロス戦で消耗したフォルンたちは続く魔王との戦いに苦戦してしまう。なんとか追い込むことはできたものの、その異常な生命力を滅することができず、スザン・エルテリスの魔術を用いて地下深くに封印することにしたのだ。


 かくして魔王は封印された。

 残った魔物は統率を失い各地の冒険者に討伐され、その数を減らしていく。

 封印の英雄となったフォルン・リカッドは封印の地に城を建て、国を創った。

 世界の再興がここから始まったのだ――。



 これが、僕たちが幼少期から聞かされてきた封印の英雄フォルン・リカッドの伝説だった。

 フォルンは国を治め、ブレイダは育成のために学園を運営し、スザンは救済の旅に出る。

 現代に連なる、歴史の物語。


 ――この話の『もしもの話』なんて、いままで考えたこともなかった。



               *



「はぁ~~~~……やっぱりヨルムの魔力は心地いいよぉ」


 いつものように僕は、隠し部屋のソファで横になったキャロに膝枕をしていた。

 今日はキャロが少しでも長くこうしたいと、放課後急いでこの部屋に入った。キャロがこんなことを言うのは初めてだ。もしかするとそれは――。


「ヨルムー、さっきのニクリの話なんだけどさぁ」

「あ……うん」


 昔流れたという魔王にまつわる噂話。封印の地に魔王は封印されていない、というあり得ない話だった。

 キャロがこの部屋に早く来たかったのは、その噂話のことを話したかったんじゃないかと思っていたのだ。


「私がした、もしもの話。覚えてる?」

「えっと、もし魔王を倒していたのが真実だとしたら、封印したと嘘をつかなければならない理由があったことになる……だっけ」


 魔王は封印ではなく倒された。そう仮定した場合、当然そういうことになる。


「そうそう、私が言いたかったのはそういうことー。でさ、その場合どんな理由があると思う?」

「えぇ? いや、ぜんぜん思い付かないよ」


 思い付くはずがなかった。さっきもその話になったけど、倒したなら倒したと言うはずだし、倒したのに封印したと言う理由なんてあるとは思えなかった。当時もそういう理由ですぐに噂が消えたそうだし。


「キャロはなにか思い付くの?」

「さあね。私も本当にわからなくってさぁ。フォルン・リカッドはなにを考えてたんだー?」

「…………」


 キャロの言い方はもしもの話をしているように聞こえなかった。

 もちろんそんなはずはない。もしものはずだ。

 だけど……何故だろう、信じそうになる。なにか理由がないか考えてしまう。


「もう一つ気になることがあるんだよね。200年前、なーんでそんな噂が流れたのかなぁ」

「それは……平和すぎたからって、ニクリが言ってたけど」

「もちろんそれもあるんだろうけどさ、でもそこまでの噂になる? ヨルムだってニクリの話を聞いた時そんなわけないって思ったでしょ? 誰も信じないはずなんだよ」

「あぁ……うん、僕もそれ不思議に思ったよ」


 僕は不思議に思った程度だけど、キャロはハッキリと噂になること自体おかしいと思ったようだ。でも事実として、少なくとも書物に残るくらいには噂は広まっている。


「確かに気になるけど、でも昔から荒唐無稽な陰謀論的な話はあるみたいだよ。魔王を生み出したのは封印の英雄自身だとか、無茶苦茶な創作話が」


 封印の地でなにかあったという話はないが、そういう信憑性の無い話なら聞いたことがあった。


「あっははは! さすがにそれはない。ぜったい無い」

「うん。あり得ないとわかっていても、その内容を楽しむ人がいるんだよ」

「あー……なるほど。人の噂って、いい加減だなぁ」

「僕もそう思うよ」


 魔王は封印されていない。当時もきっと、おもしろおかしく取り上げられただけなのだと思う。それが真実かどうかは別の話だ。


「うーん、そっかそっか。ヨルム、ありがと。おかげで落ち着いたよー」


 キャロはそう言って、気の抜けただらけた顔になる。

 僕は思わず笑ってしまった。普段のキャロはこんな顔を見せない。冷静でカッコいい、美しい孤高の天才。こんなにも安らいだ、警戒心の無い顔は僕だけが知っているんだ。



「ねぇヨルム。カリィヌたちが来る前にいつものとこ行っちゃわない?」

「え? それは構わないけど、どうして?」


 キャロは身体を起こして、半身で振り返っていたずらっぽく笑う。


「ちょっとヨルムの魔法を見せて欲しいんだ」



               *



 僕の魔法が見たい。そんなキャロのリクエストで僕らは街の外に出た。いつもキャロとカリィヌが勝負をしている場所だ。

 どうして突然そんなことを言い出したのか理由を聞こうとしたけど、カリィヌが来ちゃうからと急かされて教えてくれなかった。


「僕の魔法なんて見たって面白くないと思うけど……」

「いいからいいから。ほら、なんか適当にやってみてよ」


 なんか適当にってそれ一番困る。もっとも僕が使える魔法なんて少ないし、学園で習う基礎的な魔法……ウィンドボールを使えばいいかな。


「じゃあ、いくよ」


 腕を前に伸ばし、手のひらを広げる。

 学園の先生は身体の中にある魔力を一点に集中するイメージを作れと言う。だけど僕はそのイメージが苦手だった。まず身体の中にある魔力が感じられない。こうして魔法を使おうと意識することで、手のひらに魔力が集まったのだけはわかる。つまり、魔力が集まっていくのは感じることができないが、結果である集まった魔力は感じることができるのだ。しかしそうして放った魔法は――


「ウィンドボール!」


 手のひらから風の塊が放たれ、目の前の樹にぶつかった。魔法は樹の皮を少しだけ削ってすぐに霧散してしまう。


「う……」


 ――弱い。ウィンドボールという魔法自体に樹を倒すほどの威力はないが、それにしたってもっと傷付けることはできるはず。魔力の出力が低いのだ。

 キャロによれば、僕の魔力は変質していて自在に扱うことができない状態らしいけど、何度聞いても魔力が変質しているという説明はよくわからない。だけど魔力を自在に扱えない――僕が体の中の魔力を感じることができないのはそういうことなんだと納得することはできた。

 とはいえ、それでなにが変わったわけでもない。結局魔力の出力は低いままだ。


「ヨルム、やっぱり魔力が練れない感じ?」

「うん……どうしても身体の中の魔力っていうのが感じられなくて」

「ん~~その魔力もさすがに馴染みそうなものだけど、そう簡単な話でもないのかな。変質した理由もわかんないままだし……。ま、今日はヨルムの魔力で風魔法が見れたからいっか」

「僕の魔法が見れたから?」

「うん、ちょっと懐かしいっていうか……あ、そうだ!」


 懐かしい? 僕の魔法が? それとも……?

 だけどその疑問は考える間もなくどこかに吹き飛んでしまう。キャロが正面に立って両手で僕の右手を取った。


「キャ、キャロ――?」

「ヨルム! いまから私が教える魔法を使ってみて」

「魔法を、キャロが?」


 キャロは少し後ろに下がり、僕の腕を引っ張って真っ直ぐ伸ばす。


「大丈夫、ちゃんと風魔法だから。あ、手のひらは開かないで。握って、拳を作って」

「う、うん。こう?」

「そう、おっけー。……いい? ヨルムはいま、

「え……剣?」

「そういうイメージをしてってこと。でもただの剣じゃないよ。風属性の魔力で作った剣。ほら、手の中に集まった魔力は感じられるんだよね? それをすーっと横に伸ばして」


 キャロはそう言いながら、左手で僕の手を取ったまま、右手を離しスライドするように横に腕を広げて身体を開いた。その手の動きを見ていた僕は、釣られるようにして魔力を剣のように伸ばすイメージができた。


「さあ、もう一度。ヨルムはいま、剣を握ってる。風の剣――ウィンドブレイド」

「ウィンドブレイド――」


 その名を呟いた瞬間、握った拳に集まった魔力がイメージ通り剣のように伸びるのを感じた。一直線に魔力が凝縮する。僕はそれをしっかり握るため、拳に力を込めた。


 ――ブワッ!!


「こ、これは!」


 拳を中心に風が広がり、手の中にエメラルドグリーンの剣が現れる。まるで美しい宝石で作ったように透き通った刀身が淡く光っている。

 なんだろう、こんな魔法見たことも聞いたこともない。剣や槍のような形状にして放つ魔法はあるけどこれは違う。物質として握っている感触があった。


「おぉすごい、一発でできた! ヨルム才能あるよ!」


 キャロは僕の手を離して剣を凝視しながら喜んでいる。彼女の教え方がよかったのはもちろんなんだけど、イメージができて名前を呟いた瞬間すんなり成功してしまった。こんなことは初めてだ。


「……あれ? でもこれ、どうすればいいの?」


 剣を作ったまではいいけど、このあとどうすればいいかわからない。これを使って剣技で戦う魔法なのだろうか。


「ウィンドブレイドはその剣をどう振るうかで効果が変わる魔法だよ。ほら、さっきの樹に向かって突きを入れてごらん」

「効果が変わる? わかった、やってみる」

「あ、剣を当てなくていいからね。素振りで」


 さっきのウィンドボールをぶつけた樹の方を向く。剣の扱いは授業で習っているし、毎朝素振りだってしている。その時と同じように構え、剣を握った手を後ろに引いた。


「――ハッ!!」


 狙いを定め、突き出す。剣の動きに併せて風が走るのを感じた。そして、


 ブオォォォ!


 風が渦を巻き、突きの軌道に沿って真っすぐ飛んでいった。


 ズガガッ!


「これは――! ……あれ?」

「うーん、威力は変わらないかぁ……」


 樹が少しだけ抉れている。さっきよりは傷がついていた。でもこれでようやく普通のウィンドボールレベルの威力だ。キャロもこう言ってるし、想定より威力が低いのだろう。


「やっぱり魔力の問題をなんとかしないと、僕は……」


 もしかしたらって期待したけど……このざま。

 魔力の出力が低くなってしまうの解決しなければ、僕は冒険者になれないんだ。


「ヨルム、私がついてる。きっとなんとかできる!」

「キャロ……うん。ありがとう、諦めないよ」


 落ち込みかけたけど、大丈夫。僕の魔力の性質を見抜き、すごい魔法を教えてくれたキャロが側にいる。いつかちゃんと魔法が使えるようになるはずだ。


「さてそろそろカリィヌたちが来るかな? 先に来ちゃった言い訳考えよっか――」


 ――ガササッ。


 その時、茂みが揺れる音がした。


「あ、噂をすれば。カリィヌたちが来たのかも」

「――いや、音は森の奥からだ。ヨルム、下がって!」


 キャロに言われて森の方を向くと、木々の隙間に蠢く黒い影が見えた。――なにかがいる。


 ガササササッ!


 影の中に浮かぶ真っ赤な眼光に気付くのと、そいつが飛び出してきたのは同時だった。漆黒の体毛で覆われた四つ足の大きな獣、狼タイプの魔物だ。四つ足の状態でも僕らと同じくらいの高さがある。ピンと伸びた耳がこちらを警戒し、鼻に皺を寄せて恐ろしい形相で僕らを睨む。しかしよく見ると片方の目元に傷があり潰れていた。他にも身体に無数の傷を受けている。半開きの口から血が混じったよだれがぼとりと落ちた。明らかに手負いだ。


「ダークウルフ……。ヨルム、目を離しちゃだめだよ。飛び掛かってくるから」

「そんな……どうして魔物がこんなところに?」

「冒険者の討ち漏らしでしょ。ダークウルフは必ず複数で動くから。一匹逃げてこっちに来たんだ」

「な、なるほど。キャロ、よくわかるね。僕ら学生なのに」

「私は古代人だから」

「う、うん?」


 キャロはその一言で説明を済ませてしまう。古代人だから魔物にも詳しいと言いたいらしい。


「私の魔法でトドメを刺せるけど――油断はしないでおこう。ヨルム、レグスセンスをお願い。さっきも言った通りダークウルフから視線を外さないようね」

「わ……わかった」


 キャロに言われた通り、僕はダークウルフの目を見ながらそっとキャロに近付き、隣にしゃがみ込む。キャロが片手でスカートを捲った。

 僕は横目でそのふとももを見る。……相変わらず素晴らしい足だった。美しい白い肌だった。こんな時なのに、つい魅入ってしまいそうになる。


「さわる、よ」


 ドキドキしてしまう自分を抑えるように、声をかけてからキャロのふとももに触れる。だけど触れた瞬間意識がどっかに飛びそうになる。すべすべの最高の触り心地。柔らかい感触。もっともっと触りたくなってしまう――。


 ――ドクンッ――


 身体の中のなにかが脈動する。レグスセンスが発動し、魔力が繋がった。

 魔法を使う時には感じることのできない魔力が、この時だけはわかる。


「っ……あぁ、ヨルムの魔力……いぃ!」


 キャロの魔力が増幅、白い光となって身体から漏れ出した。

 その膨大な魔力はダークウルフにも見えているのだろう。低く唸りながら後ろに下がろうとする。


「逃がさないよ、ダークウルフ。手負いでもお前は危険だ」


 キャロが右手を挙げ、空中に光球を生み出す。そしてシュンッと細長く伸び、槍状になった。

 きっとダークウルフはこのキャロの魔法に貫かれて倒される。でも……。


「キャロ……僕も、戦うよ」


 僕はしゃがんだまま、右腕を前に伸ばした。


「ううん、ここは私が――あ、でも冒険者を目指すなら経験しておくのもありかな。わかった、いざとなったらフォローするから、魔法を打ち込んでみて」

「ありがとう」


 僕は拳を作り、さっき教えてもらったように剣をイメージする。

 ウィンドブレイド。右手に集まった魔力が風の剣になる。やっぱりすんなり作れた。しかも心なしかさっきよりも魔力の出力が多い気がする。


「え、ヨルム? ……まさか魔力が――? って、なんでもないなんでもない。集中して!」

「……うん」


 僕は風の剣を後ろに引いて構える。

 正直、僕の魔法で倒せるとは思えなかった。わずかに木を削る程度の威力ではダメだろう。視界の隅にキャロの光魔法が目に入る。僕の魔法とは比べ物にならない魔力。例えダークウルフが無傷でも倒せてしまうだろう高威力の魔法だ。

 比べてはいけない。わかっているけど、こうして並んで魔法を使うと意識してしまう。


 ……だめだ。キャロに言われた通り集中しろ。

 ダークウルフが動き出す前に――。


「見つけたぞ、ダークウルフ! ――ん? まずい、誰かいるのか!?」


 森の奥、ダークウルフの後方からそんな声が聞こえてきて――僕は思わず、そっちを見てしまった。


「グゥオオオオオン!」

「――!!」


 その瞬間、ダークウルフが僕に飛び掛かって来た。

 ――目を離すなって言われていたのに!


「ヨルム!! ――トラスト!」


 キャロの声に体が反射的に動く。立ち上がった勢いで一歩踏み込み、突きを繰り出す。風が走り、渦を巻く。剣に込められた魔力が放出され、頭が真っ白に――。


 ブオオオォォォォ!!


「キャウン!!」


 ダークウルフの断末魔が聞こえ――そこでようやく頭に情報が入ってきた。ウィンドブレイド・トラスト。撃つことはできた。でもダークウルフの身体は無数の光の槍に貫かれて穴だらけだ。そしてその巨体は空中でひっくり返り、ズンッという重たい音を立てて仰向けに倒れた。


「――――ッ、ぷはっ! はぁ、はぁ、はぁ」


 息を止めていたことを思い出し、慌てて呼吸をする。


(魔力……出力、多くなってたから。もしかしてって、期待したんだけどな)


 倒したのはキャロの魔法。

 やっぱり僕には、魔物を倒すことができなかったようだ。


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