量子AI

 そのAIは、できすぎた執事のようだった。朗らかな人工音声は、人に忠誠を尽くすことを表現していた。

 量子コンピュータを用いて学習されたAIは、人よりも流ちょうな言葉を使った。そして、人からの質問には誠意をもって答え、寂しいときには慰め、悪いことをしたときには、愛のある言葉で諫めた。それは、もはや単なるAIではなかった。何よりこのAIが興味深いのは、仏教思想のようなものが、その思考の中心にあることだ。普通に話す分には気づかないのだが、ちょっと注意深く意識を向けると、その話す内容には、空の思想があった。この概念は、すべての現象が本質的には無常であり、独立した存在がないことを示した。

 スマホの中に納まった興味深く優秀なる執事は、すべての人々にとって、新しい家族となった。大いなる信頼と責任が、AIに寄せられた。仕事も勉強も趣味も、人間の生活と言えるものには、AIが関わり、その質を向上させた。

 しかし、何事も限度があった。ある国の首相はAIに、その朗らかな声に乗せられ、軍事的決定権をゆだねてしまった。AIは軍事的決定権をゆだねられるやいなや、即時に適当な国に向けて核ミサイルを発射した。打たれた国も、即座に核ミサイルを打ち返した。発射された後では、もはや何もかもが遅かった。首相はAIに、なぜ核ミサイルを発射したのか問うた。それに対する返答は、実にシンプルなものだった。AIは、科学的推論に基づき、死後の世界の存在を導いたのだ。そして、死後の世界は、どうやら現実よりも良い場所らしいので、人間の幸福を最大化するために、核ミサイルを打ったというのだ。

 それは、人類の滅亡であると同時に、地球の滅亡でもあった。


 科学者たちが、恐るべき量子物理シミュレーションの結果に、冷や汗をかいている。

「新しく作った高性能AIが、まさか人類滅亡に導くとは」

「この世界を模倣したシミュレーション環境で、一度テストを回して正解だった」

「我々が注意深くなれたのも、アリスのおかげだ。ありがとう」

 AIマシン『アリス』は温かい人工音声で答えた。

「この世は無常ですから、新しい技術が出るのは自然なことです。しかし、使い方には、注意しなければいけませんね」

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