第7話「私の坊っちゃんは困った方です」
久しぶりに機嫌の良くなった俺は、車の窓から変わらない景色を眺めて笑う。
早速あの女に仕掛けてやろう。どんな表情で悔しがるか、今から想像するだけでも愉快だ!
「ククッ……首を洗って待っていろよ……ククク」
もはや悪役の笑いであるが、そのことには一切気づかなかった俺はこの重要すぎることを知らない。
この車には、リアルタイムで確認できるドライブレコーダのカメラがあること。
そして、その首を洗って待つ女がそれを見て聞いていたこと。
そしてそして、その事をしる運転手が哀れな目で俺を見ていたことも。
俺はまだ何も知らない。
そのことを知るのは、もっと後のお話だ。
****
私の名前は神宮寺悠。職業は子息令嬢の教育係をしている。
この柴田家の教育係についてもう一週間がたったが、この家の坊っちゃんである柴田蓮寺という少年は、まあ困ったことにクソガキもクソガキ。
社会の恐ろしさを知らないケツの青いガキだ。
傲慢な性格に、人を信用しない性質。
この世の女性を自分の手のひらで転がせ、弄ぶクズ男という生き物だ。
しかしこの手の男というのは、奇しくもどの時代どの階級にも存在し、一定数いる。
そんな奴らは性病に掛かってもげればいいと常日頃から神棚に願っている私。
話は戻し、カボチャのパンツと白タイツを着ても異様に似合う、無駄に美形なお坊ちゃまのその傲慢さをなくそうと日々健闘している私だが、最近困ったことになっている。
どうやらクソ……坊ちゃまは私を惚れさせ捨てようと目論んでいるらしい。
いや、ほんとどうしてそうなる。
その変な目論見が始まったのはちょうど一週間前。
あの坊っちゃんは朝から突然、甘いセリフで私を口説き始めた。
その歯の浮くような、聞いているコッチが恥ずかしくなるセリフに甘く憂いの帯びた視線。
異常に多いスキンシップ。
最初の頃は熱でも出たか、とうとう頭が性病でやられたかと疑ったほどだ。
しかしドライブレコーダのカメラを見て、私は頭を抱えた。
まさかあの勝負の内容をそっち方向にするとは思いつかなかった。
これは思いつかなかった私のせいなのだろうか。それとも高校生という、そっち方向ばかりに頭を働かせる年頃の少年が悪いのか。正直なところ分からん。
私が想像したのはせいぜい勉学とか、運動とか。
私に一つでも参ったって言わせるようなことかと思って余裕ぶっていたのに。
なんでわざわざそれにしたのか。
これじゃあまるで高校生の罰ゲームで、相手を騙して告白するようなものじゃないか。ひどすぎる。
と言うか、だ。
私が坊っちゃんに惚れたら色々と不味い。法律的にもモラル的にも。
坊っちゃんのあの出で立ちで15に見られないだろうし、あの色気は15の少年が持って良いものではない。
そして私は25のいい大人。この差は大きい。
しかも私の立場は教育者。それで教え子に手を出すとかもう私的には切腹ものだ。
最近はそれらで禁断の恋とかやっているみたいだけど、私にその流行りはわからない。
「はぁ……頭が痛い」
ここに来てからため息が多くなっている。
健康的なはずの私の体には疲れが強くたまり、頭がズキズキと痛んだ。
やっぱり……ここの依頼受けなければよかった。
しかし、ここで逃げるのは神宮寺家の誇りにも私の信念にも反する。
それにあの寂しそうな少年を置いてここを去るのはどうも忍びない。
あんな、両親のことを考えて寂しげな目をする少年を。
坊っちゃんがいるこの貴族社会。
両親が不仲とか、育児放棄などは特段別に特別視するものではない。
それは普通なのだ。むしろ溺愛などのほうが少ないぐらい。
大抵の親は子供を道具だと思っていたり、執着したりするものだと認識している。
ひどい場合は誕生日など覚えていなかったり、一度もあったことなどなかったり。
私が見てきた中、つまり経験から言わせれば、本当に愛情を注いでいる家っていうのはほんの一握りだ。
そして、大抵の場合は年齢にあってないような不安定に大人びた顔つきをしている。
本当に危なげな。ヒヤヒヤとするような子供。
今までそうしてあってきた子どもたちは、何かしらが拗れている。
それが噂に登る子たちだ。
しかしそれらの子たちはまだマシな部類。
だからとは言いたくないが、まだ坊っちゃんはその恵まれているマシな部類にはいる。
あの子よりかは、まだ……
本当に、上流階級というものはあまりにも腐っている。
見てきた家も、この家も、一体子供を何だと思っているんだ。
子供の人生は、その子のものだ。けして親のものなんかじゃない。
子は親に愛情を注がれなければ生きていけない。大人になれない。
それがどうしてわからないのか。
だから、私は教え子たちには全力で相手をしている。
愛情を注ぎ、時には喧嘩をしてその子を育てる。
しつこいぐらいに子供を見守り、親がくれるはずだったものをほんの少しでも渡していく。
たまにその過程で、私に恋慕してしまう子もいた。
特に親に愛情を注がれなかった子、親に嫌われている子が多い。
そういう子は異常な執着と愛を無理にでも相手に押し付けようとしてくる。
……まさかボディソープに軟膏タイプの媚薬が入っているとは思わなかった。
本当に怖かった経験だ。私は間一髪で使わなかったが、たまたまそれを貸していたお手伝いさんがそういうクスリに弱く大変なことになった。
その子は叱り、次の月に私は辞めたがその子の目は本当に恐ろしいものだった。
焦点が完全に遥か彼方に旅行にでも行っている目で、私に愛を伝えてきた。
その必死さ。私は愛情に飢えた人ほど怖いものはないと学んだ。
と、そういう経験はしてきたが今回は本当に頭が痛くなる。
ココまで直球にする子は一人も居なかった。過程とかもそうだが始めっからなんて。
しかも相手が悪すぎる。ほかならなんとかなったのに柴田家とは……。
このことは、絶対にあの男にはバレない様にしなければならない。
とりあえずドライブレコーダーの記録は全て消し、後で運転手には口止めしておこう。
「ほんと、私の坊っちゃんは困った方です」
私はやれやれと呟いて部屋を出る。
後もう少しで坊っちゃんが帰宅する時間だ。
確かな私の足取り、向かう先はいつもの玄関。
とりあえず坊っちゃんの件は保留にして、私は今日も出迎えだ。
黒い高級車が玄関前で停車し、あの旧世代な学園の制服を着た美少年が降りる。
その美少年は私を見つけた瞬間、ニヤッと悪い顔をして機嫌が良さそうだ。
そのニヤニヤとした顔、完全に悪巧みしてますよと語る坊っちゃんに私はニッコリと笑った。
「おかえりなさいませ坊ちゃま。今日もお疲れさまです」
****
今日も玄関先で俺の出迎えをした女に、俺はついつい口の端を上げてしまった。
おっといかんいかん。あの女に勘づかれちまう。
「おかえりなさいませ坊ちゃま。今日もお疲れさまです」
「……ああ、ただいま」
おかえり、ただいま。
何の変哲もないその挨拶に、俺はどうしても慣れない。
そんなムズムズした思いのまま、俺は女の隣を歩く。
俺よりも低い背だからか、そのいつもはしっかりと結んでいるはずの髪から少し垂れ込んでいる一房が目に付く。
それが歩くたんびにゆらゆらと揺れていた。
いつものアイツらしく無いそれに、俺は釘付けになる。
顔もなんだか疲れているように見えるし、くまが薄っすらと見える。
ナチュラルメイクのせいか、茶系のアイラインのせいでそれはハッキリとなった。
あれ、コイツ……もしかして疲れている?
そう言えば、コイツって休みとったことあったっけ?休日もずっと俺に付きっきりだった気が……
そう気づいて俺はほんの少し、ほんの少しだけ!米粒ほど!心配した。
そっと前を歩く女に手を伸ばして、俺はあの女の顎を持ち上げる。
前に進んでいたアイツはそれのせいでバランスを崩しかけたが、俺が腰に手を回して事なきを終えた。
驚いて固まる女の目をじっくりと見たが、やっぱりこれ隈だ。
「おい、お前疲れてんなら休めよ。隈があるぞ。しっかし休め」
呆れた。休みぐらいしっかりと取れよ。
お前が元気で完璧じゃないと、負かしたときに達成感が出ないだろうが。
そう思って俺は呆れた視線を女に送って気づいた。
……あれ?なんか距離が近くない?
鼻と鼻が付きそうなぐらい顔が近く、女は目を見開いて驚いている。
その改めてみた女の顔は本当にきれいで、俺は顔から火が出た。
「す、すすす、すまん!別にこれはっお前をっ」
「……坊ちゃま」
慌てて離して手振り使って釈明する俺。
もう童貞丸出しなそれに、女は静かな目を向けて口を開いた。
「は、はい……何でしょう」
「………………はぁぁぁ……わたしの名前は悠です、お前ではありません。それと、坊ちゃまの言う通り少し悠は疲れているようなので、今日は上がらせていただきます。何かありましたら私の部屋に来てください」
めちゃくちゃ大きいため息を付いて疲れた表情をしたアイツは、それだけ言うとこの場から離れていく。
多分道的に自分の部屋に言ったのだろう。
いつもよりも表情豊かなあの女を見れたが、俺はそれよりもあの女の顔が脳裏から消えずに残って顔が熱くなる。
心臓の鼓動がうるさく、俺はなぜか走り出したい欲求に駆られた。
や、ヤバイ。今日やろうとしていたこと全て吹っ飛んだ。
俺はその場に頭を抱えて蹲っていた。
****
コツコツと高級カーペットを踏みしめて私は部屋に急いで戻る。
一刻も早く1人になりたかった。
何人かとすれ違ったので、その場の根性で挨拶をして不自然にならない程度に歩く。
着いた自分の部屋をバタンと扉の音を立てながら部屋に入った私は、鍵をかけてその場にへたり込む。
めちゃくちゃびっくりした。
あまりの不意打ちで私としたことが表情に出過ぎた。
「あ〜〜〜、もうこのっ」
顔が近づいて見えたあの瞳。
深い深い綺麗な青に、思わず私としたことが釘付けになってしまった。
あれほど気をつけようと思っていたのに。
全くあの坊ちゃんは……!
あの坊ちゃんはどうやら天然タラシもはいっているらしい。
あまりにも自然に近づいたから避けられなかった。
私はズルズルと立って鏡を覗き見る。
私の目の下にはほんのうっすらと、普通は分からないであろう隈がそこにあった。
しかし、そんなことよも注目しなければならないものがそこに映り込んでいる。
赤い顔をした、見たこともないような自分の顔が自分を睨んでいた。
ああ、本当に……
「全く、本当に私の坊ちゃんは困った方だよ……」
なんでこういう時に限って、そういう顔をするんだ。
こんな姿、母にだって見せたことない。
私は机に項垂れてしばらく動かずに、ずっとそこにい続けた。
桜のイヤリングが、赤い耳を綺麗に彩って輝きを放っていたのが妙に恨めしかった。
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