第53話 イラーザの嘆き
イラーザは連日、寝不足だった。ストックしてあった酒も底が尽きて、暴れ回った。
室内の家具はひっくり返って、調度品の類は破壊の跡が著しい。風呂にも入らず、寝付けず。
イラーザの頭の中は自分の不穏な未来で埋め尽くされている。
それもそのはず、メディの殺害を依頼した者達の大半が捕まったのだ。デッドガイとサハリサだけは取り逃がしたと聞いたが、イラーザにとっては危機的状況だ。
捕まった者達は洗いざらい喋るだろう。少しでも自分達の罪を軽くするために、大袈裟に事を語る可能性すらある。
なぜこうなった。どうして。自分の何がいけないのか。保身ばかりが先行して、根本的な原因に辿りつかない。
「こんな時に治癒師協会は何をしてるのよ……! レリック支部長だって協力してくれたのに!」
治癒師協会の『氷』のレリックは若くして支部長の座に上り詰めた異才だ。
王都の支部長となれば、治癒師協会がこの国の代表として選抜した人材である。
その回復魔法は切断された部位を接合してしまう。近年では失った部位の再生研究まで行っており、この国どころか各国からの注目を集めていた。
そんな人物が自分に味方したという事実だけがイラーザの心のよりどころだ。
「学院に通っていた頃……中等部でも私に敵う生徒はいなかった。高等部なんて時間の無駄、私は一早く社会で輝くべき人間……レリック支部長だって見抜いていたはずよ……」
成績は常にトップで、教員達も手放しでイラーザを賞賛した。
今の治療院に勤めてからも誰も彼女に口出しできず、牙城を築き上げたという自負がある。
その牙城が今、崩壊に向かっているなどと認めたくなかった。イラーザはベッドの上で頭を抱えて悶える。
その原因を突き詰めれば、やはりメディだ。
「あのクソガキさえいなければ……! あの無能ロウメルがヘラヘラしてあのガキを雇った時からおかしくなったのよ!」
髪をぐしゃぐしゃにかき乱して、イラーザは必死に考える。
まだ手はないのかと思えば、やはりこの長い待機時間だ。これだけ時間がかかっているのならば、町長も証拠を集めきれていないのではないか。
そう、結局は証拠だ。それさえなければ自分は潔癖でいられる。誰がどう喋ろうが関係ない。
殺人依頼にしても、いくらでも言い訳は立つ。殺せなどとは言ってないと、イラーザは今から口実を考えていた。
デッドガイとサハリサがどうしているかは知らないが、仮にしくじっても同じだ。成功すれば御の字、都合よくイメージする事によってイラーザは何度も精神安定を図ってきた。
「フフ……。そうよ、私は何も悪くない。あの町長だって結局、何もできない」
イラーザはベッドから下りて窓の前へ立った。警備兵達が家の前で何かを囁き合っている。
暇すぎて立ち話でも始めたのかと、イラーザは勝ち誇った。このまま逃げ切ればいい。
何をどう相談しようと無駄だと思いつつも、その会話内容が気になった。イラーザは窓を少しだけ開けた。
「……しかし驚いたな。俺の慢性の腰痛が一瞬で治ったんだからよ」
「俺の腕の痛みも消えたぜ」
イラーザはその会話内容に違和感を覚えた。治療院は今、閉鎖しているはずだ。
イラーザの妄想からはだいぶかけ離れている。治療院を閉鎖した事によって、この町の連中は困っているはずだ。
そうなればいずれ彼らが決起して町長を非難しかねない。しかし今の今までそうはならなかった。
実際には町長はその辺りにも手を打っており、今は他の町から派遣された者達が医療を担当している。
「今、行列がすごいらしいぜ」
「そりゃ治療院があんな状態じゃな」
「ありゃ回復魔法なんか問題にならんぜ」
イラーザの目が見開く。自身のアイデンティティともいえる回復魔法を貶されただけではない。
少なくとも治癒師ではない者が医療行為を担当しているという事実が判明してしまった。
居ても立っても居られなくなり、イラーザが家を飛び出すと警備兵達に捕まってしまう。
「コラッ! 勝手に家を出るな!」
「回復魔法が問題にならないですって!? どこの誰に治してもらったのよ!」
「落ちつけ! 知ってどうする!」
「この目で確かめるのよ! 回復魔法じゃなけりゃ何なのッ!」
屈強な警備兵達に取り押さえられてもイラーザは抵抗した。
そんな中、目の前を数人が駆けていく。
「走れ! お前の持病も治るかもしれないぞ!」
「そんなに凄い人が来てるの?」
「あぁ! 前にこの町にいた薬師だ! この町に来てくれたんだよ!」
腕がいい薬師。これほどまでにイラーザの神経を逆なでするフレーズもない。
前にこの町にいた薬師。イラーザが心の底から見下していた存在だ。何をするにも素材が必要となり、一から作らなければならない。
そんな手間を回復魔法はすべてすっ飛ばせる。しかし彼女が目の仇にした少女は瞬く間に治療院で成果を上げてしまった。
イラーザにとっては受け入れがたい現実だ。何か落ち度がないかと探るも、なかなか見つからない。
そこで目をつけたのが、物理的にあり得る事故の捏造だ。人の手で薬を作るならば、間違える可能性がある。誤って毒物を作ってしまう事もある。
そんな前提を元にイラーザは決行した。薬師の少女に毒物製造の容疑をかける事で、自らの地位を確固たるものにしたのだ。しかし――
「君達、何をやっている」
「町長! この女が暴れたので取り押さえてます」
町長が護衛を引き連れてイラーザの前に現れた。
その表情は険しく、イラーザも身体の内側から冷える感覚を覚える。
「そうか。だがすぐに暴れる自由すらなくなる」
「と言いますと?」
「イラーザを詰め所へ連行しろ。明日、すべてが片付く」
イラーザは顔面蒼白だった。町長の表情の意味がわかってしまったのだ。
彼はすべてを握っている。自分の運命を決断できる何かを持っている。
そう確信した時、イラーザは力の限り吠えた。その奇声を耳障りに思う者達はいても、誰一人として心を揺さぶられない。
「あのクソガキィィィ! 何をいけしゃあしゃあと戻ってきてんのよ! ふざけんじゃないわよ! ねぇ! 聞いてんのッ!」
「大人しくしろ!」
「うるせぇぇぇぇ! あぁぁぁクソクソクソクソクソォォォォ! キィーーーーーーーーーーーーーッ!」
「ホントうるせぇ……」
取り押さえられながらもイラーザは叫ぶ。ただし言葉は誰にも届かない。
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