AI少女の視るセカイ

中田もな

AZ-027、通称「ミカサ」です。

 ぽつ、ぽつ、とついた足跡は、真っ白な地面に深く染み付いている。私はリュックサックを背負い直すと、隣を歩く少女に問い掛けた。

「ミカサ。この足跡を、データベースと照合してくれ。この足跡は、誰のものだ?」

 ミカサはじっ顔を落とし、パシャッと両目を瞬かせた。彼女の両目は写真アプリと連携しており、簡単に写真を撮ることができるのだ。

「データベースと照合します……」

 ミカサは目線を落としたまま、点々と続く足跡を解析する。AIが組み込まれたロボットならば、この程度のことは造作もないことだった。

「……アカギツネの亜種である、キタキツネです。北海道全域に広く生息している、有名な野生動物です」

 そう言うと、彼女は本体の情報を演算し、すっと前方を指差した。

「足跡の深さから、個体値を割り出しました。前方にいるのは、キタキツネ・雌。体重は4.25kg。北条さんの足で、およそ3分の距離です」

「そうか。ならば、少し気を付けなくては。キタキツネは寄生虫を持っているからな」

「はい。『エキノコックス』ですね」

 私はミカサにお礼を言い、ついでに崩れたマフラーを結び直してやった。ミカサに防寒は必要ないが、人間の姿似をしている以上、素っ裸にしておくわけにもいかない。

「北条さん。道東の3時間後の積雪予想は、およそ30cmです。北条さんが予約した宿までは、残り5kmです」

「分かった、わかった。つまり、さっさと歩けってことだな」

 茶色の人工毛を揺らしながら、ミカサは私に忠告を飛ばす。真っ黒な瞳はきらきらと輝き、白い指はしなやかさを纏っている。……全く、彼女の見た目は、本当に人間らしい。親である私も驚くほどに。


 AZ-027、通称「ミカサ」は、私が生み出したAI搭載型ロボットだ。私の研究の集大成とも言える彼女は、「ロボット」という制約からは逃れられないものの、至って普通の少女のように振る舞った。

「北条さん。ミカサの充電残量が、残り10%を切りました」

「おっと、まずい。えーっと、充電器、充電器……」

 宿に着いた私たちは、リュックサックをひっくり返して、ミカサの充電器を探し始めた。私は整理整頓がどうにも苦手で、探しものは決まって出てこない。

「あれ、おかしいな……。確か、ここに入れたはずなんだが……」

「『確か、ここに入れたはずなんだが』は、この1年間で189回聞きました」

「……そういうことは、記憶しなくていい」

「分かりました。『確か、ここに入れたはずなんだが』を削除します」

 私はミカサを連れ回して、日本全国を旅している。その道中、私は何回も、同じ言い回しをしていたようだ。

「……ああ、あった、あった。ミカサ、コンセントの近くに移動してくれ」

「はい。配線用差込接続器は、この部屋の隅にあります」

 ……赤く点滅していたミカサの瞳が、徐々に元の色に戻って行く。私はふうっとため息をついて、茶請け菓子に手を伸ばした。

「ミカサ。明日の予定を聞かせてくれ」

「はい。10時37分発の根室本線に乗車し、釧路駅で降車します」

 小さな部屋の窓辺から、しんしんと積もる雪が見える。この道東の景色は、私の生まれ育った故郷だ。

「10時なら、それほど急ぐ必要もないな。明日はゆっくり起きるとするか」

「それは、おすすめできません。北条さんを無料の性格診断で調べた結果、『時間にルーズである』と出ています。この結果は、北条さんの過去の行動記録と一致します」

「……AIなのに、そういうことは信じるんだな」

 ロボットミカサに注意され、私は小さく肩をすくめる。……この感覚、何だか昔を思い出す。

「ミカサ。本日分の写真データを、神高三笠に転送してくれ。キツネの足跡の写真も、忘れずにな」

「はい。リンクを開始します……」

 ……ミカサが目を閉じたのを確認して、私は古びた手帳から、一枚の写真を取り出した。ラベンダー畑に立っている、大学生の頃の私。その隣には、茶色の髪を編み込んだ、神高三笠の姿があった。満面の笑みを浮かべながら、照れる私の腕を掴んでいる。

「……三笠。明日、会いに行くからな」

 私は写真の表面を、静かにそっと撫でた。


「ミカサ。三笠の脳波とリンクして、彼女の状態を調べてくれ」

「……状態良好。面会しても、問題ありません」

 11時2分、釧路駅。私はミカサの手を引いて、とある大病院を訪れた。面会の手続きを済ませ、私たちは長椅子に座る。

「……北条さん。ミカサは今日、神高三笠に会うのですね」

 廊下に面した待合室には、私たちのような見舞いの客が、数人ほど腰掛けている。後ろの席の男の子は、おばあちゃんに会えると言って喜んでいた。

「ミカサが三笠に会うのは、今回が初めてだな。……まさか、緊張しているのか?」

「いえ。ミカサには、筋肉の収縮運動機能はありません」

 ……冗談のつもりだったが、思いのほか機械的に返答されてしまう。彼女も薄々、察しているのかもしれない。ミカサというAIロボットには、神高三笠というオリジナルがいるのだと。

「北条さんは、神高三笠にデータを転送するために、今まで旅を続けていました。ミカサは最後までお付き合いします」

「そうか。AIなのに、優しいな」

「……北条さんの性格診断結果、『一言余計』と出ています」

 ロボットジョークが言えるのならば、特に心配はなさそうだ。私は看護師が呼びに来たのを見て、ゆっくりと立ち上がった。


 三笠は清潔な病室の一角で、虚ろな目をして横になっていた。私たちが顔を出しても、何の反応も示さない。

「三笠、久しぶりだな」

 私が声を掛けても、彼女は微動だにしない。……彼女は長い間、ずっとこの調子なのだ。交通事故に巻き込まれて以来、全くの虚ろになってしまった。

「今日は三笠に、私の発明品を紹介しようと思ってな。……AZ-027、通称『ミカサ』だ」

 私が挨拶を促すと、ミカサはウィンと音を立て、小さく頭を下げた。感情のない黒い瞳で、三笠のことを見つめている。

「三笠の脳内に送った写真は、全てミカサが転送したものなんだ。三笠にも、日本の美しい景色を見てほしくてな」

 三笠の頭には、特殊なデータリンク装置がついている。私が病院に頼み込んで、ミカサと三笠のデータを共有できるようにしたのだ。

「北条さん。神高三笠には、正常にデータを転送できています」

 答えない三笠の代わりに、ロボットが口を開いた。私が少しばかり落胆しているのを、どことなく察したのだろうか。

「……そうか。ありがとう、ミカサ」

 ――私がミカサとともに、日本を旅する理由。それは過去の三笠との、甘酸っぱい約束にあった。

「……覚えているか、三笠。ラベンダー畑の前で、二人で写真を撮ったよな」

 そう言いながら、私は再びあの写真を取り出す。写真サークルに所属していた三笠が、初デートの日に撮影してくれたものだった。

「大学生の間にさ、一緒に日本全国を旅して、色々な写真を撮ろうって決めたんだよな。『このラベンダー畑を、スタート地点にしよう!』って……」

 ……しかし、その数か月後。三笠はひき逃げ事件に巻き込まれ、そのまま病院のベッドに寝たきりになってしまった。

「時間が経ち過ぎたよ、あまりにも。あれからもう、15年も経ってしまった……」

 ベッドで寝ている三笠は、私と同じように歳を取っている。少女の姿似をしたミカサは、私の中の幻想だ。彼女がずっと、大学生のままでいてくれたらという、ほんの小さな幻想……。

「あともう少しで、全国の旅も終わるんだ。そうしたら……、一応、約束は守れるのかな」

 私はロボットのミカサとともに、日本各地を旅してまわった。真実のロボットに、幻想の人間を重ね合わせて。

「……これはただの、私の自己満足かもしれない。だが三笠、もう少しだけ、付き合って欲しい。もう一度、あのラベンダー畑に帰って来るまで……」

 私は三笠の手を掬い、穏やかなキスを送った。ミカサと同じ色をした、真っ白な手に……。


「北条さん。神高三笠から、脳内反応がありました」

 ――そのとき、信じられないことが起こった。三笠の脳波が、私の声に反応したのだ。

「データベース照合。解析します……」

 ミカサは真っ黒な瞳を閉じ、脳波の分析を開始する。やがて顔を上げると、私の顔をじっと見つめた。

「神高三笠から、言語反応がありました。『夢、醒、待』の3文字です」

 ……私は徐々に、三笠の言葉の意味が分かった。それと同時に、熱い涙が込み上げてきた。

「この文字列に対して、ミカサはこのように解釈します。『夢から醒めるまで待つ』。つまり、夢から醒めるまで待ってほしいと……」

「あ……、ああ……! 待つ、待つよ……、三笠……!」

私はベッドに突っ伏して、静かに涙を零した。――これから何十年をかけたとしても、私は三笠を待ち続ける。AI搭載型ロボット、ミカサとともに。

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