大脱走劇
「『 』の『“ ”』には――酔のよ―――果が『 』ます。――は『 』お願――」
「分か――た。―――き、ありが――ます」
ここはどこで、どうやって来たのだろう。何も覚えていない。それに今、確かに目は明いているのに何も見えてはいなくて、誰かが話しているのが聞こえているのに、意味が理解できないという、そんな変わった感覚だ。まるで遠くの出来事。或いは夢でも見ているかのような――。
パチン、パチンと、目の前で指を鳴らす音で、不鮮明な感覚からゆっくりと醒め始める。顔を上げると、目の前にはWEフォースの制服に身を包んだ上官と思しき隊員が数名立ち、私の顔を覗き込んでいた。辺りを見渡すと、ここは本部のどこかの一室だということが分かる。記憶はまだ定かではないけれど、あぁ、そうか、私はここまで連れ帰られたのだ。
ぼんやりとそんなことを考えていると、目の前の上官の一人が、椅子に座る私に向かってひっきりなしに話しかけてくる。状況から察するに、これは事情聴取だろうか。いや、事情聴取というにはあまりにも一方的で、私には一切喋る機会を与えられず、ただただ何かを説明されている状態だ。
そもそも上官が何を言っているのか、その殆どを聞き取れなかった。断片的な情報を整理すると、任務放棄、現場から逃走、他の隊員を見捨てただとか、そんな嫌な言葉ばかりが聞き取れる。恐らく私は、任務中に逃走したことで、何らかの処罰が言い渡されようとしているのだろう。
もう良い。好きに罰してくれれば良い。どうせ何を言われたって、死んだみんなが生き返る訳じゃないし、彼らの家族だって納得はしないだろう。むしろ私に償う手段を与えてくれるならば、ありがたいと思えるくらいだ。
殆どの会話を聞き流し、恐らく全てが一方的に決まろうとしていた、そのとき、突如部屋の扉が強引に開かれた。すると上官や警備兵が、扉を開けた誰かに向かって大声で怒声を浴びせている。けれど私には、どんなに大きな怒鳴り声も届かない。全てがどうでも良くて、まるで他人事のよう。そう思っていると――。
「なぁお嬢さん、街の観光をしたいんだが、俺たちには土地勘が無くてね。だからちょっと、ガイドを頼みたいんだ」
不思議と、その声だけははっきりと耳に届く。顔を上げて声の方へ視線を向けると、そこには先程私を助けてくれた長身の男が立っていた。次の瞬間、気付いたときには私は男の肩に担がれて、疑問を口にする暇も与えられないまま、警備兵たちを掻き分けるようにして部屋から連れ出される。
私たちから少し遅れて、部屋から出てきた上官たちが何かを叫んでいたようだけれど、全く聞き取れなかった。何せ走る度に男の方が私の腹部へボディーブローのように打ち付けられて、それどころではなかったからだ。
「あっ! あっ! あぁっ! のぉ! おろ! おろし! でぇ! ぐぇっ⁉」
「口、開けるなよ! 舌噛むぞ!」
もう手遅れです。それはできれば、舌を噛む前に言ってほしかったです。なんて、我ながら呑気にそんなことを考えていると、けたたましい緊急警報と共に館内放送が耳に飛び込んで来た。
『緊急事態発生。館内に侵入者あり。侵入者は長身のリベレーター。隊員の雨衣咲雫と共に館内で暴走し、逃走した模様。直ちに捕縛せよ。繰り返す――』
耳に飛び込んで来たのは、そんな内容だった。
…………、…………⁉
えっ、これ、私が悪い感じになっていませんか⁉ 私、無理やりこの人に連れ出されただけなんですけど⁉
と、誰にでもなく無実を語ろうにも、声が出せなければ釈明の余地も無い。それも悪いことに、警報を聞きつけてその内容を鵜呑みにした管内の隊員たちが、私を捕まえようとしてどんどん集まってきている。
けれど私を担ぐ男は、隊員たちをヒョイヒョイと器用に躱してしまい、全く捕まりそうもない。しかもそうする度、「ノロいぜ」とか、「鬼さんこちら」とか、そんな挑発をするものだから、捕まえそこねた隊員たちは目を血走らせながら猛追してくるのだ。
気が付けば、私たちの後方には大行列が出来ていた。きっと館内中の隊員に追いかけれているのではないだろうか。それでも男にとってこの場所はアウェイ。出口へ直行とはならず、階段を上っては下り、下っては上りを繰り返し、とうとう私たちは追い詰められてしまう。
場所は七階ロビーの窓際。周囲には決して私たちを取り逃すまいと、隊員たちがスクラムを組むように取り囲み、袋小路に閉じ込められていた。全員息も絶え絶えで、殺意のこもった目でこっちを睨んでいる。対して私を担いで走っていた男は汗一つ掻いてはおらず、涼しい顔をしていた。この人、一体どんな体力をしているのだろう。
「さ、さぁ‼ もうッ、逃げられッ、ないぞ‼ おとなしくッ、
「あ、あの、違うんです! 私は――」
「黙れぇッ‼ 雨衣咲雫二等兵ッ‼ お、お前には脱走の容疑がかけられている‼ 簡単に許されるとは思うなよッ‼」
駄目だ、話してどうにかなる雰囲気ではない。そりゃあ、あんな風に挑発されながらかなりの距離を走らされたのだから、気持ちは分かるけれど。でもそれは、別に私が悪い訳では――。
「さぁ、これでお嬢さんも俺と共犯だぞ。もう言い逃れはできないな。いい加減に覚悟を決めたらどうなんだ?」
「そんな⁉ お、降ろしてください‼ 私はちゃんと自分の無実を証明するんですからぁ‼」
「そいつは無理だ。連中を見てみな、全員頭まで茹でたロブスターみたいに真っ赤になっちまっている。ハハッ! こいつは水をぶっかけたって元には戻らないだろうぜ」
「冗談は止めて下さい‼ ふざけている場合じゃないでしょう⁉」
「ならお嬢ちゃんはさっきの部屋に戻って、上司連中とつまらない話の続きでもするのか? 責任を全部押し付けられても良いって言うなら、俺はそれでも構わないけどな」
「…………ッ、……でも、もう逃げ場なんて無いじゃないですか……」
「そんなことはどうだって良い。今俺が聞きたいのは、俺と来るか、それとも来ないかだ。それ以外はとりあえず後回しにしよう。ほら、あまり時間は無いぞ。さっさと決めてくれ」
なんだ、なんだこれ。こんなの滅茶苦茶だ。この人の言っていることなんて、全部間違ってる。普通に考えたら、いや、考えるまでもなく、さっさとこの人を振りほどいて、全員に私の無実を証明しなくちゃいけない。
だから、私の言うべきことは決まっている――。
「……連れて、行って……下さい……」
「任せろ」
そう言うと、男は身を
えっ、落ちてる? えっ、ここ、七階なんですけ――。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ⁉」
盛大な悲鳴と共に、地面に向かって落下する私。このとき私は、「あぁ、こんな人に付いて行くんじゃなかったな……」とか、案外冷静にそんなことを考えていた。
もう落ちる。そう思った瞬間、ドスンという音と共に、何かの上に着地したようだった。でもなんだか、思っていたよりも着地の衝撃が弱いように感じる。疑問を感じながらも、恐る恐る目を開けると、私は彼にお姫様抱っこの形で抱えられていた。
キュン……。
意図せず胸の辺りに仄かな切なさが走る。
ち、違う! これはきっと吊り橋効果で、別に私はこの人の事なんて……。でも、見方によってはこの人は私を
「グェッ⁉」
胸の奥に湧いた切なさを一人心の内で噛み締めていると、突然私は男に放り投げられ、そのまま弾力のある車のシートに頭から着地させられてしまった。
「いつでも行けますわ」
「OK‼ GO GO GO‼」
エンジンが唸りを上げ、タイヤが高速回転し、車は一気に加速してWEフォースの施設から走り去る。どうやら私たちが着地したのは、配備されている
「Year! ナイスタイミングだシャロ! 映画さながらの完璧な大脱走劇だったぜ!」
「毎回毎回私が運転手……いつも私にカボチャの馬車役を押し付けて……」
「文句言うなよ。運転はお前の方が巧いんだから、こいつは適材適所ってやつだろ」
「調子の良いことばかり言って。良いですか、次にこういう機会があったなら、救出役は私がやりますからね」
「残念だったな、ヒロインを助けるのは王子様の特権なんだよ」
「そんな顔をして王子様は無いでしょう。どちらかと言うと、ヒロインを連れ去ろうとするB級ホラー映画の悪霊役ですわ」
「そんなに俺の顔は凶悪だったかよ‼」
そんな冗談めいた言い合いをしながら、車は速度を上げながら進んでゆく。
勝手なことを言ったと思えば、有無を言わさず私を連れ出して。しかも館内の隊員を挑発するように逃げ回った挙句、あんなに高い所から飛び降りて。おまけに私を車のシートに放り投げるし。出会って間もない人をこんな風に思うのはどうかと思うけど、私、この人のことが苦手。と言うか、はっきり言って嫌いです。いくら命の恩人だからって、こんな扱いは酷過ぎるでしょう。さっきの私のときめき、返して下さいよ……。
もっと他に考えなくてはいけないことがあった筈だ。だけどこのときの私は、車のシートに逆さまに張り付いたまま、どうしてもそう考えずにはいられなかったのだった。
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