10・慢心

──ワシントンDC・ホワイトハウス──

ホワイトハウスの大統領執務室プレジデンツ・ルームでは、夜更けに叩き起こされた大統領が、欠伸あくびを嚙み殺しながら椅子に座っていた。

「……ですので、沖縄・那覇基地の駐留米軍は人工島嶼メガ・フロートが顚覆した影響でほぼ全滅し、海上で演習をしていた第七艦隊所属のCVN─1775〈ネヴァダⅡ〉とBBN─571〈アンカレッジ〉のみが被害を──」

「君、君──」

大統領は手を振って、国防長官の与太話を遮った。

「そんなことは。真に重要な情報は──〝第六三輸送船団は何処に在りや〟だ」

「それは──少々お待ちください……」

大統領は苛立ちながら、この無能な部下が小さく膨れた手で不器用に携帯端末を取り出すのをながめていた──大学時代の旧友が執拗なまでに推薦したこの男は、ハーヴァード大卒という触れ込みにはひどく不釣り合いなほど頭の回転が鈍い。

「判りました──第六三輸送船団は真珠湾パール・ハーバーに碇泊していたため、地震の被害を免れたようです」

「それは重畳。して、先ほど君が言いかけていた極東地域の情報は?」

半分ほど眠っていた大統領の頭脳は、もうすっかり──ほとんどは国防長官への怒りが要因ではあったが──覚醒していた。

「ええと……沖縄の駐留米軍については先ほどお伝えした通りです。〈ネヴァダⅡ〉と〈アンカレッジ〉は現在、一応港として機能している横須賀港に碇泊していますが、〈アンカレッジ〉が途中で岩礁に衝突したため、船底の修理が終了するまでは出港できません。それから──本州の駐留軍はもろに地震の被害をうけたので、ほぼ潰滅状態です」

「つまりは極東の米軍戦力は原子力空母一隻だけ、と……」

「しかし閣下、空母が一隻残っているだけでもまだましな方とお考えください。中国海軍の旅順リュイシュン艦隊は渤海ポーハイ湾の津波で全滅していますし、上海シャンハイ艦隊も厦門アモイ艦隊も、同じく潰滅しています。偵察機の報告によれば──無事なのはフリゲート艦二、三隻ほどです」

「しかしだな……」

大統領はいかにも自信満々といった表情の国防長官に、しずかに反駁はんばくをくわえた──この馬鹿者はあろうことか、偵察機の情報がすべてだと思い込んでいらっしゃるらしい。

「もしも、ということがある。どこかの艦隊を日本海に廻すことは可能かね?」

「は、はあ……可能といえば可能ではありますが、パナマ運河が崩壊しているため、日本海に廻すほどの戦力を保持している太平洋の艦隊は──ソロモン諸島近海を航行中の、第三五巡洋艦隊と第九潜水艦隊のみです」

「その中に空母は編成されているか?」

いいえ、閣下ノー・サー。しかし、ビスマルク海に第七五一輸送船団がおりますので、そちらを向かわせます。工作艦〈アラスカ〉と補給船多数が編成されていますので、役に立つかと」

「よろしい。ランデヴーはバシー海峡あたりでいいだろう──あぁ、そういえば自衛隊はどうかね?一部が原子力艦に改装されたと聞いているが」

大統領の頭には、異常な練度を誇る自衛隊の存在が大きくなってきていた──万が一、日本が反米勢力と手を組んだら、極東の大基地は丸ごとアカ共の手に落ちる。そうなれば、我が国の凋落ちょうらくは必定だ……CNSA航天局はNASAとの協力を約束したが、共産党の諒承はまだ来ていないのだ。

海上自衛隊JMSDFの原子力艦隊ですか?それなら、空母〈いせ〉を残して全滅です」

だが、国防長官のその報告を耳にした途端、その懸念は吹き飛んだ。──日本海軍が潰滅状態!今のうちにあの島嶼群ジャパンを我らの前進基地にしてしまえば、あのアカ共も手出しはできまい……

「結構、結構。大変結構だ。日本政府には私の名前で、〝心よりのお悔み〟と〝の派遣〟を伝えておき給え」

「承知いたしました」

国防長官が出て行くと、大統領の口からは溜まっていた欠伸が一気に出てきた。──日本が寝返る懸念はとりあえず消えた。あとは中国に〝餌〟をちらつかせておけば、奴らは我が身可愛さについてくるだろう……


──北京・中国共産党本部地下安全室セーフ・ルーム──

西シー書記長、どうかご再考を!」

打ちっぱなしのコンクリートで囲まれた部屋に、老人のしわがれた慟哭どうこくが響く。

声の主──李広成リー・カンチャン航天局CNSA局長の皺だらけの顔には、おそろしく悲壮な表情が刻まれていた。

「我が国単独では、地球脱出用の宇宙船を造ることは不可能です!地震による被害が加わったいま、航天局だけでは圧倒的に力不足です!しかし、米国と組めばまだ可能性が──」

李がそこまで言ったところで、続く彼の言葉は拳銃の発砲音に掻き消された。西書記長が天井に向けて発砲したのだ。

李が驚いて話すのを止めると、西書記長はぴかぴか光る九三式拳銃の遊底スライドを引きながら、猫撫で声で訊いた。

「すまないねぇ、最近はどうも耳が遠くなってしまって──誰かさんが大声で喚き散らすせいかも知れないがね──もう一度聞かせてもらおうか、『偉大なる我が国が、単独で地球脱出用宇宙船を建造するのは』?」

「ふ、です!ほぼ百パーセント不可能です!」

李はそれでも諦めず、怯みながらも諫言かんげんをつづけた。──しかし、西書記長は眉をぴくりとも動かすことなく、側近の将校を呼んだ。

「ふむ……おい、君たち──

すると、モス・グリーンの人民服を着た無表情な将校二人がいきなり李を羽交い締めにし、必死で抵抗する老局長を引きずり出した。

李の悲鳴が遠ざかり、やがて聞こえなくなると、西は横に並んでいる将校にもう一度訊いた。

「さて、君──我が国単独で、地球脱出用宇宙船を建造するのは可能かな?」

「はッ!可能であります!我が国の技術は世界一であり、米帝の微々たる力なぞ借りるに値しません!」

「うむ、うむ。素晴らしい」

西書記長は独り悦に入った様子で、冷えてしまった普洱プーアル茶のお替りを注文する傍ら、インク・ペンシルで紙片に走り書きをし、伝令係の将校に手渡した。

隣にいた別の将校がその紙片を盗み見ると、そこには汚い字で「〈×顺〉开始×动於」云々と書かれていた。


──フィリッピン海・某所──

それまで波と風の音、そして暗闇だけが存在していたその空間に、キィィ──という機械音が響き渡った。

──人民解放海軍179B型スティルス原子力巡洋艦〈旅順リュイシュン〉のエンジン音である。

そして、〈旅順〉の出帆に呼応するように、その周囲から白浪が立ち──まもなく、四隻の144型原子力潜水艦が洋上にその姿を現した。

彼らは大震災の一週間前に厦門アモイ港を出港していた、人民解放海軍の〝虎の子〟──〈東海水师ドンハイ・ジェンドゥイ〉であった。

そして、〈旅順〉艦長の張春龙ジャン・チュンロンの手には、活字に起した西書記長直々のメッセージが握られていた。

曰く──「指令:〈旅顺〉开始行动於菲律宾海。而向巴士海峡(指令:〈旅順〉はフィリッピン海にて行動を開始し、に向かえ)」


数分後──灯火管制の下、人民海軍旗をへんぽんと翻らせた五隻の軍艦は、不気味な暗さをたたえて進みだした。へさきに白浪をたてて濁った海面を切り裂き、多面体を呈した艦橋で風を切りながら……

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虚無宙域 伯林 澪 @vernui_lanove

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