02:連続怪死事件


 翌日、俺は掲示板のことなどすっかり忘れていつものように出勤する。

 ただでさえ苦手な朝に、通勤電車でもみくちゃにされたメンタルは早々に折れそうだった。

 けれど、仕事でミスでもして篠崎に弱みを見せるわけにはいかない。


 そう思って仕事をしていたのだが、その日はなぜか昼を過ぎても篠崎が会社に姿を現すことはなかった。

 今日は休みとは聞いていなかったので、不思議に思いながらも社員食堂で昼食を済ませる。

 嫌いな相手と顔を合わせずに済んだ午前中は、どことなくいつもより爽やかな気分だった。


 そうして午後の仕事に取り掛かろうとデスクに戻ろうとした時、何だかフロアがやけに騒がしいことに気がつく。

 どうしたのかと思っていると、同僚の澤野さわのが俺の姿を見つけて小走りに近づいてくる。


「オイ、大変なことになってんぞ……!」


「どうしたんだよ? 取引先と何かトラブルか?」


 そうだとしたら今日も残業になってしまう。

 せっかく気分良く午前中を終えたというのに、午後からは面倒な仕事が増えてしまうのだろうか。

そんなことを考えていた俺に、澤野は青ざめた表情で背中を叩いてくる。


「バカ、それどころじゃないっての! 篠崎さん死んじまったんだって!」


「……は?」


 仕事中にそんな冗談を言うなんて、誰かに聞かれていたらどうするつもりだ。

 確かに澤野も、篠崎に嫌がらせを受けている仲間の一人なのだが。


 けれど、当の澤野は冗談を言っているような雰囲気ではない。


「さっき部長が電話で話してるの聞いちまったんだよ。通勤途中で倒れて搬送されたらしいんだけど、死に方が普通じゃなかったって」


「普通じゃないって……事故だったとか?」


「いや、それがさ。外傷はまるで無かったらしいんだけど、頭の中で脳ミソだけが破裂してたんだって」


 いくら憎い相手だとはいえ、澤野はこの手の冗談を言うような奴ではない。

 にわかには信じ難い話だが、澤野が聞いた話が本当なのだとすれば、確かに普通の死に方ではないだろう。


 どこから広まったのか、すっかり噂話で持ちきりだったフロア内は、部長の一喝いっかつする声で業務に戻っていく。

 しかし、その部長自身の動揺した様子からも、それがただの噂では済まない話なのだということは理解できた。


 定時になる頃には、正式に篠崎の訃報ふほうが伝えられた。

その詳細は病死だとして伏せられていたが、帰宅する頃には不審死としてネットニュースで取り上げられているのが目に入った。

 やはり澤野の言っていた通り、電子レンジに入れられた卵のように、脳だけが破裂していたのだという。


(あのサイト……本当に、本物だったってことか……?)


 偶然という可能性もゼロではないのだろうが、普通に生活をしていてこんな死に方をするとは思えない。やはりあの匿名掲示板には、何らかの力が働いているのかもしれないと思わされた。


 そんなことを考えながら帰宅した俺は、再びあのサイトを開いていた。

 本当に人を殺すことができる力があるというなら、それを確かめてみたくなったのだ。


『隣の部屋の住人が騒がしくてムカつく。声もデカいし物音も立てまくるし、朝から晩まで毎日迷惑してる。いなくなってほしい』


 書き込んだのは、俺の隣の部屋に住んでいるとある人物についてだった。

 何度か見かけたことがあるが、年齢は四十代くらいの小汚い女だ。

 一人暮らしをしているようだが、早朝や深夜といった時間帯を問わず大きな物音を立てて生活をしている。


 窓やドアの開け閉めひとつを取っても、叩きつけなければできないのかというほど乱暴だ。

 かかとからドスドスと歩く足音も響く上に、大音量のテレビに負けず劣らず笑う声もデカい。

 アパートの管理人伝いに注意を頼んだこともあったのだが、改善される様子は見られなかった。


 この女のせいで寝不足になったことは数えきれないし、周囲の住人だって迷惑している。

 いっそいなくなってくれれば、近隣住民の生活もましなものになるだろう。


 そんなことを考えながら眠りに就いた翌日、いつものように出勤して夜に帰宅をした。

 いつもと違っていたのは、アパートの前に数台のパトカーが停まっていたことだ。


 まさかと思って、周囲を囲んでいた野次馬の一人に何があったのかと声を掛ける。

 すると、俺の部屋の隣に住んでいるあの女の遺体が発見されたのだと聞かされた。


 発見したのは管理人で、玄関のドアが半開きになっているのを不審に思って中を覗いたようだ。

 そこで目にしたのは、血まみれになって廊下に倒れる女の姿だった。

 その死に様はまた不自然なもので、篠崎と同じように外傷は無かったらしい。

 であるにも関わらず、身体中の骨や内臓が何らかの圧力によって潰されたようにグチャグチャだったという。


 隣人だということで俺も事情聴取を受けることになったが、早朝から会社にいたというアリバイがあったので、特に疑われることもなかった。


「……やっぱり、このサイトは本物なんだ」


 人を殺すことができるサイト。

 その事実に恐怖するよりも、俺の気持ちは高ぶっていた。


 どういう仕組みなのかはわからないが、この掲示板に書き込みをすることで、自分の手を汚すことなく憎い相手が勝手に死んでくれるのだ。俺はただ、それを待つだけでいい。

 そう気がついた日から、俺は手当たり次第に気に食わない人間についての書き込みをするようになっていた。


 最初は仕事関係や過去に付き合いのあった同級生など、自分にとって不利益をこうむった記憶のある人物を挙げていった。

 けれど、気に食わない人間というのは、目を向けてみれば世の中には山ほどいるものだということに気がつく。


 道端ですれ違いざまに肩がぶつかったというのに、謝るどころか舌打ちをした男。

 帰宅ラッシュの電車を待つ列の先頭に、当然のように割り込みをしてくる老人。

 視線も向けず投げつけるように釣銭を寄越してきた、コンビニの店員。


 世の中にはこんなにも、消えてほしいと思うような人間が存在していたのだ。

 あのサイトの存在を知るまでは、不平不満を書き込むだけで満足していた自分が信じられない。


 すっかり書き込みをすることにのめり込んでいた俺は、通勤中や仕事の休憩の合間にもスマホから書き込みをするようになっていた。

 見ず知らずの相手の訃報も、テレビやネットニュースで知ることができる。

 異常な死に方が続いていることから、「連続怪死事件」として取り扱われているからだった。

 ニュースでは報道されないような詳細も、どこから漏れたのかネットに出回る便利な世の中だ。


 ある者は、全ての臓器の溶解による死亡。

 ある者は、喉から胃袋まで大量の髪の毛が詰まったことによる死亡。

 ある者は、肺全体をじわじわとあぶられたことによる死亡。


 いずれも外傷がなく、人の手による犯行とは思えない上に、犯人に繋がるような手がかりも見つかっていないという共通点があった。


 匿名掲示板とはいえ、警察が調べれば書き込んだ人物が俺であると特定される可能性は十分にある。

 けれど、それによって俺が逮捕される可能性は無いと考えていた。


 なぜなら、俺の書き込みはあくまで「隣人」や「上司」といった抽象的なものばかりで、死亡した人物を直接名指ししているわけではない。死に方だって指定していない。

 それに、死亡時刻には会社で仕事をしているという完璧なアリバイもあるのだ。


 俺はあくまで書き込みをしているだけで、手を下しているわけではない。

 誹謗中傷の書き込みをして、精神的に追い込まれた相手が自殺をするようなケースとは違うだろう。


「さて、今日は誰を書き込んでやろうかな」

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