第52話 月下の鮮血
闇を彷彿とさせる装束を着込んだカノエが、処刑人に微笑みかける。
処刑人は手を止めた。こちら側の人間だと認識しただけではない。
今までこうも簡単に接近を許した事があったか。何より血まみれの惨劇の舞台において、これほど似合う美女もいない。
処刑人は目を補足して、カノエを目の保養としている。
「ここだと邪魔が入るから場所を変えましょう」
相手がカノエでなければ、処刑人もそのような提案は受け入れない。
瞬殺して立ち去ればいいからだ。それが不可能と判断した上に、処刑人はカノエに興味を抱いている。
これほどまでに美しい闇の住人がいるとは、などと人並みの情欲はあった。
やがて二人は町の塀を軽々と越えていく。町から大きく外れた雑木林の中にて、闇の者達は改めて顔を合わせる。
「あなた、賞金首の処刑人でしょう? ずいぶんと名前を売ってるみたいね。これまでに四百人以上を殺していて、しかも基準は不明。老若男女、お構いなし。ただのサイコかと思えば一級冒険者、王国騎士、魔道士団を一通り返り討ちにしている実力者ね」
「……気に入った」
「あら、エスコート?」
「処刑の保留を考えさせた女はお前が初めてだ」
処刑人は両手を広げて、カノエを迎え入れようとポーズを取っている。
カノエは処刑人と呼ばれる男を観察した。自分の見当が正しければ、彼こそが目星をつけていた人物だ。
自分が生み出してしまったモンスターとなれば、駆除するしかない。それが彼女の過去に対する清算だった。
「私は死刑を待たされる囚人というわけね。あなた、モテないでしょ」
「この処刑人だぞ……」
「なに?」
「この私が、処刑人が保留にしてやるとッ! 言っているのだぞッ! お前はァァァァッ!」
処刑人が武器を抜いた。金属であり、鞭のようにしなる刃がカノエを襲う。
いつもの処刑人ではない。本来であれば痛めつけて動けなくした後、お決まりのセリフを叩きつけるのだ。
それこそが彼の娯楽だが、今は怒りしかない。自分は処刑人という絶対的な立場であり、誰もが畏怖するのが当然だ。
処刑執行前に処刑人を嘲る者などほとんどいない。処刑人にとってカノエは死刑囚だ。
死刑囚であれば処刑人である自分の情けを喜んで受け入れるべきだと本気で考えていた。
蛇のように刃が軌道を変えて、辺りを切り刻む。逃げ場などない。逃れた者などかつて一人もいない。これで決まったと油断した時だ。
「ふぅん、変わった武器ね。素材はナルメル鉄かしら。でも、よく見たら継ぎ目があるわね」
「むぅん!?」
「面白い声を出して振り向かないでよ。笑っちゃうでしょ」
処刑人の武器の一部が割れた。カノエが持つのは三日月型の短刀であり、それが今ここにあるすべてだ。
蛇のような軌道をカノエは見切って、短刀で弾いてかわしていた。
処刑人も理解したからこそ、まったく身体が動かない。あり得ない。どうして。ありきたりの心境だった。
「昔ね。一人の少女がとある国同士の戦争に巻き込まれて両親を亡くしたの。その戦争は長年、続いて犠牲者を出し続けた」
カノエが語り出す。処刑人はカノエが人間とは思えず、そのシルエットが歪んで見えた。
人にあらず。人だとしても、人だったものだ。彼自身、一度として遭遇した事のない異界の何か。
処刑人はカノエの言葉を耳に通すのみだ。
「少女は嘆いたわ。自分の無力さ、そして大切な両親を奪った戦争を……国を憎んだ。過酷な世界を一人で生きて、ずっと腕を磨き続けた。そのうちにね、その筋の世界で認められて方々から誘いがあったわ。私は生きる為に殺し続けた。お母さんがいつも身に着けていた三日月の耳飾りだけを拠り所にしてね」
処刑人はそこにいる何かが何なのか、ようやく理解した。
すでに討伐されたという事実すら否定できる。表向きの情報を信じる闇の者などいない。
やはりそうだ。生きていた。処刑人の目にはカノエの耳飾りだけがくっきりと浮かび上がっている。
「少女は成長して、戦争に介入した。両軍の兵隊を片っ端から殺して回った。だけどいくら殺しても何も満たされなかった。国王を暗殺しようが、関わっていた国の重鎮を殺そうが何もね」
「デイデスタ、グロシアの……二十年戦争……」
「そう、おそらく片方があなたの出身国ね」
「……ッ!?」
自分がよろける様など処刑人は誰にも見せた事などない。
そこにいる何かの正体など聞かずともわかる。かつてたった一人で戦争を終わらせた闇世界のカリスマ。
生き残った者達はなぜか一様にとある言葉を囁く。
「バッド、ムーン……!」
「グロシアの公開処刑は各国から問題視されていたわ。やがて起こる連続殺人事件もきっと国が生み出した怪物が犯人……」
「ハハ、ハハハハハハッ! バッドムーン! あなたを待っていた!」
「当時の私は考えもしなかった。自分が誰にどんな影響を与えているか。後にろくでなしが続いて悪さをしたとなれば胸も痛む。だからね……」
処刑人の手首が斬り落とされた。見えるはずがない。対応できるはずがない。
膝をついて首を垂れるのみだ。処刑人は尚も笑った。更に呼吸が困難となり、全身が激しく痙攣する。
「せめて今からでも、まともに生きるって。そう決心させてくれる人が現れたの。大きな手で私の手を取ってくれた」
「バッド……ムーン……。ぜぇ……ぜぇ……」
「私が今でも人間でいられるとしたら、あの人のおかげよ」
「闇世界の……星……私は……待っ」
処刑人の言葉は途切れた。カノエは手早く手首を回収して、頭を切断する。
「グロシアや私があなたを生んだなら、賞金は未来へ投資する。人を生かしたがる子にね」
処刑人という悪魔を殺した事で、カノエはわずかにでも償いの気持ちが芽生えない事もない。
それで血塗られた過去が消えてなくなるはずもなく、死んだ人間は生き返らない。そうとわかっていても、償いなどという自己満足にカノエは嫌悪する。
そんなもので消せるほど自分の罪は軽くないと、カノエは自嘲して立ち去った。
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