第九章 南北戦争
武田信玄の追悼
六度目の川中島の回戦から二日後の、六月二十日。
信玄は相変わらず茶臼山にて、喪に服さんとしていた。
「この二日間で多少ましにはなりましたが」
「相変わらずひどいな」
上杉謙信の死を知り自害した斎藤朝信の遺体は首を付けたまま保管している。一応上杉の捕虜によって運ばせるつもりでいるが、向こうが受け取る保証はない。
もちろん上杉景虎に柿崎景家、鬼小島弥太郎はとっくに首だけになっている。
その五人以外にも武田上杉問わず山のような死体が積み上がり、血臭が支配していた。
「一つの家が滅ぶと言うのはこんなものかもしれん。しかし三千や四千ならともかく一万以上とは……」
「これぞ殺戮と言う物かもしれませぬな……」
信玄が五ケタの人数を率いて戦をしたのは、実は十二年前の川中島がほぼ初めてである。信玄の戦場である信州は基本的に良くも悪くも小競り合いの戦場で、三千の兵で五百の守兵が守る城を攻める戦が日常だった。当然犠牲者の数も知れており、一万と言う数に信玄本人さえも震えていた。
一方で武田軍の犠牲者は、妻女山で散った存在を含めても二千人にも満たなかった。もちろん少ない損害ではないが、それで一万五千の兵を討ち取ったり捕虜にしたりしたのであるから、文句を言っては罰が当たるだろう。
「わしは敵も味方も、このひと月あまりに殺しまくった……信長が流した血と同じぐらいにな」
もっとも、先の兼山城東の戦いと川中島での戦いを総合すれば犠牲者の数は半端ではない。戦死者は六千以上、負傷者は四千以上。つまり一万人を犠牲にしたのはこっちだって変わらないのだ。
織田や上杉に与えた打撃を思えばとか言いたくなるが、それでも失った物は大きすぎた。
「両の手を 踏み付けこの子 いとおしく 四方かくれなく 輝く大地」
川中島へ北上している途上、父親の信虎が亡くなった。切腹ではなく病死だったが、その病床で詠んだ辞世の句に昌豊は目を剥いていた。
寝ころんでいた自分の両手を踏む我が子は実に愛おしい。まるでどこを見ても空を隠すような雲などなく、全てを照らす太陽のようだ。
—————と言うのが表向きの歌意だが、実際は「両の手」=「てて」=「父親」の存在を踏み付けにする「この子」こと「晴信」のせいで、「愛おしく」かつ「いと」「惜しい」、「子の子」である「四」郎勝頼が「隠れて」しまい、それなのに「晴」信の恩恵を受けるかのように大地は輝いている—————と言う、全くもって恨みつらみに満ちた歌だった。
「別に理解されようとも思わんがね。わしは泥水を全部飲み干すのが役目だと思っておる。それだけの事ではないか」
「四郎様もまた葬礼を行うのですか」
「ああそうだな、とりあえず経文を上げさせた」
信虎の死体は既に躑躅ヶ崎館に向かっており、勝頼の首級は既に妻の隣に埋めた。
多くの兵たちの遺体は川中島の周りの寺に埋められ、多くの場合一緒くたにされる。武田上杉を問わず、戦国の作法として。
もっとも今回は犠牲者の数が数だけに、相当な墓が必要かもしれないとは思っている。
「それでこの信州にはどれほどまで」
「七夕には躑躅ヶ崎には戻るつもりでおるよ。高坂たちに任せながらな。本来なら春日山まで奪いたいところだがな、年を取ると肩が凝って仕方がないわ」
信玄は自ら肩を回しながら寂しげに笑う。
昌豊率いる内藤軍は信玄と共に川中島におり、高坂勢は湯治を兼ねてすでに甲斐へと向かっている。馬場勢もそれに二日遅れで続く予定だった。昌豊自身も今日は慰労のため、ほとんど仕事をすることはなく信玄と二人で閑談していた、
文字通りの死闘を連続して行った疲労困憊をごまかしていた事もあり、兵たちも十八日は白川夜船だった。代償のように寝ずの番だった真田勢が信玄には気の毒であり、彼らに斎藤朝信を討ち取った功績を帰するように命じている。
「思えば元々、越後に風林火山の旗を立てるための戦だったからのう。謙信は甲斐信濃と言う海のない国に住んでおったわしに塩を送って来た。本当はわしが取りたかったのにな」
義信を殺し北条・今川との三国同盟を断行した事により武田家は塩不足に陥っていた所に、日本海から取れた塩を送って来たのが謙信だった。
信州出兵も領土拡大と共に海を得ると言うのも目的だったのにまったく人の良い話であり、正義の味方らしい振る舞いにありがたくも苦笑いもした。
そして、その時と全く変わってない謙信に、今は別の意味で感謝していた。
「子三日会わざれば刮目して見よ……」
決して無理をせず、着実に一手一手積み重ねて勝ちを得る。
それが武田信玄と言う人間だと謙信は決めつけていたのだろう。
実際今回も自分なりに相当精巧に策を練ったが、それ以上に大胆にもなっていた。
茶臼山攻撃はともかく、信玄が自ら部隊を率いて突っ込むと言う発想は謙信の中にはなかったのだろう。妻女山にいるか、海津城に籠っているか、川中島に出ているか。
もし自らが伏兵中の伏兵になって山中に潜んでいる可能性を読んでいたら、景虎や朝信辺りに相手をさせてあえて控えていたかもしれない。
「わしがいかに非業の死を遂げようともそれは全て運命よ。春日山に風林火山の旗を立てるのもな」
「では!」
「案ずるな、それをするにはあらゆる意味で兵が持たん。もう一戦派手にやらんとその機会は巡って来んだろう。そしてそれにはまだ時間が要る」
五十三歳の信玄の時間が、あとどれだけあるのだろうか。
実は信玄自身でもわかっていない。
あの風魔の秘薬なる薬を北条から寄越されたのは二年前、正直労咳の症状もひどくこのままではと言う悲観的な思いが巡っていた時期だった。
藁にも縋ると言う訳ではないが氏康の自分を生かしておきたいと言う意志を汲み取った信玄は、その薬を飲んだ。
それからほどなくして労咳は快癒し、頭の方も冴えて来た。
その冴えた頭で考えたのは上洛より先に次の武田であり、その次の武田の脅威だった。
文字通りの人間の盾を作り上げて徳川家康をあんな強引に殺し、浜松城を焼いた。
そこまではまだともかく、信勝を勝頼から取り上げて自分の道具同然に仕立て上げている事、勝頼を事実上自害同然の形に追い込んだ事は、信虎が指摘したようにとても許される事ではない。
「昌豊……」
「何でございましょうか」
「なぜ急に信長は人情的になったと思う?」
—————織田信長。
どうしても向き合わねばならぬ男。
自ら第六天魔王を名乗り、比叡山や伊勢長島を焼いた男。
「最近の信長は自分を裏切った浅井長政を許し、さらに征夷大将軍様の降伏をも受け入れた。後者はまだともかく、前者はあまりにも寛容すぎる」
「全部を朝倉に押し付けるつもりでしょう。あと長政の父親にも」
「確かにそうだろうな。だがそれにしてもだ、あそこまで激しく反抗した存在をなぜまた」
「その方が得だからでしょう」
得。
なんともまあ無機質な一文字だったが、全くその通りだろう。
信長は自分たちの最高の利益のために平気で非道を行い、いくらでも武士の誇りを捨てられる。
昨日どころか一分前と言っていることが違っていても平気で言える。それは大ウソつきとも言えるが、同時に時々刻々と状況の変化する戦場では必要不可欠な才能でもある。
それを平時にも発揮し、なおかつそれに従ってくれるだけの家臣がいるのなら。
「皆喜んで命を投げ出す、か……」
「その上に羽柴秀吉と言う男です。征夷大将軍様を魅了するなど、かの者もとんでもない存在でしょう。先の戦で明智光秀を討てたのは大きな成果かもしれませぬが…………」
あくまでも、一枚の葉っぱをむしり取ったに過ぎない。
柴田や佐久間、池田とか言う宿老たちに加え森や蒲生のような若手までいる。
その軍団を作ったのは、紛れもなく信長だ。
伊勢から強引に山を越えて近江まで来たと聞かされた時には、自国領から自国領への移動とは言え正直開いた口が塞がらなかった。
「まったく、ずいぶんとむちゃな用兵をする…………」
正直、自分にはあまりにも刺激が強すぎた。
謙信を討ち取った自分でさえもこう感じたのだ。
(あるいは!)
そこまで言った所で、信玄の頭が動き出した。
「…………どれだけの兵が今すぐ動ける」
「まさか!」
「いや、十名ほどいればいい。留守居の山県に送る使者だ」
「はい、それなら歩き巫女を使えばよろしいのでは」
「そうだな。山県ともう一人に書状を書かねばならぬ!」
疾き事風の如くと言っておきながら、まだ織田家のように速くは動かせない。ならばせめてこれだけでもとばかりに、信玄は筆を執った。
次なる敵から、武田を守るために。
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