佐々成政の提案

 下間頼照は、やけに豪勢な寺の中でうつむいていた。


 事実上の加賀の君主なのに坊主らしく水ばかり呑み、坊主らしく毛の一本も生えていない頭を抱えている。



「上杉謙信……誰よりも真摯で敬虔なる坊主にして、正義に生きる男…………」



 当然だが本願寺は信長打倒のため、信玄と謙信と言う大物坊主二人を頼りにしていた。


 二人が晴信や景虎と言う俗人の頃から戦って来たのはわかっていたが、どうにかして二人手を取り合って信長打倒に動いてもらいたかった。

「武田信玄はおかしくなってしまったのやもしれませぬ」

「違う!あれは結局武田晴信であり、領国欲尽きぬ俗人だったと言う事だ!」

 だが下手するとひとケタの年齢の内に禿頭になったような根っからの坊主たちからすれば、謙信はともかく信玄は坊主ではなかった。信玄自身が本願寺の力を得るために坊主になった事を顕如が理解しており、その上で味方として取り込んでいた。

 このある種の妥協を敬虔と言うより先鋭化していた坊主たちは気に入らず、信長の次に潰してやろうとか本気で言い出す人間もいた。


 頼照もそこまで過激ではないがそのたぐいの人物であり、考えうる最悪の結末として考えてはいた。


「どうせよと言うのですか!」

「いや…………今のは聞かなかった事にせよ…………信玄でも信長よりは数万倍良い…………それから、だ。信玄は既に隠居したと言う話もある。これから信玄の影響力はどんどん薄れると言う事だ、わかるな」

「信玄に信長を討たせその跡目の幼児を……でございますか」


 もっともそれならそれで、信玄を使い潰した上で信長共々死んでもらい、その上で後継者を抱き込めばいいだけだとも思っていた。

 それに信玄の跡目が勝頼から信勝と言う幼児に代わった事もまた、坊主たちは知っていた。


 何があったのかわからないが、そんな幼児ならば思いのままにできる。


 それほどには彼らは敬虔で、宗教組織の利益に忠実であった。




「申し上げます!」




 そんな坊主たちの平穏を乱すのは、いつだって俗人だった。

「どうした!」

 寺に飛び込んで来た汗だくの農民を一瞥した頼照は一大事を感じ取ったと言わんばかりの顔を繕い、それらしい声を上げた。


「敵です!敵が突っ込んで参りました!」

「かの者もかつては僧だったと言うに…!迎え撃て!」

 そしてその言葉が予測の範囲内だったことですぐさま安堵し、いつものように声を出した。これまでそれでうまく行ったように。

「いえ、この寺院に!」

「何ぃ!」



 そのいつも通りをぶち壊すように、敵軍は眼前まで迫っていた。



「ちょっと待て!柴田軍はもうここまで来たのか!」

「柴田勝家はとんでもない猛将だぞ!」

「それにしても柴田は南からしか来られないはずだ、越前からここまでどれだけある!」

「織田は恐ろしく速いと言う!今回もまたこれまでと同じように!」


 ……で、少し崩れた途端にこれである。

 こんな大混乱と言うより悠長を極めた人間たちに付き合う道理もないのか、いつの間にか農民は逃げ出していた。


 そしてほどなくして本拠と化していた寺院に甲冑姿の人間が入り込み、頼照以下主だった坊主は次々と入滅し、ここに加賀一向一揆はあまりにもあっけなく終焉した。




※※※※※※※※




「朝倉の一族だと?」


 それから一日後。勝家は一人の俗人の死を聞いていた。

「居城を抜けて飛騨から信州に向かおうとした際に後方から斬られこの世を去りました。どうやら加賀で下間以下の坊主たちを襲ったのはその残党のようです」


 朝倉義景の死後越前に亡命していた朝倉残党が一向宗の配下となっていた旨は把握していた。義景の治世そのものはそこそこうまく行っていたのにかこつけて必死に朝倉再興軍を興そうとしていたが、此度の謙信の死で兵たちが完全に折れて織田方への服属を決めたらしい。

「信玄に頼ろうとしなかったのか」

「信玄は一向宗の友軍ですので一向一揆に苦しめられていた軍勢には懐かぬかと。坊主たちは懐かせる気満々でしたが」


 佐々成政が言う通りの理由で、坊主たちは心情的に武田信玄に友好的だった。だが民には信玄は坊主たちの人気に正比例して不人気気味で、清廉潔白な謙信の方が信玄の人気に反比例するかのように高まって行った。

「謙信の死に、全ての希望を失ったと言う訳か…………」

 坊主たちも謙信の事を好意的に見ていたため取り締まっていなかったが、それが今回こんな形で出てしまった。


「それより気になるのは北と東です」

「北と東?」

「能登の畠山と東の神保です。前者はともかく後者は武田と隣国です」


 とにかく謙信の死に伴う本願寺の坊主たちの入滅により加賀一向一揆はほとんど抵抗力を失ったが、それでもまだその先には問題があった。

 能登の畠山家は三官の一家である名家だが衰勢著しくそっちは問題ない。

「武田が越中を通じて北や西に圧をかけて来ると言うのか」

 だが越中の神保家は畠山家と状況こそ大差ないが信濃の隣国であり、信玄が粉をかけていないと言う話はどこにもない。何なら口約束だけして捨て駒に使う事だって考えられる。


「神保家が来たらどうなさいますか」

「越中一国の支配を認める代わりに人質の要求、武田が攻めてきた際にはわしらで守りを請け負うと言った所でどうだろうか」


 常識的な提案だったが、成政は首を横に振った。

 そして目線を最後尾に移し、一人の男を呼んだ。




※※※※※※※※※




「このような所で出会うとは……」




 柴田軍の使者を迎えた神保氏張は、毒気を抜かれた顔をしていた。


 一国の主らしく織田に負けじと堂々と迎えてやるつもりだったのに、出てきたのは三十路一歩手前の青年、と言うのはいいとしてもあまりにも思いもよらぬ人物だった。


「浅井新九郎でございます」


 浅井新九郎こと、浅井長政。かつて大名であり紆余曲折を経て織田家に服属した男がこんな場に出て来るなど、正直読めなかった。


「それで、此度は何の御用で……」

「それがしは悩んでおりました。浅井家の当主たるべきか、織田様の妹婿たるべきか。迷った挙句勝手に前者へと進んでしまい、気が付けば死ぬ直前でございました」


 そんなまったく読めない存在がいきなり身の上話をなどして来るものだから、なおさら勢いに呑まれてしまった。四十六歳と言う年の割に世間の狭い氏張は自分だって親族と争ったのを忘れるかのように落ち着きがなくなり、長政の後ろの男に視線をやった。

「何でございましょうか」

 だがその男に余計にひるみ、救いを求めんと自分の部下を頼るのをこらえて必死に長政を見つめた。

「それで……」

「ある日どうしても眠れなくなり、このまま腹を切ろうかと一日数度考えました。酒を呑んでもまるで酔えず、目は四六時中開きっぱなしで頭は重く……」

「ええ……」

「それで妻に励まされ命がけで父の背中を突いたのです。まことに恐ろしき事にその後は気持ちよく眠れてしまったのです」


 —————生来のそれとしか思えない爽やかな笑顔で笑う長政。

 —————そしてその真後ろにいる威厳ある男、佐久間盛政。


「ええっと……それでその、此度、我々は……」

「どうぞ落ち着いて下さいませ」

「ええ、はい、それで……」


 その三十路にもならぬ若者二人に当てられた氏張はすっかり正体を失い、まともに物を言う事も出来なくなっていた。



 そして結局、氏張は長政が持ち込んだ条件を丸呑みした。


 越中一カ国の支配を織田信長の名において公認する。

 その代わり織田家だけでなく畠山家とも争う事を禁じ、自身の妹とその夫で畠山家家臣の長連竜を京へと人質として送る。

 ただし武田または上杉が越中に攻撃した場合織田家は畠山家と共に越中を守る—————と言う条件であった。


 実はこの条件そのものは勝家が提案したそれとほとんど違わない物であり、別に長政が出て行く必要などなかったのにと言わせるには十分だった。

 だがそれ以上に、氏張自身に与えた打撃はまったく莫大だった。




 浅井長政と佐久間盛政の後ろに、氏張は勝家を見、信長を見た。


 若く血の気のあふれた盛政は単純明快に恐ろしく、それ以上に笑って話せる程度には修羅場を潜り抜けて来た好青年に恐怖を感じていたのに、その二人を従える存在を見せつけられた気がして動けなくなった。


 してやられたとは、思っている。


 これがもし並の使者だったらこんな迫力はないし、勝家自ら乗り込んで来てもああやっぱり来たかと思うと同時に信長しか見る事は出来なかった。

 だがそれでも、もう二度と織田に逆らう気がしなくなってくる。仮に上杉謙信が生きていたとしても、信長のために戦って死にたくなる。



 ここに、越中の神保氏張は織田家に服属する事を決めたのである。


 佐々成政とか言う勝家の部下が、前田利家に対抗せんと必死に頭をこねくり回した結果である事など知らないままに。

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