第29話 ワンダール公爵 1

「少し待っててね。怒られてきますから……」


 言葉とは裏腹に、カノエは実に楽しそうだった。本来であれば門前払いだった他の者達まで通してしまったのだ。

 そりゃ怒られるよねとエルメダは緊張した面持ちで応接室の柔らかいソファーに身を預けている。

 無事、公爵家に通されたメディ達だが他の者達は今更になって心配していた。たとえ通されても、紹介状の主を理由に断れていたのだ。

 カノエは事前に、紹介元によっては通すなと言いつけられている。それにも関わらず通してしまった。

 ワンダールと直接対面しても、交渉がうまくいく余地などない。


「……遅いな。早くバッドムーンの情報をいただきたいところだ」

「ベイウルフさん、だっけ。バッドムーンって有名な賞金首だよね。確か数年前にどこかの戦争の終止符を打ったきっかけになったとかいう……」

「あぁ、数千はいたはずの両陣営にほとんど姿を見せることなく半壊させた伝説の賞金首……」

「な、なんですかそれぇ! おっかないですねぇ!」


 震えたメディの頭をエルメダが撫でて落ち着かせる。数少ない生存者が見たという三日月のシンボルが呼び名の由来だ。

 わずかに生き残った者達から語られた視覚情報だけでバッドムーンという呼び名が独り歩きするようになる。

 それから間もなく生き残った者達は精神を病み、または記憶からその狂人を消していく。ベイウルフは神妙な面持ちで語った。

 戦場の血生臭い噂とは無縁の生活を送ってきたメディにとって刺激が強い話だ。

 とはいえ、この場で会話で盛り上がることができる者達などこの三人くらいだった。他の者達は緊張の糸が切れない。


「お待たせ。そこの薬師さん、ワンダール公爵との面談よ」

「いきなり私ですかぁ!?」

「責任重大よ。機嫌を損ねたら他の人達とも会わないってさ」

「ええぇぇーっ!」

「あ、そこのお付きの人もどうぞ」

「えぇぇぇーっ!」

 

 釣られたエルメダだが、ここで拒否されるほうが彼女にとって我慢ならない。

 心の内にあるのはメディという薬師がワンダールに認めてもらう事。メディという人物を知ってほしいのだ。

 その為にわずかにでも助力しなければならない。


「ではこちらへ。他の方々はくつろいでいてどうぞ。喉が渇いたら、使用人に言いつけてね」


 カノエの案内で、メディとエルメダは広い屋敷の廊下を歩く。

 さすがのメディもここにきて緊張している。相手は本来であれば一切縁のない上流階級なのだ。

 そんな人物へ紹介状を書いた村長の正体も気にかかっていた。


                * * *


「来たか。カノエのケンカを買った小娘よ」


 メディは面食らった。村長の知り合いならば、白髭を生やして腰を曲げた上品な老人がそこにいると思っていたからだ。

 ブラウンの体毛、口元から見せる牙、猛獣のような目、というより猛獣そのものだった。人一倍大きなソファーを一人で独占して、片手にはワイングラス。

 獣が二足歩行で人間の真似事をしていた。


「初めまして! メディです!」

「わ、私は付き添いのエルメダです。不躾な者ですが何卒、よろしくお願いします」

「んむ、あのブランムドの紹介だろ。あの野郎、まだ元気に生きてるか?」

「村長さんのことですか?」


 そうかそうか、とワンダールはワインを一気に飲む。使用人がすかさずワインボトルを傾けてグラスに注いだ。

 メディはそこにいる獣人を観察した。獣人の存在は知っていたが、見るのは初めてだ。

 人間とも違う体の構造、そして何よりほぼすべての器官が人間を凌駕している。メディ達が入室してからすでに何杯もアルコールを摂取しているが、潰れる様子がない。

 グビグビとうまそうに飲み、フーッと酒臭い息を吐く。


「村長ねぇ……あの野郎、どこだかに隠居するとか言ってたな」

「あ、あの、ブランムドってまさか先代……じゃないですよね?」

「前の国王だよ。ていうか知らなかったのか?」

「ぎえぇぇぇぇーーーーーーっ!」


 エルメダの悲鳴が室内を越えて響き渡る。メディは耳に指を突っ込んだ。


「ハッハッハッ! うるせぇな!」

「す、すみません……。でもあんなところに前王がいるなんて……」

「息子に王位を譲ってから、はっちゃけたんだな。で、その隠居ジジイが紹介状をよこす奴らか」


 途端にメディ達はギロリと睨まれた。おおらかに笑っていたと思えば、それこそ獣の目つきを見せる。


「で、何の用だ?」

「ワンダール公爵にレスの苗木をいただきたいのです」

「嫌だね」

「お願いします」


 ワンダールは何杯目かわからないワインを飲む。変わり者という村長ことブランムドの言葉に嘘はないとエルメダは悟った。

 先程まで笑っていたと思えば、横柄になる。メディの交渉にも問題はあるが、言い方があるだろうとエルメダはやや不満だ。

 メディのかわりにエルメダが頭を下げる。


「ワンダール公爵。村に薬湯を作ることになりまして、その際にレスの苗木が必要なのです。メディの調合した薬はあの村長の病すらも治しました。この子の腕をもってすれば、素晴らしい薬湯になると思うのです」

「そうか。レスの葉ならこの町にいくらでも売ってるから、好きなだけ買っていきな」


 エルメダは言葉に詰まる。ここで返答を間違えば終わりだ。

 町に売っているものは高価で手が出ませんなどと言えば、ワンダールは自分なら安く譲ると思ったのかと激怒する。

 どうする。どうすれば、このワンダールを認めさせることができるか。そこで一つ、思い出す。そしてエルメダはメディをちらりと見た。


「治癒師推進制度がひっくり返ります」

「あん?」

「ここにいるメディが世間に認知されたら、間違いなく国は考えを改めるでしょう」

「薬師が国崩したぁ面白いじゃねえか」

「崩すのではありません。変わるのです」


 エルメダにいつもの陽気な雰囲気はない。魔力相応、魔導士相応の風格でワンダールと向き合っている。

 その場凌ぎから出たものではないと、ワンダールを圧していた。


「今、国中に蔓延している難病は姿を消します」


 魔導士エルメダの言葉でなければ、カノエのブラフがまったく通じなかったメディがいなければワンダールは鼻で笑っただろう。

 ワンダールは長年、ここまで淀みなく言い切る人物と出会ったことがない。かつて王であったブランムドのそれとよく似ている。ワンダールはソファーを立ち上がった。

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