7・方舟会議

平素はまったく目をむけられることのなかった〝新品の地球〟――ケプラー22bに、まっさきに目をつけたのが、スカンジナビア統合評議会隷下れいかの北欧方舟委員会 (NEAC)であった。NEACは〈SC―66号〉と名付けられた限定的人類移住計画を、EUSFの第五〇六輸送船団をチャーターして秘密にスタートさせた。――だが、その動向はCIAやMI6といった名だたる諜報機関に早々に察知された。

むろん、NEACに潜伏していたCIAの間諜スパイが、〈SC―66〉を複写コピーして本国に送るのに、そう時間はかからなかった。しかし、CIA上層部は「悲観論者の戯言たわごと」として〈SC―66〉の存在をさして気にも留めず、その文書はDIAの機密室へお蔵入りになったのであった。

〈SC―66〉は、NEACが独力で、辛抱づよく進めていたが、RQ―21の影響でEUSFが事実上壊滅してからは、計画をすすめることができなくなってしまっていた。そこに、ようやく〈SC―66〉の重要性に気づいたNASAの上層部が協力を願い出たのである。――かくして、リチャードソンと李との会談から一週間後、米中の主導する〝方舟会議〟が結成された。


「良かったのかね?CNSAに情報をリークして――いくら巨大な〈ドナウ9号〉といえど、定員は限られているのだぞ」

ホワイトハウスの大統領室プレジデンツ・ルームで、リチャードソンは大統領からの質問――の体をした叱責――をうけていた。

「君は、せっかく我が国だけが〈SC―66〉の利益を享受きょうじゅできるところを――あろうことか、我が国の不倶戴天の敵に……君は今すぐ憲兵隊にしょっ引かれたいのかね!?」

大統領は額に青筋をうかべ、元来の赤ら顔がさらに紅潮している。――だが、リチャードソンは冷ややかにこたえた。

「閣下、どうか激昂げっこうなさらずに……私も我が国の友邦と敵国くらいは把握しているつもりです。何も考えなしに情報をやったりはしませんよ」そういうと、彼は微かに笑った。

「では、どうするつもりだ!連中を皆殺しにでもするつもりか!?」大統領はまだ口角泡をとばしてわめいている。

「そうですね……それもいいでしょう」リチャードソンは冷笑をひろげる。「どのみち、NASAの力だけで〈ドナウ9号〉を完成させることはほぼ不可能なのです。我々にはCNSAの協力が不可欠なのですよ――〈ドナウ9号〉が、ね……ところで閣下、残存防衛核兵器 (MNWD)の指揮系統の一部を分離して、NASAに移管することは可能でしょうか?」彼は唐突にそんなことをいった。

「なに?MNWDに用があるのか?――四号なら任務割り当てがないが……」頭はいいくせに変なところで勘のにぶい大統領はいぶかしんだが、四号MNWDのキイを自動施錠オート・ロック曳出ひきだしから取り出し、リチャードソンに手渡した。

「ええ、まあ……おいおい必要でしてね」リチャードソンはそう言うと、大統領の手からキイを取り、部屋から出ていった。



〝死んだ〟地球の北半球に位置する細長い島嶼とうしょ――日本列島の上に、冬がやってきた。

その冬は、隣のユーラシア大陸から排出される温室効果ガスが急減した影響で、数年前のそれよりもはるかに低温となっており、東京都では一月上旬に最低気温マイナス二度を記録していた。

突如としておとずれた極寒のなか、厚手の服飾品やカイロ、電気ストーヴが飛ぶように売れたが、それも最初のうちだけだった。

世界的な資源不足は、特に日本において、燃料資源の枯渇による電力不足というかたちで表面化しはじめたのである。

大飯、長崎、札幌、佐渡の四原発は稼働していたものの、それだけでは日本全体の電力供給をおこなうには圧倒的に力不足であった。

電力不足によるで、店にはあたらしく在庫がはいらなくなり、数週間のうちに売上高はほとんどゼロになった。――そして、いれかわるように、大病院によるインフルエンザワクチンの買い占めがおきはじめた。

毎年襲いくる災厄――インフルエンザ……だが、人類は「ワクチン」という手段で、その災厄を克服していた。そして今回も、その災厄はひとつの「恒例行事」としておわるはずだった。

だが、原発の発電量のほとんどをワクチン生産にまわしても、一億をかるく超す国民へ供給するだけのワクチンの生産は困難をきわめた。――そしてそれは、日本とくらべて原発の数が多い諸外国も例外ではなかった。

全世界の大病院はこぞってワクチンの在庫を買い占め、それができない地方の病院は、ワクチンを打ちはじめた。

数週間とたたないうちに、厚労省には各地から感染拡大の報告が入りはじめた。事態にブレーキをかけたい政府はワクチンの「うすめ打ち」に対し厳罰をもって臨むと声明をだしたが、ワクチンの〝闇打ち〟はいっこう衰える様子がなく、感染者の数はぞくぞくと増大していった。――そして、まもなく各地の病院で、注射針までもが不足しはじめ、地方では針の使がはじまった……


──日本・私立T病院──

「はい、次……」石川県・私立T病院の診察室で、河瀬医師は注射針をエチルアルコールのびんに突っ込みながら、待合室につながる小型マイクにむかって、緊張でからからに渇いた喉から声をしぼり出した。――今日で何人目だろう?私が接種をしたうち、誰かひとりでもインフルエンザにかかっていれば、集団感染がおこる……

「こんばんは――よろしくお願いします、先生」子供連れの母親が、扉をあけてはいってきた。河瀬医師はかすかに震える手でぐずり出す子供の腕をつかみ、〝消毒済み〟の注射針を突きたてた。

「はい、おしまい……あまり揉まないでくださいね」

親子が診察室から出ていくと、河瀬医師は粗末な椅子に深々と腰かけなおした。――脳裡のうりにさきの子供が高熱で悶えている様子がうかび、罪悪感がおそってくる。

――きっとウィルスは消毒されていたはずだ。ワクチンもすこしは効いたにちがいない。もし私が接種をしなければ、彼はインフルエンザで死んだかもしれないのだ……

彼はそう自分を説得すると、仮眠室によろめき入り、粗末な簡易寝台に倒れ伏した。


「石川県K市で集団感染」の文字が全国紙の片隅にひっそりと掲載されたのは、それから一週間後のことだった。

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