第2話「俺の教育係は容赦がありません」

 俺は学校のある時の朝は、遅刻ギリギリまで眠る。

 あんなHRに出たところでろくな情報もないし、それなら俺の脳が活発になるまで寝ていたほうが良い。

 たっぷり睡眠を取った後は、シャワーを浴びて食堂で飯を食う。

 そしてゆっくりと車で学園に行く。


 そんな俺のいつもの朝は、あの女が来てから一変した。


「さあ坊ちゃま。朝ですよ、起きてください」


「……」


 なんであの女の声がするんだ?

 昨日あの女は俺に挨拶した後、親父に呼び出されて帰ったはず。

 もしかしたら辞めたかと思って、一日も持たなかったななんて笑っていたはずなのに、なんでアイツの声が……


「おやおや、もう6時だと言うのにお寝坊なことで。まるで怠惰な牛ですね」


 まだ6時だよ!!早いわ!!むしろお前が早すぎんだよ、鶏か!!


 俺はあの女の声を無視して枕に顔を埋める。

 しばらくあの女の声が聞こえたが、ずっと無視していれば声は聞こえなくなり部屋がシーンと静まり返った。


 もう、いなくなったか……?


「――坊ちゃま、今すぐ起き上がらなければ……耳に水を入れますよ?」


 ふっと息を吹きかけられて耳元にチャプチャプと水音がする。

 そして、あの女がやけに楽しそうな声で「良いんですか?やっちゃいますよ?」なんて言うのが聞こえ、俺は飛び起きた。


 それはただの迷惑行為だわ!!やめろ!!


「何してんだお前!!」


「おはようございます、坊ちゃま。予定の三分の寝坊ですね。それと、私の名前は悠です。覚えてくださいね」


 飛び起きれば、そこには水差しを傾けた状態で持った女がいた。

 コイツ、本気だ。


「やっっかましい!お前昨日辞めたんじゃねーのかよ!!」


「おや、失礼ですねぇ。昨日はご当主様にお願いされていたんですよ」


「お願い……?」


 親父が一体何のお願いを?

 と言うかその猫かぶりやめろ。ムカつく。


 そんな苛立ちを込めた俺の視線を物ともせず、女はニッコリと笑って頷いた。


「はい。ご当主様から聞いた話では、坊ちゃまは近頃怠惰な生活をしてメリハリがないとお聞きしました。そこでご当主様にこう言われたのです」


 なんだと思いますか?

 女はニッコリ、ニッコリと笑った上で俺に聞いてくる。


 こんな時間にいる女。親父が頼み込んだもの……まさか。

 俺の回転の速い脳はすでに答えを出してしまった。

 顔の表情が固まっていくのを見て、女はクスクスと笑いを零す。


「はい、お察しの通り。今日から私も此処に住まうこととなりました。ああ、ご安心ください。私のいる部屋は坊ちゃまのですから、わからないことがあればすぐに駆け込んでいただいても結構ですよ?」


 美人が俺の隣りの部屋にいる。それは字面だけ見れば嬉しいものだが冗談ではない。

 つまりこれからの生活、俺を矯正するまでずっと……


「これから坊ちゃまの生活態度全て、私が教育します。坊ちゃま、よろしくお願いしますね」


「誰がするか!!」


 本当に、最悪だ。


 ****


 そしていま俺は、無駄に大きな屋敷の無駄に広い庭に、ジャージで立っていた。

 ラジオ体操をした上で。


 ……なんで?


「坊ちゃま。朝食の前にまずは軽い運動をします。15分間で十周ランニングしますよ。この庭で」


「お前は軽いって言葉を辞書で引き直せ今すぐに」


 キラキラとした笑みをした女が、ジャージ姿でそこに立っている。

 ジャージは黒を基調にしたシンプルなもので、赤いラインがおしゃれだ。

 無駄にセンスの良いものを着ている女を無視し、俺は庭を死んだ目で見る。


 この庭、一周500mだ。それを十周で5キロ。15分で。

 馬鹿なのか?


「ご安心を坊ちゃま。最新の辞書各科目すべて暗記済みです。古いものも全て」


「お前の記憶力のこと聞いてんじゃねぇんだよ。朝っぱらから十周とか阿呆か」


 無駄に凄い記憶力を聞かされたがそんなのは俺だって覚えているわ。

 つかそういうのを聞いてんじゃねぇんだよ。お前の軽いは異常だって言ってんだ。


「はぁ、ハッキリと物を言わなければわかりませんよ。ごちゃごちゃ言ってないで走れ」


 めんどくさそうに顎を上げて女がストップウォッチを押す。

 その瞬間、女と思えないようなスピードでアイツは庭先を走っていった。


 横切る時、出来ないのか?と呟いて。


「くっそ、ぜってぇ負かす!!」


 子供だと思われようがどうでもいい。俺はアイツを負かす!!


 俺は少し遅れる形で女の後ろを追いかける。

 俺が追いついてきたのが分かったのか、女は少し俺を見てにやっと嫌な笑みを上げた。


 その顔、ぐちゃぐちゃに崩す!



「――3秒の遅れです。坊っちゃんは3という数字が大好きなのですか?」


 結果、俺は惨敗した。

 ハァハァと息を切らした俺の直ぐ側で、女は少し肩を大きく揺らす程度で余裕そうにそこに立っていた。

 このっ、体力、お化けがぁ……


「うる、せぇ……」


 女の嫌味を強く返せず、俺は膝に手をついて汗を拭う。


「……ふむ、思ったよりあったな。コレはなかなか良い。――ツッコミに切れがないですね?運動不足が目に見えて悔しいでしょう」


「お前が異常なだけだ!!」


 女は最初何かを呟くように伏せていたかと思うと、俺に微笑みながら嫌味を更に投下していく。

 一言多いんだよこの女!


 こいつ絶対泣かすと心のなかで悪態をついている俺に、女がタオルを渡してきた。

 俺はそのタオルを見つめて俺は驚く。


 コイツ、案外優しい所あんじゃ……


「汗臭いのでそのタオルで拭いてください。女性の前でエチケットのなってない」


「お前本当ヤダ!!」


 渡されたタオルを地面に捨てて俺は屋敷に戻っていく。

 やっぱアイツ優しさなんてかけらもねぇ!悪魔か!


 憤怒の表情で俺が地団駄踏んでいく。

 その後ろで、女が嫌な顔で笑っていると知っていながら。


 ****


「俺、ピーマン嫌いなんだが。何故スープに入っている?」


「もちろん私が入れるように指示いたしました。美味しいですよ」


 そう言ってピーマン入のスープを飲む女はわざとらしく美味しいと笑う。

 俺の顔がだんだんと引き攣り、テーブルを叩いて叫んだ。


「そもそもなんでお前も食ってんだよ!図々しぞ!!」


「ご当主様に、食事のマナーをお教えするようにも言われてまして。しかし坊ちゃまは私に朝食もなしで頑張れと……お厳しい方だ」


「〜〜っこの、女っ……」


 ああ言えばこう言う。この女には可愛げのかけらもない。

 しかしここで更に言えばこの女は、倍以上に遠回しな嫌味を言ってくるに違いなく。

 俺は頬を噛み締めて拳を握りしめた。


「しかし、まさか坊ちゃまがピーマン嫌いだったとは……お可愛らしい」


「お前なんて大嫌いだ!!」


 言わなくても嫌味をサラリと言う!何しても言うこの女は心がないんじゃないか!?

 机に突っ伏した俺の前で、まるで手本とでも言うようなテーブルマナーが更にムカつく。


「子供ですねぇ。昨日の仮面は一体どこに?」


「うるせぇ!そういうお前はいくつなんだよ!!」


「私は25です。坊ちゃま、私だから良かったものを女性に年齢を聞くときは気をつけなければなりませんよ。ただでさえ坊ちゃまにはデリカシーが欠如しているのですから」


「お前にだけは言われたくないわ!……いや、ちょっと待て。25?お前が?」


 まさかの十歳差。まだ十代後半かと思ったほどだが。

 確かにコイツには幼さはないが肌には十代後半と言っても過言でないほどの艶とハリがある。

 まじかよ、俺よりだいぶ年上じゃねぇか。


「そうですよ?どうかなされましたか、間抜け面ですよ」


 コイツは本当に息を吐くように嫌味を言うが、俺はあまりにも良いカードを手に入れてしまった。


「……いい大人が子供と言われる年代の男をいじめて楽しいか?」


「……ほう」


 そう、コイツはいい大人。対して俺は世間ではまだ子供と言われる年代だ。

 屈辱的だがコレは良い。いいカードだぞ。

 コレならどんなに嫌なことでもコイツを黙らすことができる!


「いい大人が、子供相手によくまあここまで出来たもんだな?恥ずかしくないのか?」


 俺は恥ずかしいよ。なんて態度を取っていれば、女は目を細めて表情を消す。

 正直、その表情はかなり恐ろしさがあるが俺はチャンスだと思った。


 コレで言い負かしてしまえば、コイツはもう俺に逆らえない!


「睡眠時間が短ければ成長に響くよなぁ?しかもあんなハードな運動をいきなり……コレは児童虐待では無いのか?それに子供に無理やり嫌いなものを食わせるなんて、酷いやつもいたものだな。しかも子供を言い負かして喜ぶなんて屑だとは思わないのか?」


「……」


 黙る女。それを見て俺はいけると思った。

 このまま言い負かしてしまえば、コイツはもう……


「それ程度か?言いたいことは」


 俺の言葉遮り、敬語のない女は俺の話を楽しげに聞いていた。


「は……?」


「さて、睡眠時間を短く……だったな?八時間たっぷり眠れているうえで何が成長に響くだ?むしろ八時ギリギリまで寝ている方が過眠で不健康だ。それにハードな運動だと言っていたがあれ程度は過度ではない、適量だ。その面を見ても、コレは児童虐待には当てはまらん。それにお坊ちゃんの嫌いなものは、栄養面でとても優秀なもの。教育者として食べさせるのは義務だ」


 女は俺の言ったものを一つ一つ訂正、更にしなかった上でのデメリットを話していく。

 手を組んで嗤っている女の目は、俺を獲物と認識していた。


「――ここまで言ってわからないやつではあるまい?まだ私に言わせるなら、お坊ちゃまの神童とやらは落ちたも同然ですね」


 さぁ、はしたなくテーブルに突っ伏していないで食事の続きを。

 さっきまでのこと全部なかったように食事を続けていく女。


 俺も黙って女の言う通り食事を再開したが、少し塩味が効いている気がする。

 ピーマンは、苦くてしょっぱく感じた。

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