第6話 我儘

 バスに乗り、私たちは三十分近く揺られていた。

 早起きだった美里は少し眠くなったのか、私の肩にもたれかかった。信頼を置かれているようだった。付き合うことで、美里の態度が変わったのが分かる。

 バスを降りて少し歩くと、水の流れる轟音が響いてきた。

「わ! すごいね」

美里が興奮気味に言う。

目の前に流れる滝は、また神秘的で異質な空間だった。

「滝なんて久々に見たなぁ」

 落差二十メートル程度の小さな滝ではあったが、圧巻だった。辺鄙な場所にあるが故に観光客は殆どいなかった。さほどここは観光地としては向いていないようだった。それでも私たちがここに来たのにはきちんと訳があった。

「どう? 結構いいの撮れそうだよね」

 写真家にとってここは絶好の写真スポットだという。有名な観光スポットは他にいくつもあったが、私たちは敢えてこちらを選んだ。「滝を撮る機会ってあんまりないから」という美里の発言が決め手だった。

「人も少ないし、自然満載ですごくいいよ!」

美里のカメラ好きはただの趣味で、仕事にしたいとかはないのだそう。以前に一眼レフを購入した理由を聞いた事があるが、美里は撮りたい写真があるのだと言っていた。何が撮りたいかは聞いても教えてくれなかった。

 それにしても今日はよく写真を撮っていた。

「ねぇこっち向いて?」

美里のカメラは滝へと同じくらい私にも向いていた。一眼レフで隠れている美里は、今どんな顔をしているのだろう。

 美里の提案で滝の側まで行くことになったが、滝の付近には特に何もなく、私はただ湿った苔や土の上を転ばぬよう慎重に歩いて滝へ近寄った。

「近くでみると迫力増すね」

「水しぶき冷たい……」

感動する美里の横で私は肩を震わせる。ふと美里の方へ視線を向けると、彼女は瞳を淀ませていた。

 どんなに私たちが沈黙しようと、微動だにせずとも、滝は延々と流れ続ける。ここに時間が存在する。時は流れ続けるのだ。美里がどんな思いで滝を眺めていたのか、この時は知る由もなかった。



 寒さに限界が来た私たちは、滝をあとにして、その後は気になったバス停で降りて転々とした。

「今日は撮ってもらうばっかで全然美里のこと撮れなかったなあ」

 バスに乗ってホテルに向かう帰り、私はそう呟いた。

「昨日撮ったよ?」

「記念日だよ? 今日の方が価値があるの。それに一眼レフだと一緒に撮れないから難点だなぁ」

美里は少し嬉しそうに、でも冷静を保って話を続けた。

「撮れるものもあるんだよ実は」

「そうなんだ。美里はなんで撮れないやつ買ったの?」

ワンテンポ遅れて美里が答える。

「だって、どうせ、無意味だから」

小さくて頼りない声だった。何が無意味なのか理解できなかった。訳を聞こうとも、美里の浮かべる表情を見たら軽々しく踏み込めなかった。暫く沈黙したら、バスはホテル前についた。

「お腹すいたね」

 バスを降りたら、美里はいつもの美里に戻っていた。またあんな悲し気な表情をされるくらいなら、聞く必要はないと、言葉を飲み込んで「そうだね」と返した。



 一度部屋に戻り食事の準備をする。私はスマホを充電しようとキャリーバッグを開ける。

 しかし、入れたはずの所に充電器は見当たらない。別の所に入れただろうか。全て探しても、充電器はなかった。

「ねぇ美里、充電器持ってる?」

「ないの?」

「うん。入れてきたはずなんだけどなぁ。ていうか昨日見たような気がしたんだけど……」

そう、確かにあった気がする。昨夜温泉へ行く準備の際、キャリーバッグの裏のチャックの中に白く細いコードが見えたのだ。見間違えたのだろうか。ないものは仕方なかった。

「それで、貸してくれない?」

「ごめん、私の充電器昨日の夜壊れちゃって……」

「えぇ本当!? 美里のスマホは充電大丈夫?」

美里は意表を突かれたような表情をしたあと、吐き出すように笑った。私は理解できずに、おどおどする。

「あははは、せっちゃんのそーゆーとこ、好きっ」

美里はそう言って笑い続けた。大きく笑う美里は、ありきたりな表現で悪いけれど、一輪の花が大きく咲いたようだった。私は不意の好きに顔を赤らめて一緒に笑った。

 美里はツボにはまったのか、涙を浮かばせながら笑っていた。これから先もずっと傍にいられると思ったら嬉しくなった。知らぬ間に私の目も潤んでいた。



「なんか、寒いね」

 食事を終え暫くし温泉へ向かう際、エレベーターを使うのだが、生憎乗ったエレベーターに人はいなかった。私たちはその小さな四角形の空間に閉じ込められると妙な空気が漂った。それは、何か話をしたほうがいい、という使命感から出た言葉だった。

 美里はそれに特に反応しないで、そういえばと切り出した。

「私のスマホ、あと七十パーセントくらいあるから、何かあったら私のスマホ貸すね」

「あ、そうだったんだ。ありがと。腕時計とかもないから時間見させてもらうかも~」

「100%直前で壊れたみたいだから不幸中の幸いだったの」

まるで言い訳するように、美里は補足した。

「そっか~運いいねぇ」

私はそれだけ言って、世間話へと移った。



 温泉は十一時に終了だからか、十時頃に行くと人はあまりいなかった。いるのは数人の学生と、小さい子どもを連れた親子くらいだった。

「昨日より空いてるね」と私。

「昨日は九時台だったからかな?」と美里。

 そういえば、と思いだす。美里はバイセクシュアルだ。女の人の裸がすぐ傍にあることに、美里はどう感じるのだろう。昨日の温泉の時は恋人同士ではなかった。美里が〝彼女〟になった瞬間、細かいことまで気になるようになるらしい。面倒だと思う反面、美里を心から好きでいられている自分がどこか誇らしかった。

 そして気づけば直球に質問してしまっていて、ハッとする。しかし杞憂のようで美里は少しばかりにやにやしながらいう。

「気になる?」

「う、うん」

「自分の裸人に見せるの得意じゃないから、人のもあんまり見ないんだ」

「え? でも私に見せてるし私の見てんじゃん」

そういうと美里は顔を真っ赤にしてそっぽを向いた。その反応を見て、理解する。

「恥ずかしいね……結構」

私はそう言って肩まで温泉に浸かった。美里は小さく笑っていた。



 温泉で温まった身体を、外の冷たい風で冷やす。部屋の窓を少し開けていると、美里がそっと閉めた。

「風邪ひくよ」

私はじっと美里を見つめていた。

「なに?」

「ううん、なんか、幸せだなぁって思って」

美里も私も、次の瞬間には顔を真っ赤にして沈黙する。互いが熱い視線を送りあう。目が合うと、私たちはそのまま抱き合っていた。



 旅行三日目、私たちは朝温泉で身体を洗い、九時にチェックアウトをした。互いに疲労し、直帰する予定だったが、美里がどうしてもと観光を希望した。私は快く受け入れた。

 どこに行くにも、美里は一眼レフで私を撮影した。

「本当上手だね、応募とかしてみたら?」

「しないよ、これは私だけの写真だから。人に見せないの」

美里は嬉しそうだった。

「次はどこに行こうね? もっと遠く行っちゃうか」

私は呑気にそんなことを呟く。美里はワンテンポ遅れて「宇宙旅行」と言った。スケールの大きい旅行提案に、私は思わず笑った。

 美里のワンピースが風に靡く。ふわふわした髪にも風が迷い込んでいる。

「美里、スマホ貸して」

私は許可をもらう前に美里のスマホを手にとり、風と踊る美里の全体像を撮った。

「え、急」

そういって不満を漏らす美里も可愛くて畳みかけるようにシャッターボタンを押した。

「私の写真いる?」

「いるでしょそりゃ。これ、後で送っといて。私だけの写真だから」

「わかったよ。一番に私の連絡見るんだよ?」

「はーい」

 美里の言葉一つひとつ、深い意味があるなど思いもしなかった。

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