第10話 廃墟のオアシス

 老人に案内された「家」の中は、日々の生活に必要なものが整然と並べられ、老人自身の几帳面さを垣間見させた。元々は恐らく宿直室だったであろうことがベッドの位置や机、棚に至るまで想像するに容易だった。


 また老人は、人一人分を賄える規模の家庭菜園やここで魚が釣れるんだと言って池になってしまった転車台(リリが丸い池だと思っていたところ)をリリに見せてくれたりした。風車で賄う電力は部屋の明かりだけでなく、蛇口に水を出すポンプや電熱コンロにも使われるということだった。リリにとっては何よりも、さっきまで草木が生い茂り埃と瓦礫にまみれた場所と比べれば、この清潔で整頓が行き届いた部屋がまるで別世界に感じられた。もっとも天井や壁の角には所々蔦のツルがひょろりと顔を出しているところもある愛嬌はあったが。


「今御湯を沸かしてくる。お茶にしよう」


 そういって老人は給湯室でポットに水を入れ、電気コンロのスイッチを入れた。リリはそこで初めてリュック降ろし、目の前にあった椅子に腰掛けた。壁には安全運行に関するスローガンを掲げた看板がそのまま残っており、玄関横にある窓のそばには大人の掌に乗せられる大きさの鉢に小さな花を咲かせた植物が植えられていた。やがて給湯室から水が沸騰する音が響いてきた。


**********


 老人はテオと名乗った。テオは長い間、他人と喋る機会をほとんど持つことが無かったため、水を得た魚のように口を開けばひたすら喋り続けた。この「家」の快適さ、自給自足でも案外やっていけること、旧車両基地にいる小動物達は最初こそ人見知りをしていたが時間をかけて仲良くなったことなど、止めどなく喋った。ただ、自身が現在どういった立ち位置で、過去にどういう立場の人間だったかについては意図的に避けようとしているように思われた。少なくとも目の前で話を聞いているリリにはそう感じられた。


 リリもテオ老人にここへ来た経緯や道中の話をし、テオも興味深く聞いてくれた。恐らくテオでなくても他の人がその話を聞いた時に示す反応と同じ反応を表情と言葉で返した。


「よくもまぁその歳でそんな冒険に挑むもんだ。なぁ」


 リリは照れもしたがそれ以上に困惑があった。今まで村の中で歩いた道、これから歩こうと思っている道に関して話した時、多くの人がこう言うのだった。


「危ないんだからおやめなさい。大怪我でもしたら大変だ」


 ましてリリは十歳やそこらの年齢でそれを実行しようとしているのだから、当然の反応だった。そういう意味では実におおらかな家庭で育ったのかもしれない。特にリリの母に至っては「気をつけなさいよ」とは言っても「やめなさい」とはほとんど言うことがなかった。ただ、この放任主義とも取れる方針はリリにとっていい方向に働いたといえる。リリ自身、この冒険と称した村の散策に細心の注意を払うようになった。自分の力ではどうすることもできないと判断した場合は引きかえす判断もしたし、怪我をした時に備えて最低限の救急セットはリュックに忍ばせていた。しかし、今回に限ればリリの判断が見誤ったと言われても仕方がない。テオが村へ戻る助け舟になったとしても途中のトンネルでは落盤が発生し、満身創痍とは言わずとも手当てが必要なくらいの傷を負っている。


 テオの話の中でここから山道へ抜ける道を知っているから手当てと休憩を終えればそちらへ案内しようと言われた時は、リリ自身、肩の力が抜けるほど安心したと同時に、自らの行動判断について大いに反省すべきところがあると気付かされるのだった。


**********


 外からは水の流れる音が聞こえる。山頂まで繋がる崖には滝がある。車両基地が使われなくなって数年後、崖の裂け目から水が噴き出し今日まで真下にある車庫の屋根を突き破って水を落とし続けている。その水は池となった転車台の窪みに流れ込み、そこに生きる魚たちの養分を届けている。人が去った車両基地は、廃駅と同じく他の生き物が、残った空間や物をうまく活用して各々の生活に取り入れている。


 リリの持つカップに入ったお茶は半分に減っていた。対するテオ老人のカップの中はまだ三分の一も減っていなかった。


「そういえば」


「ん?」


「ずっと……ここで、一人暮らしをしているんですか?」


 リリにとってはどこか聞いてはいけないような質問に感じていた。しかし気になる余り、ついうっかりと口から出てしまった。


「そうだね……話だしたら長くなるから、話したいことだけを話そうか」


テオ老人はさっきまでの軽快な語り口調から一変し、重々しく口を開いた。

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