第3話「俺の教育係は有名人です」

 あの後、ピーマンをすべて食べ終えた俺にあの女がご褒美だと言ってグレープ味の飴を寄越してきた。その手をはたいた。


 その行為もチクチクと言われたが、全部無視して俺は車に乗り込む。


「それでは坊ちゃま。行ってらっしゃいませ」


「……おう」


 女は乗り込んだ俺を見て、1番最初の頃のような微笑みを俺に向けてお辞儀する。

 桜のイヤリングが陽の光に反射したのが、妙に印象的だった。


 車はいつもより三十分早めの形で出発し、お辞儀している女が段々と遠くなっていく。

 女は車が見えなくなるまでずっとそこにいたのが、なんとも俺にはこそばゆかった。


 ****


「アッレー?神童の蓮寺様じゃないですかぁ。今日は早いんだねぇどうしたの?」


 教室に入った瞬間、いつもより早い俺に驚きの視線が集まってくる。

 校門に入ったときでも、廊下を歩いていたときも視線が集まってくるのが本当にうぜぇ。

 が、家にいたところであの女がネチネチ言って嬉しそうにいじめてくるので、これぐらいなら甘んじて受け入れてやった。俺は心が広い。


「うるせぇ、コッチ来んな。」


「ひっっどーい!俺っちがせっかく、遅刻せずに学校に来た偉い子ちゃんの蓮寺くんを褒めに来たって言うのにぃ」


「褒めんでいいわ。さっさと失せろ明人あきと


 目の前の、俺よりも制服を着崩し金属類のものをチャラチャラつけているこいつの名前は佐々木明人。

 佐々木家の次男であり、江戸時代から続く伝統ある名家の生まれだ。

 それがこんなやつなのだから全くもって嘆かわしい。


「友達だって言うのに……俺っち蓮寺くんにイジメられて悲しぃ〜」


「コイツ本当にうざいな」


 俺の机の隣でくねくね動いてチラチラと視線をよこす明人。

 家も学校ココもウザいやつはいるもんだな。いや、家に関してはアイツのせいで……


「……なぁ、明人。お前さ『神宮寺悠』ってやつ知っているか?」


 明人は腐っても名家の生まれ、もしかしたらアイツのことを知っているのかもしれない。

 それにあの親父がわざわざ直接会ってまで付けた教育係、何かしらあるはず。


 俺はそういうのにはあまり興味がないし、直前で覚えるからアイツのことは知らない。故に名家の生まれである明人に聞くのが手っ取り早いのだ。


「え、何いきなりだね?えーっと、神宮寺悠?」


 いきなり聞かれたのに驚いている明人だったが、すぐに切り替えて記憶を探っていく。

 そしてしばらくあの女の名前を連呼していった明人だが、その顔はだんだんとひきつったような顔に変わった。


「えっと、さ。一応聞くけど蓮寺はなんでその人のこと聞こうと思ったのかな?」


「あ?なんでって、ソイツが昨日俺の教育係になったからだよ」


 そう言って俺はあの憎たらしくニヤつく女を思い出して舌打ちをする。

 けどなんでコイツはこんなことを、と俺がため息をついくが俺の言葉以降明人が何も言わなくなったのに不審を感じて俺は明人を見る。

 明人は口をあんぐりと開いて停止していたが、それだけではなく、周りの連中も俺を見て固まっていた。


 は?え、なんだこの空気は?


「はっ?――はぁああああああああ!?」


 その瞬間、明人の驚愕で染まった顔と声が教室に響いた。


「うるせぇな!もう少し静かに」


「いや、待て待て待て待て!蓮寺!お前さっきなんて言った!?俺の教育係って言ったのか!?」


「おう……言ったけど」


 肯定した俺を、間抜け面のまま後ずさる明人。

 周りもにわかに騒がしくなるが、男子と女子で反応が違う。

 女子は頬を紅潮して興奮したように。男子は青い顔をして俺の方を可哀想な目で見てきた。


「蓮寺、落ち着いて聞いてくれ。その、神宮寺悠っていう人はな、7年前この学園に転校生した生徒会長だった人だ」


 明人の言葉にそれだけかよと胸を撫で下ろす。

 確かに生徒会長っていうのは凄いが、それ程度ならココまで驚くこともない。


 ……いや待て、今なんて言ったコイツ?7年前だと?


「確か7年前って……」


「ああ、お察しの通り。7年前のあの中世ヨーロッパのような組織とも呼ばれるこの学園を改革した、あの狂気とも、伝説とも呼ばれるあの生徒会長だ」


 この学園『秀麗学園』は、明治初期に建てられた由緒正しい学園だ。

 そのため入学してくる生徒は大体がお嬢様やら、跡取りとやらの国を担う子らばかり。

 もちろん、そういうやつではない所謂平民と呼ばれる生徒も入ってきたが、それはかなり異例なものだ。

 偏差値ならまだ勉強すればどうにかなる。しかし学費はそれらからしたらかなり高額であり、ちょっとやそっとの裕福程度じゃすぐに破産してしまう。


 故に、一般で入ろうとする生徒は奨学金を狙う勢いの頭の良さと将来性がなくてはならない。

 だが例の7年前の生徒会長は転校生。

 転学するには一般受験のその更に難しいと言われる試験を、ほぼ満点でなくては受からないといけないのだ。


 そんで極めつけは生徒会長。

 生徒会長になるには、人望の厚さと実績。そして前生徒会長からのお墨付けがなければ、生徒会選挙すら受けられないほど。

 それを一般の、それも転校生がなるというのは学園始まって以来の大事件だった。


 生徒会長になっただけでもおかしいのに、その生徒会長は最初の生徒総会でこう宣言した。


『この私が、この私が生徒会長になったからには!この学園の埃被ったルールとやらを全て排除する!授業をサボってお茶飲むやつも、威張るだけの能無し教師も、プライドという犬も食わんものだけを高々に見せつけてやるヤツ全て!この私が一掃してやる!お前らは私のすることに従い、黙ってついてこい!私が新しい学園を切り開き、お前らに魅せてやろう!!改革は、今日この日の今だ!!』


 と、堂々と学園そのものを否定した上、その埃被ったルールで甘い汁を啜っていた奴ら全員を敵に回した。

 しかしそれに賛同する奴らも多く、例の生徒会長はその生徒たちの力も使い見事、この学園の改革を成功させてしまう。


 その7年前の出来事のことを今は『秀麗学園の改革』と呼び、その生徒会長には畏怖と敬意を込めてこう呼んだ。


 ――秀麗改革の女王陛下、と。


「それを、あの女が……ていうか何してんだ」


 アイツ思いっきり人のこと言えねぇじゃねぇか。

 むしろアイツのほうが暴れているよ。と言うか呼び名が酷い。


 げんなりした顔で俺は机に突っ伏す。

 その様子を明人は哀れんだように首を振り、俺の肩を叩いた。


「それにね、まだ続きがあるんだ」


「まだあんのかよ!」


「いや、むしろココからが本題だ。その卒業後、その人は子息令嬢を教育する教育係の仕事についた」


 曰く、彼女が教育した子息令嬢は他の教育係じゃ手がつけられないほどの暴れん坊だったのに、彼女がつけばまるで魔法のように紳士淑女に大変身。


 曰く、運動嫌いで不健康だったヤツが、彼女がついて一年で病気知らずの健康体に変身。彼女がいなくなった後でも、自分で続けているだとか。


 曰く、勉強嫌いと言われて有名だった奴らが、彼女が3ヶ月教えただけで勉強大好きになり、まるで人が変わったように今は自ら進んでするようになっただとか。


 その他にも色々あったが、この業界で彼女の名前を知らないものは少なく『敏腕教育係』として有名らしい。

 だからか、アイツは淑女からしたら憧れ、紳士からしたら絶望せざる負えない存在だった。


 それが今、俺の教育係。


 俺の……


 ………………。


「う、嘘だろ……」


「蓮寺まじどんまい、俺っち応援してる」


「い、嫌だアアアアアア!!」


 もう完璧の仮面とかどうでもいい!俺は今心底あれから逃げたい!

 どうして俺は面倒だったからどうとか言って名前を覚えなかった。

 覚えていたらすぐさま海外に逃亡していたっ!


 いや、今からでも逃げてしまえそうしてしまえ!


「できるのです?逃げるなんて」


「できるできないじゃなく、やるんだ。アイツから逃げてやる」


 できるのかと問われて俺はやると答える。もうなりふりかまってられん。

 俺は机から起き上がり、荷物をおいて出ようと立ち上がる。

 しかしそこで俺は違和感を覚えて明人の方をみた。

 明人は固まって動かずに真っ青な顔で俺の後ろを凝視して、ハクハクと口を閉じたり開けたりしている。

 あれ、今俺誰と喋っていた?


「ほう、それは面白い。鬼ごっこは得意ですよ、私。しかし今からHRが始まってしまいます。せっかく遅刻せずに来たのに無断欠席なんてこの悠が許しませんよ」


 ねぇ、坊ちゃま?

 フッと耳に息を吹きかけられ俺の体がピクリとも動かなくなる。

 その聞き覚えのある声に、話し方。嫌味のある呼び方に仕草。


「坊ちゃまのために、この私悠がお昼のお弁当を持ってきてまいりました。しっかりと食べてくださいね」


 机の上に置かれた弁当は、高校生の俺の腹に丁度いいと言われる大きさだ。

 どうやら俺のカバンの中には弁当を入れ忘れていたようだった。

 それは良い、それは良いがこの声の主が問題すぎる。

 う、嘘だろ……なんでコイツが。


「おやおや、まるで子鹿のように震えておられて……もしや、ようやっと私のことを知ったのですか」


「お、おまえ……どうやってここに……」


 学園長の許可無くこの学園には入れないはずじゃ。


「お忘れですか?私はここの卒業生ですよ。顔パスでいけます。それに学園長どころか理事長ともそれはもう深い仲で……おっと、これ以上は不要ですか」


 そう笑って口をふさぐ女は、俺が自分のことをようやく知って逃げようとしていたことを面白そうと思っているようだ。

 いや、ようだじゃ無いな。思っているこの顔は。


「もう俺お前嫌い」


「私は坊ちゃまが好きですよ。面白ゴホンっ……大変愉快で」


「言い直す必要あったか!?なぁ!?」


 言い直さなかったほうがまだ良かったわ!もっとひどくなってんじゃんか!

 俺がこの嫌味ったらしい女に文句を言うが、女はただ面白そうに微笑むだけで何も聞いちゃいない。

 そのうち頭でも撫でられそうだと思って睨めば、周りから叫び声が上がった。


 あ、そう言えばここは教室だった。


「え、え!?まさかあの伝説の!?」


「ウッソだろあの秀麗の女王陛下!?本物!?」


「なんて麗しい……蓮寺様と並べばそれはもう一層に……」


 ヒソヒソザワザワ。その騒ぎは段々と大きくなっていき隣のクラスどころか上学年やら教師たちも集まる始末だ。

 おい、これどうするんだよ……


「それよりも、なんです今の女王陛下だのなんなの。そんなイタイ名前で呼ばれた記憶ありませんよ」


「お前にぴったりだっつーの。この騒動はお前のせいだろ、なんとかしろ」


「かしこまりました。坊ちゃまの仰せのままに」


 俺の命令を素直に聞いたコイツに驚く。

 流石に自分のせいだと理解しているようだ。


 アイツは俺の前に立ち、一つ咳払いをする。


「コホン……生徒のみならず、紳士淑女の鏡であらせられる教師までもがこの騒動で野次馬をする……恥を知りなさい」


「おっ前何いってんの!?」


 俺は立ち上がって慌ててコイツの口をふさぐ。

 俺よりも背の低いコイツの口は案外簡単に塞げたが、コイツは何するんだとでも言うような目で俺に抗議した。

 お前こそ何してんだよ!


「普通はお前が謝るんだよ!なんで貶してんだ!」


「プハッ、しかしこれ程度のことで動揺するなど未熟すぎます。私の居たときはこれ程度では動揺しませんでいたよ」


 生徒教師含めて。

 俺の手を外してコイツは情けないと呟く。


「そりゃなんとなく想像つくよ。だいたいお前のせいだろ」


「失敬な!私は社交界という名の魔の巣窟で生き残るすべを教えていただけです!それを悪いことなど……坊ちゃまはひどすぎます!」


「それ言っている時点で駄目なんだよ!もうお前帰れ!」


 涙目というあまりに白々すぎるものを溜めて俺に文句を言うが、それがもう答えなんだよ!なんだ魔の巣窟って!?俺らは冒険者か!


「そうですね、あと一分でHRのお時間ですので私はこれから理事長に挨拶してきます。皆様、御機嫌よう。それでは坊ちゃま」


「あーあー、さっさと行け」


 お辞儀をして理事長室に向かっていくあの女に、俺はしっしと手で追い払う。

 アイツはそんな俺にもニッコリ笑って人垣を掻き分け、モーゼの海のように人垣を分断して消えていった。

 嵐が過ぎ去るようだ。


「もう疲れた……」


「いや待て蓮寺。なんであの女王とそこまで仲いいんだ?」


 机に突っ伏す俺に今まで空気だった明人が必死の表情で聞いてくる。

 あれが仲良さそうに見えたのならコイツは末期だな。俺はいじめられてんだよ。


 しかしどんなに説明しても明人が納得することもなく、このあとオレはいろんなやつに質問攻めさせられる羽目となった。



 それと、アイツの持ってきた弁当は何故かピーマン料理がたっぷりあった。

 入っていた手紙には、


『私が坊ちゃまの事を考えて丹精込めて作りました。誰かにあげたり残したりすれば、一週間全部にピーマン入れますので。by悠』


 ……と書いてあった。


 ピーマンは、何故か美味しくて妙に癪にさわった。

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