第16話 君がいたここまでの時間
テオが裏口のドアを開けると、目の前に迫る崖に沿って人一人が辛うじて通れる通路があった。そして、数メートル先には詰所跡であるテオの住居よりも更に小さな小屋があった。テオ達の向かいに鉄製のドアが、曇りガラスの小さな引き戸が二つ、緑がかった鼠色の壁、日差しがほとんど入らない壁下には枯れた蔦が薄汚れた干物になって落ちていた。テオはズボンのポケットから鍵を取り出し開錠した。ドアを開けた瞬間、埃っぽい臭いと積りに積もった埃がテオ達に手荒い歓迎をした。「あぁ、こりゃいかん」
テオは大きく咳き込み、手で埃を払いながら窓を開けた。リリも小さく咳き込み、口と鼻を腕で覆いながら体育倉庫の臭いを思い出していた。倉庫にはいろんなものが置かれていた。案内板や三角ポール、速度制限や停止位置に関する標識なども置いてあった。
「少し奥へどかすのを手伝ってくれるか。少々重いものもあるから気をつけて」
「このへんの物を全部運ぶんですか?」
「全部じゃなくていい。奥に扉があるはずなんだ」
隠し扉のようなものか?と、リリは想像しながら三角ポールを入り口から左奥にある空きスペースへ運んでいった。
「なかなか手際が良いな。次はこの案内板、少し重いから一枚だけでいい」
そう言ってそっとリリに手渡した。リリは重みで少しだけよろけたが何とか運ぶことができた。
「あとは標識などもっと重たいものになるから私が運ぼう」
テオはそう言って大きく数字が書かれた看板をひょいと運んだ。リリは入り口のドアの側で座り込みながらテオの作業を眺めていた。
左奥にそれを置くと、休む間もなく入り口奥に置いてあった「×」と書かれた看板を、やはり左奥へ運んだ。四枚目からはリリも手伝い、二人がかりで合計八枚の重い看板を空きスペースに運び終えた。
すると空いたスペースの床に正方形の扉のようなものが顔を出した。太い枠で覆われていて、手前に鍵穴と把手がある。テオはまたポケットからさっきとは別の鍵を取り出し鍵穴に挿した。手と腕の力を振り絞り左方向へ鍵を回そうとしたが、錆び付いているのか一向に開く気配がない。テオは「ふぅ」と一息ついた。
「ちょっとここで待っていてくれ」
そう言い残し彼は自分の住居へ戻った。
リリは驚かされていた。出会ってからさっきまでお世辞にも活発な所作とは言えなかった。年相応、或いはもう少し老け込んですら見えていた。しかし今はどうだろう。自分が村に戻るとなると、きびきびとした動きで協力してくれる。そうした変化には理由があり、その理由が行動の原動力となっているのだ。
「十数年ぶりくらいだからな。錆びているか、埃がたまっているのだろう」
そういってテオは家からスプレー式の油差しと綿棒を持ってきた。まず綿棒で鍵穴の中に溜まっている埃を取り、油差しで鍵穴を潤した。すると、ブレーキのような高い音を立てながら鍵が開いた。
扉の把手をぐっと引っ張ると、寝起きの象のようにゆっくりと動きだした。
「よし。ここから奥へ一緒に押してくれ」
ちょうど四十五度の角度で半分開きかけた時、風が流れ込んできた。どこかに出口がある証拠だ。リリとテオは必死に扉を押した。リリが最後の力を振り絞ったところで扉が完全に開いた。
「こんな入口があったなんて…」
扉の向こうには不揃いな段差の下り階段があった。
「さぁこれからが本番だ。準備はいいか?」
「バッチリです!」
リリはそう言って頬を両手でパチンと叩き、テオの問いに対して元気に答えた。その答えにテオは微笑で頷く。
テオとリリはリュックからヘッドライトを取り出し、灯りをつけ、テオを先頭に階段をゆっくりと降った。階段というにはあまりにも長い時間を手付かずのままで壁も天井も大柄な大人なら歩くことすら困難なくらい狭く、通路というよりは寧ろ洞窟といっていい場所だった。リリが恐る恐る通り、落盤で崩れてしまった旧ユス・バイラン駅へのトンネル道の方が人工物として整えられていたように思われる。更に比べれば、あちらのトンネル道は岩が覆うトンネル道だったが、こちらはどちらかと言いうと固められた砂の洞窟だった。表面に触れればザラリとし、いとも簡単に固まりがポロっと落ちてくる。これだけでリリが下り坂の「洞窟」に対して降りていく程に恐怖心を増していく理由には十分だった。目の前のテオは左右上下を確認しながらも淡々と進んでいく。
「すみません。ここって…大丈夫ですか?」
「ん?大丈夫とは?」
「天井が崩れたり…とか」
恐る恐るリリが聞くと、テオはケタケタを笑った。
「そこは気にすることはない。ここは何度か通ったことがあるが、一度も崩れたことはない」
その言葉を聞いてリリも安心した。鼻歌さえ出るようになった。
そうしているうち、階段を降りきった先にあったのは登り階段だった。岩の壁に沿ってステップを設けた螺旋状で、ところどころ錆びてはいたが、先ほどまでのほとんど坂道のような脆さがあった階段と比べるとよっぽどしっかりした階段だった。
段と踏むごとにカンカンと小気味良い音が二人分、それぞれ違うリズムで響く。薄暗いながらも外の光が辛うじて届いている。リリが視線を天井の方に向けた時、二人が歩くところまで届く光が浮遊する砂埃を照らしている。
「あそこの入り口はなぜ隠し扉だったんですか?」リリが先ほど一生懸命に開けた床の扉について聞いた。
「ここまでの道は昔、非常脱出通路だったんだ。駅が廃止になって通路として役目を失ったので、小屋を建てて一部の看板や標識があそこに置かれるようになった。ただ、通路はかなり古くからあったようだね。降っていく階段の方はできた当時からのものみたいだし、今登っているこの階段はその少し後につくられたらしい。この階段ができる前は恐らく…」
テオがここまで喋ったところで地響きの音がした。心臓に届くくらいの低い低音が響き、地震のような小さな揺れ階段へ伝わってきた。
「少しい急いだ方がいいみたいだ」
テオの目の前に地響きの影響で小石が上から落ちてきた。
「あと五分くらいだが、少し走れるかい?」
「はい…」
テオの問いに対してそう答えたリリに不安の表情が隠せないでいた。そしてその不安に覆い被さるように緑色の粒、いわゆるグラストゥが天井から砂埃とともに降ってきた。
「まずいな。また漏れ出してきたのか」
階段の天辺に着いた時、二人の目の前にあったのは先ほどまでいた車両基地を見下ろす踊り場に、暗く奥へ続く小さなトンネルだった。踊り場には大きな鐘と鐘を打ち鳴らすハンマーが鎖で吊るされていた。先ほどのグラストゥはトンネルの奥から漏れ出ているらしかった。
テオは息を切らしながらも踊り場の方へ進み、鐘を鳴らすハンマーを手に取った。
「かなり大きな音を出すから耳を塞いどいてくれ」
リリが両耳を塞いだことを確認すると、テオは力一杯に鐘を一定の感覚で五度鳴らした。耳を塞いだリリには聞こえなかったが、その音は体に響くほど大きな空気の振動として麓の村まで駆け抜けた。
「もう大丈夫だ。また鳴らすことがあったら合図するからね」
耳から両手を恐る恐る離したリリは何が何だか分からなかった。
「これってどこかに合図を送る鐘なんですか?」
「これはリンガン村の中心にある広場へ合図を送るための鐘なんだ。今の合図で君の無事を知らせた」
リリもそれにはホッとした。恐らく家族は心配しているだろう。もしかしたらまた大目玉を食らうかもしれないという不安も同時に湧いた。踊り場の後ろからグラストゥは絶え間なく煙のように放出を続けていた。時折、それらを
テオは踊り場から眼下に映る植物が生い茂る棄てられた駅を見ながらふとこう言った。
「君は…自分の家を出てから今までどれくらいの時間が経っていると思う?」
突然の質問にリリは戸惑った。グラストゥのことは聞かされたにせよ、自分がここまで来るまでの時間など気にしているは途中から無くなっていたに等しい。リリ自身、普段の「冒険」ならこまめに地図などを確認し頭に記憶させながら進んでいくので、このようなことはほとんどなかった。もし、たとえそれがグラストゥに関係しているとしても、どれくらい経っているかなんて想像もできなかった。
「正直、正確な時間を割り出せないが、私の今までの経験からすると…」
テオは少しだけ黙った後にこう言った。
「大雑把に見積もっても半年近くになる」
リリはそのまましばらく言葉が出なかった。
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