第4話 旅行
「別れようか」
愛すから愛される、それが絶対とは限らないのだ。それでも見返りのない愛を誰かに差し出すことができるのなら、そんな人になりたかったと強く思う。
だからこそ、コソコソしないで不満を彼に伝えた。美里のことは一切伏せて。これまでも不満を伝えたことはあったが、全部言ったのは初めてだった。こうなる展開も予想の内ではあったが、善処しようとしてくれることを期待していた。
「今は大きな企画任されてて、両立できそうにない」
「それしか選択肢がない?」
久々に会って、不満が吹っ飛んで罪悪感だけが残った。でも会う時だけ幸せは違うと美里が言う。彼に会う事で罪悪感を感じる自分にも嫌悪する。少なくとも幸せな感情はなくて、結局プラマイゼロのようなものだった。
彼は悩むフリをして返答しようとしなかった。別れたくなかったけど、ここで私が潔く別れを承諾すれば、もしかしたら違和感くらいは感じてくれるのではないかと、期待した。
私たちは客観的にはなんともあっさり、すっぱり別れた。
別れても対して変わらない日常。この選択肢も間違いではないかもしれないと思わせてくれた。それでもずっとあった定期のように、無性に別れたことを悔やむ自分もいた。その度にこれまでの美里の言葉を思い出して一過性でも目を覚ましていた。
美里に報告したのは別れた翌日だった。付き合っている間、恋の相談をしていたのは美里だけではなかった。けれど夜中まで相談に乗ってくれていた友人には伝える気力も湧かずに、誰より先に報告しようと浮かんだのは美里の顔だった。
美里は最初「え」と小さく驚いた。その後少しの沈黙の後に「そっか」と納得したようだった。求めていたのは少し嬉しそうな美里の表情で、脳裏のそれと視界に映るそれが合致した瞬間、胸の奥がじんわり満たされていくのを感じた。
「引き留めてもらいたかった?」
美里の言葉から、彼の顔が浮かんでくるのに少し時間がかかった。少しずつ彼の愛への執着も消えていくだろう。けれどひとまずは答えずに首を傾げて誤魔化した。
「今日泊まってい?」
「……ん」
「あ、まって明日テストじゃない?」
「え?」
親友のような関係の中に、それを越えたモノがある。それは私たちにしか分からない特別なものであった。
「今夜は勉強会だなぁ」
私たちは久々に平凡な大学生の夜を過ごした。月が昇って、でもそれは薄い雲に覆い隠されて朧気に不鮮明になっていた。
「お疲れ~~!」
私は四つの、美里は六つのテストを終え後期を達成させ、後期最後の学食へと向かった。
あれから美里の態度が元に戻っていった。美里の嘘の優しさと本物の想いに甘えてとことん愛されようとする私を、美里は何も言わず受け入れてくれていた。美里を求めれば求めるほど、美里は究極の愛情を感じ互いに報われる。私は美里の思惑通りに動いてしまっているのだろう。狡いのは私ではなく美里だと思った。
「テストも終わったし、どこか遠出したいなぁ」
「え、それいいいね!」
テストから解放されたこともあって、私は高揚していた。美里の提案に続いて私は考えもせずに口にする。
「旅行行っちゃう?」
美里の顔がパっと明るくなった。それが嬉しく思わず箸で掴んでいたうどんをツルっと手放してしまった。
考えずにというのは確かだが、いつまでもこのままというのもよくないことは分かっていた。真剣に美里と付き合うことも視野に入れていた。愛されたい気持ちは変わらない。それでも、美里が喜ぶ姿を見るのにも満たされていた。性別に嫌悪がないといえば嘘だけど、美里なら範囲内だった。できることなら、もっと愛を返したいと思った。
「どこ行く?」
「美里はどこ行きたい?」
「そうだなぁ」
わくわくしてるようだった。避けられていた時以来だ、美里の笑顔を見た。胸のあたりがほんのり温かくなった。
一月がもうすぐ終わるころ、夢の中に彼が出てきた。
夢の中は汚れがなくてとても綺麗で、私の望むような彼とのやり取りが繰り広げられた。
目を覚まして、苦笑することしかできなかった。美里との旅行が来週に迫っている中で彼をまた思い出された。綺麗な恋なんてこの世にないだろう、と思う。どこかの友人は、不満とか全部含めて恋だと言っていた。それを含めて綺麗な恋だというのならば恋の盲目さにも呆れてしまう。
大丈夫だ、私はもう彼を想ってはいない。
二月が始まった。それと同時に私たちの旅行もスタートした。
地元よりもここはずっと寒かった。美里は寒さに弱いようで沢山着込んでいた。私も強くはなく完全防寒してホテルから出た。
「予定よりも早いね。のんびり行きますか」
目的地は、ここら辺では有名な神社だ。少し距離はあるが歩くことを決めて景色を眺めながら歩き続けた。
「なんかさ、色々あったよね」
歩きながら私がそういった。その言葉に深い意味はなかったけれど、美里は「そうだね」と重く受け止めたようだった。
「恋は盲目って本当怖いよ。悪い事じゃないけど、普段の自分なら分かる良し悪しとかの区別がつかなくなるっていうかさ」
「……そうだねぇ」
美里はいまいちのってこないで首からぶら下げた一眼レフをいじりながら歩いていた。途端小さな段差が目に入る。私は咄嗟に美里の腕をとる。
「美里、前見て歩いて。危ないよ」
どうにか転ばずに済んで安堵する。美里は少し顔を赤くして「ありがと」という。こそばゆい。こんな気持ちになるのは久々で、同性は無理でも美里だけは恋愛対象なのだと気づかされる。
「美里、写真撮ってよ」
「私まだ全然下手なんだけど」
「いいよ。美里に撮ってほしい」
美里はさっきとは違って、嬉しそうな表情を浮かべた。そんな美里が好きだ。私を好きな美里が好きだ。
美里がカメラを覗いて、私を見つめる。ピントの合う音がした瞬間、美里の細い人差し指がシャッターが押す。
「撮れた?」
「うん、でもまだ上手くないなぁ。もっと頑張る」
「沢山撮ってね。てか、私も美里のこと撮りたい」
何もない道、知らない土地で、ただ私たちは被写体を撮り続けた。
目的地に着くとそこは急に神社が現れたような異質な空間だった。鳥居をくぐるとひたすらに真っ直ぐな参道が続く。参道を囲む樹々を通ってやってくる風は篩にかけられたような選ばれし神秘の風のようで、ひんやりと冷たく、きめ細かく肌に纏わりつくようだった。私はひっそりと呼吸をしながら自分を殺すかのように慎重に歩いた。対して美里はこの空間が妙で楽しいのか、口元を綻ばせながらカメラを覗いてシャッターを下ろしていた。
人は点々としていた。それらは大学生ぽい学生やカップルぽい人ばかりだった。
この神社は美里がどうかと薦めてきた神社だった。提案を持ち帰って部屋で検索したところ、ここは縁結びの神様が祀られているといわれているとのことだった。翌日、どうしてここにと聞いたら、「有名らしいよ」とだけ答えた。美里は縁結びの神様がいることを知っていたに違いない。それ以前に、旅行先がこの地になった決め手はこの神社なのでないかとさえ思う。私たちは、一緒にいる間、神社を深く調べようとしないで、ただ有名だからという理由を貫いてここまで来た。
「ここって縁結びの神社なんだ」
美里が神社の説明が書かれている看板を読んで呟く。分かりやすい芝居、なんて滑稽なのだろう。美里はきっと私に気付かれていることを知っている。それでも気づいていないフリをしてほしいと訴えているのだ。
「そうだったんだ」
不安定な、糢糊たる空間に私たちはただ漂っていた。
拝殿の傍にはおみくじや絵馬があった。折角だから、と美里がいうのでおみくじを引いた。私たちは曖昧な仲だ。それでも神がこれを許すのなら私たちの恋愛運命はほぼほぼ一致するであろう。もし一致しなくても、こんなものはただの気休めでしかなくて、ただの遊び事で、ただのモチベーションだ。
おみくじの内容は、私は自ら行動することで上手くいくようだった。美里も上手くいくという内容だそうで、一致していた。おみくじと睨めっこする美里の顔が面白く、一度おみくじを覗こうとした時、美里は「おみくじ人に見られたら叶わなくなるの」といって見せてはくれなかった。私は自分の引いたただの紙きれをみつめた。
「ね、お参りしてこ」
自分のおみくじを財布に閉まった美里はパッと顔をあげ言った。
「えぇやる?」
「何のために来たの?」
その発言は、美里の行動が計画的だったと暴露しているのと同等だったが、美里は気づいていないようだった。
私もそれに賛同し何食わぬ顔で真っ赤な拝殿へと向かった。境内が広めのため人々が散らばり参拝の列は短かった。
参拝をしたい自分としたくない自分がいた。したくない理由を考えると、軽く吐き気がした。しかし美里は迷うことなく列に並ぶ。私もそんな風に美里に対して真っ直ぐでありたかった。
神の前。私の横で、美里は真剣に手を叩き頭を下げる。美里の柔らかな髪がふわりと垂れる様子に見惚れている場合ではなかった。私も同じ様に頭を下げる。結婚を目前にした女性がなりやすいマリッジブルーのような感覚。ただ覚悟を決めればいいのだ。美里が好き、その自分だけを信じれば互いに愛され満たされるだろう。恋は成就するのだ。私は目を瞑り神に祈る。
「なんか効きそうだね」
参拝をした後、美里は清々しいといった態度でそういった。
「根拠は?」
私は笑いながらいう。効くかどうかはわからない。
「根拠はないけど、こういう所ってそういうパワーない?」
けれど縁結びの神様は私に覚悟を決めるきっかけを作った。
「確かにあるね」
私たちはお揃いのお守りを買って、ホテルへと向かった。
さっき通ったはずの道も、なんだかきらめいているように見えた。心の持ちようで見える世界は変わるらしい。美里の瞳は今どんな景色を映しているのだろう。私と同じなら。そう願う私がいることに安堵する。
被写体も心なしか互いにいい表情をし、素敵な写真が撮れた気がした。美里は恐らく大きな差はなく、変化したのは私だ。レンズ越しに見える美里の笑顔がさっきよりも真っ直ぐ見えるのだ。私の好きな美里が傍にいてくれるんだ、そう思うと胸が高鳴った。そうして被写体の私も、自然と笑顔が零れてしまう。
私たちはいつまでも撮り続けた。
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