窮地にて

 恐怖と罪悪感で手がカチカチと震える。あれだけ熱かった体は、今は完全に冷え切っていて、指先の感覚が無い。そんな冷たく震える手で、空になったマガジンを引き抜き、新しい物へと交換する。そうするように訓練されたからだ。でも、こんなことに意味なんてあるのだろうか。こんな武器を持っていたところで、あの怪物たちには何の効果も無いというのに。


 押しつぶされそうな心を庇うように、マガジンを交換したばかりの銃をギュッと抱え、人が隠れられそうな瓦礫の間に身を潜めて縮こまる。そこから見えるのは、人の気配が一切感じられない廃墟の街。きっとアンヴァラスに襲撃され、ずっと前に放棄された街なのだろう。


 廃墟とは言え、この規模の街があるということは、恐らく火具土まではそう遠くはないだろう。なら、歩いて辿り着けるだろうか。怪物の闊歩かっぽする地獄のようなこの荒野を。でも、隊の仲間も移送物も投げ出して、私だけが生き残ってノコノコと帰ったとして、それでどうしろというのだろう。いっそのこと、私もあの場で、みんなと一緒に……。そんなネガティブなことばかりを考えていると、ふと、父が私に言った言葉を思い出す。


『お前には、雨衣咲としての価値が無い』


 私を全否定した父。それに反発した私は、行くアテも無いままに家を飛び出し、気付いたときにはWEフォースへ入隊していた。けれど今の結果を見れば、きっと父の方が正しかったのだろう。もしもあのとき、父の言うことを受け入れて、その後も全部言う通りにさえしていたなら、こんな目には遭うことはなく、少なくとも、生きていることは許されたのだから。


 ネガティブな思考に陥った私は、その場で俯いてしまう。しかしそのとき、上からパラパラと、被っていたヘルムに砂粒が降り注ぐ。反射的に上を向くと、そこには先ほどの蝙蝠型のアンヴァラスが頭上にある瓦礫の上に立ち、こちらを見下ろしていた。ニタリと笑う怪物。それと目が合うと――。


「Jyaaaaaaa‼」


 金属を擦り合わせるような圧倒的な音圧を以て、怪物は絶叫する。


「……あっ……う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁ⁉」


 頭から降りかかる咆哮の音圧が恐怖を煽り、私は怪物と張り合うかのように悲鳴を上げていた。そんな中、無我夢中で銃の引き金を引き絞ると、幸いなことに殆どの銃弾が怪物に命中する。が、やはり怪物はそれを全く意に介した様子もなく、私に向かって鍵爪を振り下ろそうと構えた。けれどそれよりも先に、私の撃った銃弾が怪物の足元に着弾し、バランスを崩した怪物はその場でたたらを踏んで、一瞬私への攻撃が遅れる。


 逃げなくちゃ。


 そう思うや否や、私は瓦礫の下から這い出し、全速力で走り出す。家のことや任務だとか、今はそんなことはどうだって良い。今度は心臓が破裂したって構わない。とにかく、生き残ることだけを考えなくちゃ。ただ前を目指して――。


 そう決心すると、私は一直線に走り出す。しかし疲労と混乱で揺れる視線の先、突如空から飛来してきた二体の蝙蝠型の怪物に、行く手を塞がれてしまう。そうだ、怪物は三体いたのだ。前方を塞がれ、咄嗟に踵を返して反転しようとすると、もう目と鼻の先に最初に私を見つけた怪物が迫りつつあった。


 前にも後ろにも、もう逃げ場は無い。だけど戦おうにも、銃は今逃げている最中に落としてしまって、残っているのは支給された長剣が一本だけ。銃弾の効かない怪物に、こんな物で太刀打ちなどできる筈がない。


「もう、駄目だ……」


 腕はダラリと垂れ下がり、目をつぶって死を覚悟する。どうしようもならない状況を前にすると、案外すんなりと諦められて冷静になれるもので、このときただ私は、その瞬間が訪れるのを待った。すると――。


 “生命活動放棄ノ信号ヲ検知。ソレハ、承諾サレナイ。スイッチヲ入レロ”。


「……えっ、なに……?」


 耳元で誰かに何かを言われたような気がした。咄嗟に聞き返すも、辺りには誰も見当たらない。聞き違いだったのだろうか。そう考えていると、突如私の体の中で変化が生じ初める。体の奥底から滲み出す何か。それは中心部から末端まで速やかに広がり渡り、一瞬、自分の体が自分の物ではなくなったかのような感覚を覚える。そんな異様な感覚に戸惑う間もなく、気が付くと、私は腰の剣を抜き放っていた。


 剣の先には巨大な鍵爪。それを私の振り上げた剣が、あの怪物の鍵爪を受け止めている。軽々と装甲車を引き裂き、隊のみんなに振り下ろしていたそれ・・。そのときの光景が脳裏にフラッシュバックすると、ジクリ、ジクリと、たった今感じたばかりのあの異様な感覚が、今度はより強烈に湧き出してくる。


 強く体を奮い立たせる正体不明な何かは、思考するよりも先に行動を起こさせる。体には驚く程の力がみなぎっていて、私よりも倍以上はあろうかという怪物の体を押し返した。


 訓練校で三年間使い続けたこの長剣。私が覚えている限り、一度だってまともに使えもしなかった。少なくとも、剣術を褒められた記憶は無い。だけどそんなこと、今はどうだって構わない――。


「やぁぁぁぁぁぁぁぁッ‼︎」


 技も技術も無い。ただ怪物に向かって、渾身の力で振り下ろす。すると剣の切っ先が、一発の銃弾をも通さなかった怪物の肩口を深々と斬り裂いた。

 

「Gyaaaaaaa⁉」


 叫ぶ怪物。しかしそれは威嚇によるものではなく、苦悶の絶叫。銃弾が意味を成さなかった怪物に、どうして刃が通るのか。そんな疑問を頭の奥底で抱きながらも、私はただ、怪物に向かって我武者羅に剣を振り回し続けた。


 滅茶苦茶な剣筋。今にも転んで倒れてしまいそうな体。殆どが外れるし、躱されてしまうけれど、その内の幾つかが怪物の体を掠め、その度に体表を薄く斬り裂いてゆく。


 このまま追い込めば、勝てる‼


 弾みの付いた私は、徐々に目の前の怪物との距離を詰め、再び剣を振り被る。しかし次の瞬間、突如上から飛来して来た何かに覆い被さられるように組み伏せられ、そのまま地面に押し倒されてしまった。


「あッ――⁉ ぐっ……」


 体が重い。全身の自由が利かなくて、頭だけで肩越しに後方を見る。そこには四体目の怪物が、私を地面に押し付けるようにのしかかっていた。怪物は爪を立てるように体重を掛けると、ミシミシとボディーアーマーが軋む音と共に激痛が走る。振りほどこうにも、怪物の圧倒的な質量を前に全く身動きが取れない。


 いや、違う。そもそも私の体が全く動かないんだ。今までに感じたことのないへばりつくような倦怠感けんたいかんが全身を支配し、今まであった筈の膂力りょりょくが完全に失われていた。


 そんな絶体絶命の状態だというのに、更にもう一体、蝙蝠型のアンヴァラスが、上空から飛来してきた。今この場には五体の怪物。対して私は一切身動きが取れない。怪物は勝利を確信したのか、すぐに私を殺そうとはしなかった。嗜虐的しぎゃくてきに、吟味するかのように、舌なめずりしながら私の方へと近付いて来る。


 悔しい。悔しくて、涙が滲む。体はまるで言うことを聞かないのに、感情だけがしっかりと熱を持っていた。そんな私を嘲笑うかのように、とうとう怪物は鍵爪を振り上げると、そのとき――。


 グォォォン!


 怪物の咆哮じゃない。私の耳に飛び込んできたのは、唸りを上げる車のエンジン音。反射的に音の方へ視線を向けると、そこには宙を舞う装甲車と、飛び出す長身の男が一人。その手に構える大型の拳銃と、背中には身の丈程もありそうな大剣。次の瞬間、激しい衝撃が私の体を叩いた。


 落雷のような轟音。空気を焦がす火炎。それらを伴って銃から吐き出されたのは、一筋の弾丸。それは私を拘束していた怪物の頭部に突き刺さり、優に数百キロはあろうかという巨体を遥か遠くへ吹き飛ばした。

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