第3話 曖昧
「せっちゃん髪伸びてきたね」
年を越し短期間の冬休みを終え、後期も残り二週間になっていた。
「確かに」
これが終われば補講期間に入ってすぐにテストだ。周囲は少しずつ焦りを見せ始め講義中の居眠り率も下がってきていた。
周りより容量の悪い私は人一倍頑張らないと皆と同じラインに立てなかった。そう思って努力をした結果、思いのほか成績が良いことが多かった。それをみて周囲は真面目な性格だと認知して私を過大評価した。
「前美容師さんに髪を早く伸ばす方法聞いたらさ、髪を結ぶことって言われたんだよね。引っ張られて伸びる的な? 短いままでよかったんだけど、バイト先で注意されて髪結ぶこと多くなった。だからかな?」
講義中は基本私語は禁止だから、私たちは極力声を小さくしてひそひそ話した。
教員が厳しければノートに書いて話す。この講義は緩かった。
「へぇそうなんだね」
美里は感心を示しながら、今日も私の話を聞いていた。美里はセミロングで、今日は細い束を緩く巻くヘアアレンジで、それは美里に最も似合うヘアアレンジだから好きだった。
美里は私の変化をいつも見つけてくれる。愛されたい側の美里は、どんな重い愛も受け止められる自信があるのだと、言っていた。美里が思っている以上に、私は美里を必要としている。それを伝えても美里は受け止めてくれるのだと思うと、安心して傍にいられた。
まるでそれは恋人のように。
恋人のいる人にとって、クリスマスはなかなか大きなイベントだ。忙しい彼とも、クリスマスは期待していた。きっと時間を作ってくれるだろうと。デートはできなくても短時間でも会ってプレゼントとか。そう期待していた自分が酷く惨めだった。
私は前の席の人の背中に隠れてスマホを触りだした。私は常に真面目なわけではない。SNSを開けば知り合いのカップルが写真を載せていた。彼女らは少し前に三年記念日を迎えていた。他人の恋事情を聞くのも覗くのも好きだけど、それはただ自分の首を絞めているだけかもしれなかった。いや、それとも無意識に目を覚まさせようとしているだけだろうか。
特別が欲しい。愛が欲しい。
「恋は盲目ってホントそうなんだね」
「せっちゃん粘るね」
いよいよテスト目前の補習期間がやってきた頃。美里も履修していた講義の補講を共に終え、学食へ向かった。
「年明けてさ、新年の挨拶ってするじゃん。それなかったんだよね。来なかったから私からしたんだけど、返事きたのその二日後」
「別れたらいいのに」
美里はあの日から、私と彼の関係にわかりやすく否定的になった。
「分かってるよ、このままじゃダメだって。それでも別れる勇気がないっていうか。まだ期待してるっていうか。愛をただもらいたいわけじゃなくて、あの人からもらいたいんだと、思う」
「彼からの愛じゃなきゃ、要らない?」
美里の瞳は悲しみを帯びている、ように見えたのは勘違いだろうか。
眼圧に気圧されて「わからない」と曖昧な答えを口にした。
「うわ、めっちゃ混んでる。ご飯後にしない? 三限ないでしょ?」
学食につくと混んでいて、私はそれを話のネタにして気を逸らした。
美里も眼を私から離して「ほんとだね」といつもの調子でいった。
私たちは人のいない適当な空き教室に入った。
「せっちゃんの好きはどうかわからないけど」
誰もいない無駄に広い教室だった。窓の外は樹々が多く日光はあまり差し込んでこなかった。それでも電気をつけずに、少し肌寒い空間で、私たちは後ろの席に座って、まず一声、美里が話し出した。
「私はね、この人のためならなんでもできる! みたいなのが好きだなって思う」
「そうだね、私もそれが理想だなって、思う」
「好きだけどね、私は」
音を吸収する物が少ないこの教室で、美里の声は真っ直ぐに私の耳に通っていく。
“好きだけどね、私は”。何に対してだろうと考えて、一瞬沈黙ができた。美里はふふっと笑った。それが解らなくて、私はスルーして話を続けた。
「気づいちゃったんだよね。私の人生に彼が必要じゃないってことに。彼は別にいなくても私はそれなりに楽しくやっていける。それでもなんか、チャンスだなって感じて、あの人からの愛を期待してるみたいな。だから別れたらその可能性もゼロになるかなって思うと、このままでもいいから付き合ってみてたらいいかなとも思う」
不誠実だな、と話しながら思った。愛されたいが故の好き。
私はそっと立ち上がって教室の窓を開けてみた。
「うっわさむ。さすが一月の風~」
美里は何か考えているのか、両腕で頬杖をついて遠く前にある黒板をじっと見つめていた。私はその横顔を眺めながら、肩まで伸びた髪を一月の風に靡かせながら、そっと呟いた。
「美里ならよかった」
小さく呟いたつもりが、誰もいない所ではやはりよく振動するようで、美里にもはっきり聞こえたようだった。美里を纏う空気が張った。
「美里にならなんでもできる気がする。美里と連絡途切れるとつまんないし。美里の頑張れとか大丈夫って言葉大好きだし! 美里は重くても受け止めてくれるらしいし」
美里は綺麗に前を向いたままでいう。
「……当たり前だよ」
あぁなんて卑怯で狡猾な人間だろう。愛されたい側の私たちは互いが求めているモノが手にとるようにわかるのだ。
「私もね、そう思ったりするよ」
やっとこっちを見た美里はぎこちなく笑った。窓を閉めて美里の隣に座った。私は机に突っ伏して下から美里を見上げた。多分、美里も結構狡くて嫌悪している頃だった。
「私も、美里の嘘の優しさに引っ掛かってるんだよね?」
美里の瞳がこちらを見ない。
「話すことで保険かけた、みたいな」
意地悪だなぁ。
私は顔を美里のいない方へ向けた。美里の表情を見るのが怖くなった。臆病なのに卑怯だ。
「いいよ、保険でもなんでも。今より先のことなんて誰にもわかんないし、保険なんて、かけて生きた方が楽だもん。私だってそうだし」
自分の声がやたら響いて、大丈夫だよって自分に言い聞かせているみたいだった。
曖昧な関係が嫌だって散々言ってるのに。
息を吸い込んでから、美里の方へ顔を向けた。美里の顔がすぐそこにあった。だから目を瞑ってみた。私の所為だけど、私の所為じゃないんだって少しでも自分を否定しないように。
彼氏とそれなりにしてきたあの唇の感覚。けれど少し違う感覚。相手が違うだけでこうも違うのか。初めてしたのは彼相手で、これまでもこれからも、彼だけだと思っていた。彼は少し強引で、優しいキスなど付き合い立ての頃くらいだったろう。そして思い出す、彼をただ純粋に好きだった頃を。もしかしたら目を開けたらこれは彼なのではないかって、また、期待していた。
歪んだのか、それとももともと歪んでいてただ自覚しただけなのか、どちらだろう。どう思うことで私は救われるだろう。
あの後、私は美里のアパートに行って、無駄な言葉は交わさずに思うままに服を剥いで愛撫してキスをした。朝が来た時も、私たちは暫く言葉を交わさなかった。美里が何を思っているのかわからず怖さから私の体は震えていた。そんな私をみて美里は「寒い?」といって暖房をつけた。その一言が沈黙の膜を破って、同時に曖昧な関係を作り出した。
「美里、朝だよ」
いつも先に起きるのは私だった。ベッドから起き上がって、履き捨てられたズボンと脱ぎ捨てられた下着を手にとる。服を着て、歯を磨いて顔を洗って、メイクをして、それから彼からの連絡を確認した。
「美里、私大学の図書館に用あるから、行くね」
互いにこの関係を明瞭にしようとはしなかった。胸が痛むのだから、良心がないわけではないだろう。それでもこうしてることで更なる期待をしている。彼を傷つけられるのではないかという魂胆がないわけがなかった。けれどただ利用しているのだと認めることで美里を傷つけることもしたくなかった。
「うん」
やっと口を開いたと思ったらただそういうだけだった。
少しずつ美里が私から離れていこうとしているのがわかった。それが美里自身の何らかの罪悪感からなのか、それとも愛を求めているかはわからなかった。「普段優しい人がさ、急に連絡途切れたりしたら“どうしたの? なんで? あの子が?”てなるじゃん」美里はそう言っていた。私は何といえば美里の求めるモノを与えることができるだろう、捨てないでくれるだろう。
考えながら、そういえば、と彼へ返事をしていないことを思い出す。彼は恋人の変化に一切気づかないようだった。これからもきっと気づかれることはなくて、無意味な関係――それは美里も含めて――をズルズルと続けるだけなのだと思うと、どうしようもなく泣きたくなった。
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