第76話 料理人として、薬師として

 品評会が終わり、夜が深まった厨房にてリーシャはまな板に包丁を打ちつけていた。

 まな板の上には食材がなく、こっそり覗きにきたメディが訝しむ。


 終えたと思えば次は何も入っていない鍋を取り出した。メディならば両手で持つのに苦労するほどの大きさだ。

 それをリーシャは片手で振るう。


 彼女が汗だくになって一心不乱に取り組む意図をメディはしばらく理解できなかった。


「そこにいるのはメディだろ?」

「ひゃいっ!?」


 完全に視界の外だったが、リーシャはメディの気配に気づいていた。

 観念して出てくると、リーシャは怒らず鍋を置く。


「あの、すみません……」

「いいって。アタシに関心を持ってくれたんだろ? 悪い気はしないよ」

「今は何をされていたんですか?」

「訓練さ。一日でも調理器具に触れていないと腕が鈍っちまうからね」


 移民として移動する際にもリーシャは調理器具を手放さなかった。


 それを振るう機会はほとんどなかったが、彼女は一日たりとも訓練を怠っていない。

 ある時は石を食材に見立てて鍋を振るった事もあった。


「く、訓練ですか。すごいですね……」

「薬師はしないのかい?」

「私は、えーと……。しないです」

「ふーん」


 軽蔑されたかとメディは心配になった。

 調合の際に素材を力加減を調整してかき混ぜたりなど、薬師にも必要とされる技術はある。


 しかしメディの場合、すべて身体が覚えていた。

 それや異才故の結果であるが、本人にその自覚はない。


 ランドールの知識や技術を見て盗んでいる時点で、並みの人間には務まらないのだから。


「アタシは女ってだけで店を持つ事も許されなかったからね。どこの厨房に行っても、ほとんど下働きばかりさ」

「女だとなんでダメなんですか!?」

「業界によってはそういう偏見というか風習があるのさ。ま、男でも若い奴が店を出すなんて十年早いなんて言われるらしいけどね」

「確かにどこでも、そういうところがあるかもです…」


 メディは旅の途中で立ち寄った飲食店の料理人が男ばかりだった事に気づく。

 特に気にしていなかったが、リーシャの主張が正しければメディにとっても不快極まりない。


 メディが治療院を追い出された事案も、リーシャのそれとあまり変わらない。

 リーシャが使用した厨房を清掃し始めた。


 丹念に拭いて、その姿にメディはリーシャの料理人としての意識の高さを感じる。


「何の後ろ盾もないアタシは腕一つで生きていくしかない。だから鈍っちゃいけないのさ」

「そこまでやっても誰もリーシャさんを認めなかった……ひどいです」

「でも最後には自暴自棄、どこかのお偉いさんの移民募集に乗ったのもヤケクソさ。騙されて鉱山労働でもさせられるんじゃないかって思ってた」


 いくら腕を磨いたところで、誰にも認められない。

 不当ではあるが、それに屈してしまったのも自分の弱さだとリーシャはわかっていた。

 清掃を終えると、最後には指差し呼称だ。


「火元、ヨシ!」

「な、なんですかそれ?」

「こうやって指して声に出すとミスをしにくいんだ。意外と効果があるからあんたもやってみたらいいよ」

「お薬、ヨシ! ですか?」

「いや、こうだね。水回り、ヨシ! 調理器具、ヨシ! 床清掃、ヨシ!」


 声に出して確認をする事で実際に作業を修了したと頭が認識できる。

 メディにその有用性はまだ理解できないが、ひとまず真似ようと思った。


「戸締り、ヨシ!」

「鍵、ヨシ!」

「アハハ! そう、それでもいいよ」


 裏手から出ると、リーシャとメディは夜道を歩き出す。 

 メディは今一度、自分の仕事を見つめ直した。


 ロロに後片付けを指示しているが、ここまで徹底した事はない。

 もちろん素材や薬の管理は徹底している。不要な素材が混ざる事がないよう、清掃もきちんとやっていた。


 忘れた事もないが、最終確認作業をやっていないという詰めの甘さがある。


「リーシャさん。ヨシってどんな事にも有効なんですか?」

「保証はできないけど、やるに越した事はないだろうね」

「今度、エルメダさんが食べすぎたら『満腹、ヨシ!』と確認するように言ってみます」

「それはちょっと余計なお世話じゃないかい……」

「ダメです! いつも言ってるのにすぐ食べすぎてお薬を買いにくるんですよ!」

「それはそれで儲かるからいいんじゃないか?」


 エルメダはともかく、メディは職人の世界について知った。

 自分も腕が鈍れば薬師としてやっていけなくなる。考えた事もなかった。


 今一度、薬師として何をすべきか。メディは頭の中で洗い出す。


「リーシャさん。ありがとうございます。私も薬師として、もっと頑張ります」

「礼を言いたいのはこっちさ。あんた含めてたくさんの人に褒められたのは初めてだよ。おかげでまだ料理人を続けられる」

「宿が開店したら、たくさんの方々がやってきます。もっと多くの人がリーシャさんの料理を食べるんですよ」


 わかっていたが、改めて言われるとリーシャは武者震いした。

 自分で考えて作った料理を客が食べる。料理人として当たり前の事をリーシャは本格的に体験するのだ。


 同時に怖い気持ちもある。自分の腕が通用するのか、料理人が持つべき当然の感情だ。


「メディ。あんたは自分の薬で治らなかったらって不安になる事はあるかい?」

「……えーと」

「まさかないのかい?」

「考えた事、ないです」


 リーシャから渇いた笑いが出た。メディという人間はあらゆる意味で何かを超越している。


 天才ではない何か。夜道で楽しそうにくるくると回るメディをリーシャはいつまでも見続けていた。

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