惨殺希望サイト

真霜ナオ

01:匿名掲示板


 匿名掲示板というものは、使いようによってはかなり便利なものだ。

 そう知ったのは、つい最近のことだった。


 社会人になってからは、親しかった友人たちと連絡を取り合う機会も、楽しいと思える時間も減った。

 代わりに各段に増えたのは、抱えるストレスと孤独、劣等感や焦燥感だった。


 三十路も近くなり、時折耳に入る結婚や昇進のおめでたい話。

 祝福の言葉とは裏腹に、心に積もっていくのは「自分は一体何をしているのだろう」という虚無感だ。


 残業に休日出勤。仕事に押し潰されていく毎日の中で、ストレスのけ口となっているのは、もっぱらインターネットの中だった。


 匿名掲示板では、現実とは異なる別人になりきることができる。

 職場の悪口や友人への嫉妬心など、みにくい本音をさらけ出しても現実の自分を否定する者は存在しない。


 最近の俺の日課は、職場の嫌いな上司に関する悪口を書き込むことだった。


 俺の上司・篠崎隼人しのざき はやとは見た目がいい。

 身長も高く清潔感があって、仕事もできる上に美人の奥さんがいるという話も聞いていた。

 物腰柔らかで人当たりがいいことから、女性社員からの人気が高いことも知っている。


 だが、それはあくまで篠崎の表向きの姿だ。

 頭の回転が速く要領もいいので、篠崎がそういう人間だと信じ込んでいる社員は大勢いる。

 けれど、あの男は裏では気に食わない社員に対して、何かと理由をつけてはきつく当たっているのだ。


 なぜそんなことを知っているかって?

 それは俺自身もまた、篠崎にとって気に食わない社員の一人であるからにほかならない。


 本来ならば篠崎がやるべき仕事を押し付けられ、そのくせ片付いた仕事は自分の手柄のように振る舞っている。

 二人きりの時には「この程度の仕事もこなせないのか」と馬鹿にされ、篠崎がミスをした時には俺のせいにされたこともある。

 腹立たしいが、事実を暴露したところで信じてくれる者は多くないだろう。むしろ、仕事ができない社員のひがみだと捉えられるのがオチだ。


 篠崎に対して、特別な恨みを買うような何かをしたわけではない。『気に食わない』の基準はあるのだろうが、自分よりもカーストが下の男を見下しているのだ。

 あの男に比べればずっと不器用な俺は、反撃することもできずにただ匿名掲示板で愚痴をこぼすしかなかった。

 それでも、俺を慰めてくれる同じ境遇の匿名の人々の言葉のお陰で、どうにかこの苛立ちを消化していたのだ。



 そんな俺に転機が訪れたのは、いつも通り残業を終えて古びたアパートに帰宅したある日の夜だった。

 ネットサーフィンをしていた俺は、初めて目にする匿名掲示板を見つけたのだ。


「……惨殺希望サイト?」


 過激なサイト名と、真っ黒な背景に血痕が散りばめられた赤文字の掲示板は入室を躊躇ちゅうちょさせる。

 それでも、少しの好奇心から中を覗いてみた俺は、そこにあった書き込みに驚いた。


 作りはどこにでもあるような匿名掲示板なのだが、書き込まれている内容は、ざっと目を通しただけでも過激なものが多いことがわかる。



『無能な部下のせいで大事な商談が台無しになった。切り刻んでやりたいほど憎い』


『親友だと思っていた女に彼氏を奪われた。二人まとめて殺してやりたい』


『隣の家のゴミ屋敷、マジで迷惑。家ごと家主も燃えちまえ』



 これまで、匿名掲示板を通じて多くの愚痴や苛立ちの言葉を目にしてきた。

 しかし、この掲示板への書き込みは、明らかに他者への死を願うような書き込みが多いのだ。

 逆に、それをとがめる理性的な書き込みは見られない。


これほどまでに憎しみに満ちた言葉が多いのは、過激なサイト名による影響なのだろうか?

 履歴を辿っていくうちに、俺はさらに目を疑う書き込みを見つける。



『嫁の愛人が無事死亡。やっぱこのサイト本物だわ、サンキュー』



 多くの恨みつらみが書き連ねられている中で、その書き込みはひと際目を引いた。

 そこには多くの返信が書き込まれていて、嘘だろうと疑うものよりも、本物であることの証明に歓喜するような書き込みの方が多かったのだ。


「本物……って、一体どういうことだ……?」


 掲示板はあくまで匿名だ。でっちあげや適当なことを書き込む人間も多く、一般人にはそれが真実だと証明する術などない。

 匿名性が守られている場だからこそ、現実とは違った自分を解放して空想の世界に浸るのだ。

 仮にこの書き込みをした人物の言うことが本当だったとして、サイトが本物だとはどういうことなのかわからなかった。


「……あ、注意書き」


 書き込みにばかり注目していたが、よく見ればサイトの隅には小さく『注意書き』と書かれたリンクが貼られている。

 そこをクリックしてみると、このサイトに関する注意書きらしき文字が羅列されているページに飛ばされた。


「希望のお相手、惨殺します……?」


 注意書きの内容は短いものだったが、要約すれば殺してほしい相手について書き込めば、その人物を惨殺してくれるというものらしい。

 だからこの掲示板の書き込みは、誰かの死を願うような過激なものが多かったのだろう。


 とはいえ、所詮は匿名掲示板だ。

 そんな力があるとも思えないし、匿名の人間が書き込んだ相手をどのように見つけ出すというのだろうか?


「バカらしい……」


 そう思いはしたのだが、こんな匿名掲示板に書き込みをしてしまうくらい、ストレスを抱え込んでいる人が大勢いるのだろう。

 その何よりの証拠が、この書き込みの数だ。


 過去の履歴は到底さかのぼりきれないほどで、少なくとも昨日今日立ち上げられたばかりの掲示板ではない、ということだけはわかる。

 こんな場所に書き込むだけで憎い相手がいなくなってくれるのであれば、俺の人生ももっと快適なものになっていることだろう。


 そんな風に思って掲示板を閉じようとした時、つけっぱなしだったテレビから流れるニュースが、耳に飛び込んでくる。

 どうやら都内で、無差別殺人事件が起こったらしい。

 犯人は現行犯として逮捕されていて、複数の死傷者が出ているようだった。


『警察の発表によりますと、犯人は「刺せれば誰でも良かった、人を殺してみたかった」などと供述しているとのことです』


 無差別殺人事件で、よく耳にする常套句じょうとうくだと思った。

 誰でもいいと言いながら、犯人は自分より力の弱い女性や子どもを狙っていたのだろう。


 そんな予想の通り、被害にったのは女性ばかりだとキャスターが告げていた。

 唯一男性で怪我を負ったという人物も、犯行を止めようとした流れでの刺し傷だったようだ。犯人が意図して狙ったわけではない。


「誰でも良かったんなら、篠崎でも殺してくれよ」


 見ず知らずの犯人に、俺はそんなことを願ってしまう。

 自分の手を汚さずに、憎い相手が被害者になってくれたならどれほど幸運なことかと。

 閉じかけていたサイトに向き合った俺は、少し悩んでからキーボードに指を乗せる。いつも匿名掲示板でそうしているように、真っ黒な掲示板に短く書き込みをした。


『会社のクソ上司が憎い。この世から消えてほしい』


 書き込みのボタンを押す時には少し躊躇したが、篠崎の名前を出したわけでもなければ俺自身も匿名なのだ。

 時間が経てば、こんなありきたりな文章は同じような書き込みの波に埋もれていくことだろう。


 明日会社に出社をしたら、篠崎の存在が消えて無くなっていた。そんな妄想をすることで、俺の胸は少しだけスッとしたような気がして満足する。

 掲示板をブックマークしてからパソコンの電源を落とすと、俺は明日に備えて就寝することにした。

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