侵略者

「ハッ……ハッ……ンッ、ゲホッ、ゲホッ!」


 立ち止まり、両膝を突いた私は、貪るように空気を取り込んだ。本音を言えば、このまま体を地面に投げ出してしまいたい衝動に駆られていたけれど、上官や先輩隊員たちに厳しく指導された手前、そうすることはできなかった。


 ただ、脚も肺も心臓も、もう随分前から限界だったらしく、少し休んだ程度では熱が引くことは無い。疲労で震える手には支給されたアサルトライフル。マガジンが空とは言え、トリガーには指が掛かり、それも思い切り引いたままでここまで来てしまったようだ。もしこれが訓練だったなら、上官から盛大に怒鳴られていたことだろう。だけどこれは訓練じゃない。実戦だ。それも私にとっては初めての、それも最悪な実戦。


 体に酸素が行き渡ると、熱を帯びていた頭は徐々に冷静さを取り戻し、すると今度は、今まで忘れていた恐怖を思い出す。そう、それは今から十数分前のこと――。



 ***



 汎用任務遂行部隊 Wideワイド Executionエクスキューション Forceフォース。通称WEウィーフォースの補助部隊サブサイズに所属する私、雨衣咲雫ういさきしずくにとって、今日が初の任務だった。


 聞いていた任務の内容は、移送物の護衛。とは言え、今回の進行ルート上に大きな危険は無く、先輩たちからは車の荷台に座っているだけの楽な仕事だと聞かされていた。だから私は、初任務を何事も無く終えることができる筈だった。


 けれど、起こってしまった。目的地の火具土まであと数キロの地点。事件は、私たちの乗る護送車の前を走っていた別の車両が、まるで紙切れのように引き裂かれることから始まった。上空より現れたそれ・・の数は一体。私たちは即座に武器を手に臨戦態勢を整え、反撃を開始した。


 こちらには武装した隊員が三十九名。全員がアサルトライフルで武装している。だからこのとき、私は大した恐怖を感じてはいなかったように思う。だって、こっちは全員が武器を持っている訳で、しかも数だってずっと多い。これならすぐにどうにかできるだろうって、そう考えていたからだ。


 そんな慢心が恐怖に変わるのに、そう時間は掛からなかった。

 

 同時に行われたアサルトライフルの一斉射撃。その殆どが標的に着弾し、数秒もせずに行動不能になるのだと思って疑わなかった。なのに、それはすぐに何食わぬ顔で反撃を始めた。こちらの銃撃を回避しようともせず、近くにいる隊員たちを引き裂き、喰らい、虐殺の限りを尽くした。


 巨大な鍵爪。赤く光る瞳をたたえた相貌そうぼう。不格好な翼のようなものが生えた姿は、人より一回りほども大きな蝙蝠こうもりが、二本足で歩いているような異形の怪物。怪物はあれだけの銃弾を受けていながらも、傷一つ付いていない。というよりも、私たちのことなんて脅威どころか、餌程度にしか思っていなかったんだ――。


 アンヴァラス。それは異世界から現れた、異形な侵略者たちの総称。


 今からおよそ三百年前。地球の最南端に位置する場所に、異世界へ通じると言われているゲートが出現した。ゲートから現れたアンヴァラスは未知の力を使い、あらゆる国々へ侵攻を始める。人類はあっという間に生存圏の半分から追いやられ、必死の抵抗も虚しく、全人口の半数を失った。


 私だってその存在は知っていたし、それがどれだけ危険な存在なのか、頭では理解しているつもりだった。だけど、その認識は間違っていた。何もかもが甘かった。こんなにも理不尽な暴力が存在しているなんて、考えも付かなかった。でもそんなこと、想像しろと言う方が無理に決まっているじゃないか――。


 私たちを襲撃した蝙蝠型のアンヴァラスは、気付けば三体に増えていて、防戦一方の戦闘は、いつしか虐殺に変わっていた。私にできたのは、ただ愕然と自分の番が回って来るまで、その凄惨せいさんな光景を見ていることだけ。


 私の順番はすぐにやってきた。目の前に迫る巨大な鍵爪。しかしそれが振り下ろされる寸前、その場に立ち尽くしていた私は、何かの衝撃を受けて地面に倒される。顔を上げると、今まで私が立っていた場所には別の誰かが立っていた。肩口には怪物の鍵爪が深々と突き刺さり、滴る程に出血している。


「グぁッ……に、げろ……雨衣咲ぃッ‼」


 そこにいたのは、今私を突き飛ばしたのは、上官のさかい軍曹。そんな彼は自分の状況を気にするよりも先に、逃げろと、そう言ったのだ。


 私は彼の命令を優先し、逃走を選択する。だって、上官の命令だったから。逃げなければ彼の行動が無駄になるし、私じゃどうにもできないから。違う、そんなのはただの言い訳だ。臆病で薄情な私は、怖くて、何よりもこの場所から逃げ出したかったんだ。


 逃げる途中、何人もの人を見ないふりをした。優しい人。厳しい人。サボりの常習犯にセクハラ親父。全員が顔見知りで、好きな人も、苦手な人もいた。でもこのとき、誰もが私のことを助けようとしてくれていた。私はそんな人たちを、全員見殺しにしたんだ。

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