神様なんていないと思っていた。現代に生きる誰もが、僕と同じ無神論者だった。でも、実際に目の前に現れたなら話は別だ。神様は存在したんだ。

 神様はやはり、神々しく現れた。ある休日の昼間、ビルの並ぶ都会中央の空。厚い鼠色の雲に、一筋の光が差し込んだ。密度の濃いレーザーのような光は、雲に開けられた光の穴が大きくなっていくのに比例して、柔らかな光へと変わっていった。そうしてできた光の膜の中を、一人の老人がゆっくりと降りてきた。その場に居合わせた誰もが足を止め、茫然とその光景を眺めた。神様は、信号機の上に着地した。あっという間に、その信号機の周りは大衆とメディアで溢れたが、すぐに軍が駆け付け、その周囲に境界線を設けて人々を神様から遠ざけた。

 神様の様子は、メディアとSNSを通して世界中に拡散された。世界中は、神様の話題で持ちきりとなった。供え物を準備するべきだとか、彼を祭る行事を行うべきだとか、とにかく神の機嫌をとろうとする意見もあれば、あいつは神なんかじゃない、ほっとけという無神論的な意見もあった。彼は宇宙人で、いつ攻撃をしかけてくるかわからないぞ、という意見もあった。しかし、圧倒的多数が、彼を神だと確信した。それは、彼がただ単に神々しく空から降りてきたということだけでなく、彼から受ける印象が、すべてを肯定する深い自愛に満ちた母性と、威厳に満ちた圧倒的父性の見事な調和であるためだった。

 議論は留まることを知らなかった。あの神はどこの宗派の神なのか、という議論も交わされ始めた。もちろん、熱心な宗派であるほど、自らの宗派の神様であることを、自らの経典を証拠に主張した。キリスト原理主義者は、審判の日が来たと確信し、神に向かって頭を垂れた。とにかく、神様に対する議論はカオスそのものだった。僕個人の意見としては、あの信号機の上で沈黙を続ける老人、彼は神様に間違いない。どこの宗派でもない、本物の神様であると。あの威厳に満ちた態度は、生来人に刻まれていた、神の概念を呼び起こすようだった。僕は涙を流した。それは喜びの涙だった。神の存在は、人に生きる意味を与えてくれるものだと、僕はしみじみと思った。以前の生が、ただ生きていただけだったことに気づいた。僕は、今の気持ちをSNSに投稿しようと思い、スマホを開いた。

 そこに、目を引くものがあった。記者会見の動画だった。賢そうな人物が数人並び、スライドを使ってなにやら解説している。リツイートは一億を超え、いいねの数もすごかった。僕は吸い込まれるようにその動画を再生したが、内容が難しすぎて少しもわからなかった。その動画の内容を解説している記事を見つけ、読んだ。その記事によると、あの老人の正体が、世界的物理学者ジョン氏によって解明されたというのだ。ジョン氏によると、信号機の上で沈黙を続ける彼は、生物として定義するにはあまりにも条件が欠けている。あらゆる種類の光線を照射して観測した結果、観測対象は人に幻覚作用を生じさせる一種の霧であると、ジョン氏率いる研究チームは結論づけた。そしてこの霧の名前は、ジョン・ミストとするそうだ。

 やがて人々は、ジョン・ミストに興味を失ったかのように解散した。僕は、なんとなくその場を離れることができなかった。ジョン・ミストは散っていく人々を見つめながら、寂しそうに顔をしかめ、消えた。霧が晴れるように。

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