第4話 人柱
貞永元年(一二三二)、一人の僧が時の執権北条
それが、丸太屋嘉平一家と舵とを数奇な運命に導く。
勧人聖
澪と舵が無頼の
土地の者は、隣の爺さんを呼ぶような親しみを込めて、その置石を「石蔵さん」と呼んだが、南風が吹いただけで使えなくなる柔な代物で、到底、船着場と呼べるものではない。築港造りに経験のある僧が、難破や座礁の危険から人々を守るため、ぜひともこの頼りない置石を立派な港に作り上げたいという、人助けと経済の発展に寄与する立派な思想に基づく築港事業の話だった。
執権泰時は、天災による餓死者が出る時などは、
舵など下々の者は、「船着場が新しくなる。立派な港だ」と、ただ喜んでいれば良かったはずが、その築港工事が始まるまでの数日の間に嘉平一家には、世にも恐ろしい出来事が起こった。
なぜそうなったのか、舵は嘉平に尋ねることは出来なかった。
その話が舵に伝わった時は、すでに澪の行く末は決まっていた。尼将軍北条政子さまのご逝去に事寄せて破談になった婚儀の衣装が取り出され、嘉平の部屋に華やかに掛けられていた。
その部屋に舵を呼んだ嘉平は、怖い顔を向けた。
「他言は無用だぞ」
舵は、その話を受け止めることが出来ず、呆けたままに嘉平の顔を見つめた。
「人柱」などという言葉を舵は知らなかった。
人柱とは、橋を架けたり、防波堤を築くにあたり、その工事を強固なものにするために、生きたままの人を神に奉げる人身御供。人柱は、子供か女が適切だといわれている。古代中国から伝わる五行説思想では女と子供は土であり、土は水を堰き止め支配する。
この鎌倉でも和歌江島港完成を祈って、美しい娘を人柱に立てるというのだ。
嘉平は、舵を澪と姉妹のように慈しみ、身に余る習い事などもさせてくれた。澪と一緒に、いえ澪の傍らで針を持ちながら澪に施される教育のあれこれを舵は頭一杯に留めた。あとから澪が舵に尋ねることは分かっている。そんな舵だったが、「人柱」などという忌まわしい言葉は初めて聞いた。築港という人助けの影で行われようとしている、おぞましく古い慣わしを誰がこの家に持ち込んだのだ。
なぜ澪なのだ。飛ぶ鳥落とす勢いの嘉平のひとり娘がなんで生贄とならなければならないのか。嘉平の力をもってすれば、こんな話は無かったことにすることも可能ではないか。いや、こんな話はどこか他所の娘子の親に肩代わりさせればよいのだ。その為に使う金に困る嘉平ではないはずだ。
舵は涙も見せず、考え続けた。だからといって、よい考えが浮かぶわけもなく、闇はいよいよ濃く二人の娘を取り囲む。
嘉平は、やり手の商売人だ。鎌倉で一番かというほど稼いでいる。幕府からの寄進の無心はいうに及ばず、そちこちの御家人から名のある寺社まで揉み手をした。それを退けたからの報復だろうか。いや、嘉平は金で済むことならと出来る限り用立てたはずだ。
それでもこの恐ろしい話は、むくむくと立ち上がった。
将軍家新御所の地選の際に何があったというのか。七年ほども前になるあの出来事が尾を引いているなどとは、詳細に打明けられたとしても舵には理解出来なかっただろう。新御所の建築で、丸太屋は大儲けしたと噂にあった。忙しさに紛れ、嘉平は、その「謝礼」を忘れた。その腹いせに、「人柱」の話がこの丸太屋に持ち込まれたのだ。
舵は、澪の顔を見ることが出来なかった。その何をも怖れぬ清らかな瞳は明日の運命を知っているのか。訊ねることも憚られ、舵は澪の笑顔を避けた。
舵は、嘉平のいない部屋へ入り、華やかな婚礼衣装を眺めた。
(何て綺麗な着物だろう。一度でいいから、着てみたい)
この一大事に何を暢気なことを考えているのだと我ながら呆れる。
「舵、使いに行って欲しいのだが‥‥‥」
嘉平の声がして、舵は慌てて振り返る。不遜な考えを覗かれたようで、顔を上げることが出来ない。
それなのに、舵は今しがた考えたことを嘉平に告げた。
「綺麗なお衣装ですね。旦那さま」
「ああ、舵も着たいか」
「はい、舵も着とうございます。一度でいいからこんな着物を着て、お嫁に行きとうございます」
「舵の嫁入り先を見つけねばならないな」
「いえ、旦那さま。舵の嫁入り先はもう決まっております」
舵は、嘉平の目を確りと捉え言葉をつづけた。
「石蔵の処に行きます」
嘉平の驚いた顔から目を逸らした舵は、ゆっくりと自分の欲望を伝えた。
「お嬢さまには譲れません。舵が海の石蔵に嫁入りします。この衣装は舵に下さいませ」
舵、初めてのおねだりであった。
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