第4話「俺と教育係の三ヶ月契約」
今日は疲れた。主にあの女のせいで。
今思ったんだが、別にあんな朝っぱらから来なくても昼前に渡せばよかったのでは?
そんな事を思いついて、アイツわざと俺を疲れさせるために来たと気づいた。
脳裏にニヤニヤニヤニヤと女の嫌な笑みが浮かび上がっていく。俺あいつ本当に嫌い。
車の窓ガラスに反射した俺に顔はいつも異常に疲れていてげっそりとしている。
しかしどこか満足げに歪んだ目尻をした俺がコッチを見ていて、すぐに窓の反射から視線をそらした。
「クッソ……」
アイツが持ってきた弁当は、人が嫌いだと言ったピーマンがたっぷり入っていて本当にこれを平然と入れたやつは鬼か悪魔だと思う。実際そうだが。
けれどもしっかりとした下ごしらえと味付けは、一時間ですましたものではない。
俺を起こして運動して飯を食べている間、アイツは俺から一切離れなかった。
……アイツは、一体何時に起きたんだ?
俺の好きなハンバーグも、何時知ったのだろうか。
味だって、俺好みの濃いめの味付けだったが、しつこさはなかった。
こんなにも食べやすいようにされた弁当は、生まれてはじめてだ。
ムズムズと背中が痒くなるような感覚がしてくる。
カバンに入っている弁当箱は見えないのに、妙な存在感を放っている。
俺の口元が段々と上がっていき、見えないはずの運転手から隠すよう口元を手で隠した。
「美味しいかったぐらいは、言ってやるか」
そんなつぶやきは、流れる景色の中ひっそりと俺の中に染み込んだ。
****
「おかえりなさいませ、坊ちゃま。今日も勉学お疲れさまです」
「……おう」
玄関前にすでに立っていたコイツは、車から出てきた俺にお辞儀して微笑む。
この屋敷に入った時から立っていたコイツはどの使用人よりも律儀だ。
俺は早速弁当の礼でも言おうかと思い、女の前に立つが……何故か声が出ない。
あれ、なんか意味もわからないほど緊張するぞ?
「お、おい……」
「はい?……ああ、おカバンですね。お持ちいたしますよ」
「えっ……」
意味もなく緊張した俺がカバンを見せつけるように言ってしまったせいか、女は分かっているとでも言うかのような顔で俺のカバンを持っていってしまう。
違う、そうじゃない。カバンは自分で持っていけるっつーかなんかめちゃくちゃ緊張するぞ!?
「?坊ちゃま、どうなされました?……ん、そう言えば、お弁当のことですが」
べ、ベベベ、弁当だと!?
ま、まさか本人から。い、い一体何を言うんだ……っ!
「な、何だ」
「いえ、どうやら重さ的にも全部食べてれいるようなのでご褒美に」
飴ちゃんです。
笑顔になっている女は、俺の手を掴んで飴を一つ転がす。
俺の手の平に、いちご味の飴が転がった。
……。
「お前なんてだいっきらいだ!!!」
玄関を開けてアイツから走り逃げた俺は、弁当のことも何も言わずに部屋に飛び込む。
ああ、クッソ!あの女本当に嫌いだ!!
「……ふふ、お粗末様です」
実は全部聞かれているだなんて、貴方は知らないでしょうね。
そんなことを、俺がいなくなった玄関で女が呟いていたなんて、俺は知る由もなかった。
****
あの後、結局逃げたアイツと夕飯を食べた。
その時のメニューにはピーマンが入って無くて肩透かしを食らった気分になるが、それを見ていたアイツにニヤニヤと笑われた。
しかも「おや、そんなにピーマンが食べたかったのですか?なら明日は必ず入れるよう言っておきます」なんて巫山戯たことを言われた。もちろん断ったが。
その後、食後の勉強のために三十分後俺の部屋に来ることを言われて、女はどこかに消えていった。
という訳で俺は、アイツが来るまでこうして勉強机でダラダラとスマホを弄る。
アイツから、逃げるための手段を考えながら。
しかし、アイツから逃げたところであの女がこの屋敷、しかも隣りにいる限り俺がアイツから逃げれるすべはない。
どうにか逃げられないかと、さっきアイツからもらった飴を転がして考え込む。
この飴、案外美味しいな……
コンコン。
「坊ちゃま、悠です。入っても?」
ガタッと肩が揺れ俺は机に突っ伏す。
ビ、ビックリした。あの女毎回毎回タイミング良すぎだろ、盗聴器でも仕掛けてんじゃねえのか。有り得そうだ。
「あ、ああ。良いぞ」
「失礼いたします」
頭を下げて入ってきたアイツは、相変わらず貼り付けたような笑みを引っさげたままこの部屋を入ってくる。
ピシリッとした格好は、こんな夜遅くでも変わらないのか……
「さて坊ちゃま。勉強のお時間です。しかし今日は初回ですので、私の持ってきたテキストを一枚三十分でといてください。全て解けていなくても、時間が経ったら終わりです」
そういいながらテキストを三枚取り出したアイツは、一枚だけ俺の前にその紙を置く。
学力診断テストって訳か。たしかに初回でやることだな。
「では、坊ちゃまからなにかご質問等は?」
「無い」
「わかりました。では、始めます」
スマホを片手に、コイツはストップウォッチを押す。
ピッとなった音ともに、俺は紙を見開いてペンを走らせた。
……ふむ。
一文一問しっかりと目を通し、とりあえず全て見終えた俺はふうっと息を吐く。
この問題、高校生レベルじゃないな。
テキストに書かれた教科は国語総合だが、もはや大学の国内トップレベルの問題だ。
到底高校生にやらせるような問題じゃない。この女、まさかまた俺をいじめるためにわざとこんな難しい問題を持ってきたのか?
「ふっ……」
思わず出た鼻笑いとともに、俺は余裕の表情を見せる。
確かに、レベルが桁違いの問題だが俺には簡単過ぎだ。三十分なんて多いくらい。
まさかあの女がこれ程度のしか持ってこないとは、少し肩透かしを食らったぞ。
だがこれはいい。三十分どころか十分で終わらしてこの女の驚いた顔でも拝ませてもらおうじゃないか。
俺はそうチラリと女の方を見る。女はじっと俺のことを見ていたらしく、少し目が合えば微笑まれた。
「おや?わからないのです?」
「っ、解けるわ!!」
クッソ!絶対その顔を歪めさせてやる!!
****
二時間後。
全ての問題を解き終えた俺は、休憩だと言ってアイツの入れた紅茶と茶菓子を食っていた。
あ、アイツ……お茶いれるの上手いじゃんか。
「……ふむ、全問正解ですか。予想通りでしたね」
ペンを置いたアイツは、そう言って俺のやったテキスト全てを見せてくる。
そのテキストの問題一問一問に全て赤い丸が付けられ、上には花丸がついていた。
ま、普通だな。けど何だその花丸は。俺は小学生か。
全問正解。しかも十分以内に終わらせたが、女の顔は最初のときと何も変わらず微笑みを浮かべるだけ。
特に変わらないその笑みに、俺は悔しくなった。
「さて、これにて全てのテストは終了いたしました」
「すべての、だと?」
「はい、体力と学力。その全てのテストです」
つまり、あの朝走ったのもこの時間も全て俺の限界を見るためにだったということか。
道理で、何かしら試してくるようなことばかりしていたわけだ。
あの無駄に過酷な走りも、ただのテストだったって訳か。
……でも体力面に関してはやりすぎだと思う。
「そしてそれらを総合し、私なりにぼっちゃまの能力値をここに記させていただきました」
こちらを、と出された報告書を受け取り目を通す。
正直今の今でどうやってこんなものを作ったんだとは言いたいが、報告書自体はしっかりと作られている。
サラッと読み終わった俺をアイツは顎に手を当ててじっと見ていた。
「坊ちゃまは、体力面でも非常に優れ学力も問題はありません。全て高水準です」
「ふん、これ程度のことだ」
まさかあの女が褒めてくれるとは思わなかったが、なんか初めて褒められた気がする。そういえば嫌味もない。
すこし、いやかなり嬉しくなった俺は鼻高々に何でもないと言う。
「しかし、能力的には問題はありませんが少し性格に難ありです。今日の学校生活を見ていましたが、アレでは親しい友人は出来づらいでしょう。特に女性関係では最悪です」
「ブッー!」
紅茶を飲もうとして吹き出した俺を、アイツはゴミでも見るかのような目をしていた。
おい!仮にも淑女がして良い目じゃないぞそれ!だいたい性格に関してどうこうお前にだけには言われたくないわ!
「別に性格が悪かろうが問題ないだろうが」
「何を言っておられるのです。坊ちゃまのいる社交界では信用できる性格というだけで大きな武器になるのですよ。良いですか、美貌とトークスキルは武器です。特に坊ちゃまは顔だけは整っておられるのですから、それを使わないなど愚の骨頂」
無能ですよ。
アイツはクスリと俺を見て笑う。
……ああ?
「誰が顔だけだと?」
「坊ちゃま以外誰がいるので?……それとも、坊ちゃまは自身の性格が人に自慢できるほどよいものだと思いでいるのでしょうか。残念ながら、顔と能力に騙されるお嬢さん方と違い、大人はそう簡単に騙されません。このまま坊ちゃまが成長していけば、確実に社交界では爪弾きにされるでしょう」
つらつらと現実と嫌味を織り交ぜて話す女に、俺の苛立ちが募っていく。
確かにそうだ、俺は決して性格がいいとは言えないだろう。
でもな……
「ですから、まず坊ちゃまがするべきは――」
「お前、いい加減にしろよ」
話していた女の話を遮り、俺は椅子から立ち上がる。
いい加減俺も我慢ができない。
「お前が一体どんなやつで、どれだけ凄いか何ていうのは聞いた。だが勘違いするなよ。俺はお前よりも立場は上だ。たとえ親父から何を言われようが、俺がお前の上にいる事実は変わらない。少しは弁えてみたらどうだ」
青筋立てる俺の話を、女は静かな目で聞いていた。
あまりにも素直なので不気味に思う冷静な俺がいたが、それでも今俺はかなりムカついている。
人が黙って従ってりゃ調子に乗りやがって。
やっぱりあの弁当を作ったのは、他のやつだったに違いない。
こんな女が作るだなんて思わん。
「おい、なにか言ってみろ」
しかし、女は俺の言ったことに何も言わず黙ったまま椅子に座っている。
かなり長い時間黙ってるように感じて、俺の頭も段々と冷静になり始めたその時、アイツはおもむろに口を開いて言う。
「ではどうしたい?私が自分の立場をわきまえたからと言って、坊っちゃんは私を納得させられるのか?」
「は……!?」
漏れ出た声と景色が反転し、俺はさっきまで座っていた椅子にいつの間にか座っている。
混乱する俺の目の前には、冷たく光のない目で見る女が背もたれに手をおいて俺を押し倒していた。
鼻と鼻がくっつきそうになるほど近過ぎる距離に、俺は思わずどもる。
ふわっと花のような女の匂いに、思わず息を止めた。
「どうなんだ?今のお前で、一体誰の心をとめれると?」
つつっと指で俺の顎をなぞった女は、今まで見たことのない妖艶な笑みを浮かべている。
楽しげに揺れたその瞳は、獲物を狙う捕食者の目。
「お、れは……」
ハクハクと動く口。吐息が混じって、なんか色々やばいっ。
まるで童貞のような行動。今までだって女で遊んだことあるのに。
女に見られ固まる俺に、女はふっと息を吐いて俺の前から退く。
クリアになった視界と空気に、俺はほっと胸をなでおろした。
しかし、女はまるで何かを思うよううつむいていればすっと顔を上げて俺を見る。
その顔はいつもの微笑みが貼られていて、俺は安心するような少し残念に思うようなそんな曖昧な感情にとらわれる。
いや、残念ってなんだよ!
「坊ちゃま、勝負いたしませんか?」
「はぁ?勝負?」
「三ヶ月、三ヶ月の間に私が坊ちゃまを立派な紳士にできるか、それとも坊ちゃまが己に課した条件を達成できるか。と言う勝負です。もし私が負ければ、私がぼっちゃまの願いを何でも一つ叶えて差し上げます。私が勝てば、坊ちゃまには紳士育成プログラムを強制的にしていただきます」
どうしますかと言ったアイツは、俺がこの勝負を受けることはわかりきっているのだろう。
目元が酷く楽しげで、アイツは俺の返事を待つ。
何でも一つ、だと?つまりそれは、俺が勝てばコイツを教育係から外せるっていうこともできるのでは?
たった三ヶ月。されど三ヶ月。
俺はこの三ヶ月間で、俺自身がコイツを負かしたいと思う条件でコイツを負かす。
なら、俺の条件は決まっている。
「良いだろう。その言葉、忘れんじゃねぇぞ」
「もちろんです。坊ちゃまもこの勝負を受け入れるということでよろしいでしょうか?」
「ああ、いいぜ?」
こんなのはお遊びだ。本気でやるなんて馬鹿らしい。
けど退屈だった俺の日常は、コイツの勝負とやらで酷く楽しくなってきた。
この女はたしかに俺に言った。今のお前で一体誰を止められると?と。
ならやってやるさ、俺がお前を射止めてやる。
「では、三ヶ月契約。成立です」
俺がコイツを負かす条件、それは……
「明日から頑張りましょうね、坊ちゃま」
コイツを俺なしでは生きていけないほど惚れさせて、捨てることだ!!
その涼やかに笑う顔を、絶対にぐちゃぐちゃにしてやる!
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