第1話 きっかけ

 本を読むのが好きなヤンは、一番に学校に来ては職員室にあくびをしながらコーヒーを飲む教師から鍵を貰い、その日一番に図書室に入る。


 外に出て遊ぶよりは屋根のある場所でページをめくることを好み、休み時間に運動場でボールを追いかける生徒も多い中、ヤンは図書室から時折それを眺めながら本を読む。午前の授業を終えて昼食の後、皆が鬼ごっこで駆け回っている間も図書室に入り浸り、朝の続きを楽しむ。


 この学校の図書室には入り口横にある貸し出し返却の業務を行うカウンターから見て縦の列を成して低学年向けの本、その奥に高学年向けの本が並んでいる。それらの奥に調べ物の授業に使うような百科事典などの資料性の高い本が並ぶが、ヤンは今まであまり奥の棚まで見ることはなかった。


 その日の昼休み、ふとした出来心で一番奥の場所に足を踏み入れた。ここは窓が本棚に閉ざされて日の光もあまり入らないため、日中でもその場所には天井から裸電球が吊るされ、弱々しく光を灯していた。ニスの染みついた木の床の匂い、長い間陽の目を見ないで過ごしてきた埃の匂いが混ざり独特の雰囲気を醸し出していた。その場所にヤンはゆっくりと足を踏み入れた。一歩ずつ進むとそれに答えるかのように床が鳴る。右から左、下から上へと暗い色に塗られた本棚に並んでいる本を眺めているうちにふと気になる本を見つけた。その本には古い書体で「リンガン村百年史」と書かれていた。上中下の三巻から成り、大層な装丁の本だった。


 この村の過去百年ばかりの出来事を記した、規模の大きい図書館であれば大体は置いてある。言ってみればありふれた部類の書物であって、また頻繁に手に取られているとは言いがたい書物でもある。この村には公設の図書館が無く、その代わりのようなものがこの学校の図書室だった。ヤンがそれに手に取ったのも背表紙の古い書体、年季の入った装丁。そしてこの辺りのニスの匂いに絆され、とにかく何かを手に取ってみようという理由であり、本の内容そのものに惹かれたわけではない。ただ陽の目を見るのも億劫になってしまった本を閲覧スペースという原っぱへ二歩三歩歩かせて見せたいお節介にも似た興味があったからだ。


 ヤンはそれを細い腕で担いでから自分の席へ持ち帰り、上巻から流すようにページを進めていった。すると、中巻の序盤を過ぎたところで気になる記事を見つけた。


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 ~村唯一の鉄道駅ユス・バイラン駅、千五十年の歴史に幕~

 リンガン村に唯一存在したユス・バイラン駅がシテインス歴二三四九年八月三〇日をもって鉱物運搬業務を終了した。この駅は一二四三年から鉱物運搬と旅客の営業を開始し、後に選鉱所が併設されていた。最盛期には年間二億カウルスの鉱物がここから運び出されたという。二〇二〇年代から当時のモータリゼーションの波を受け、二〇七六年に旅客営業を終了、そしてこの年二三四九年八月三〇日一五時三二分発のユニオン行き最終列車をもって当駅の営業を終了した。


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 ここまで読んだところで午後の授業を知らせる予鈴が鳴ってしまったため、ヤンは急いで本を元の場所に戻し、教室へ急いだ。


 授業中、頭の中はずっとあの廃駅のことで頭がいっぱいになっていた。恋をし、その意中の人のことを想うがごとく、幻の駅のことに考えを巡らせていたため、普段しっかりとノートをとるヤンには珍しく、授業も上の空となっていた。その結果、授業中に二度も頭上にペトロ先生の本の鉄槌が降ろされることとなった。ペトロ先生は何も言わずヤンの席までゆっくりと歩き、分厚い教科書を真上からヤンの頭にすっと落とすとペチンと音を立てる。その音は意外にも教室全体に響くため、その度に教室でクスクスと小さな笑いが起き、他の四人も席はバラバラだったが各々の席で含み笑いを浮かべつつ、あまりに珍しい光景に若干心配の表情も混じっていたようだ。当のヤンは二度とも呆気に取られた顔をした後、顔を赤く染めうつむいていた。


 校庭の木に長い影ができた頃、他の生徒が家路を急ぐ中、サラ、アメリア、タム、そしてリリは教室の奥でヤンの机を中心に輪を作っていた。ただ机の主は不在のため、四人はそれぞれ好きなことをして主の帰りを待つ。サラは最近伸びた耳にかかる髪を人差し指で回し、アメリアは自分の両手程の小さなスケッチブックで絵を描き始め、タムは何が起こるのかもわからずただ手を膝に乗せ座り周囲を見回し、リリは天井を這う小さな蜘蛛を見つけ、それを目で追いながら週末にどこへ行こうかを考えていた。

 ようやく机の主が大きな本を一冊携えて戻ってきた。その本とは、図書室から特別に室外へ持ち出す許可をもらった「リンガン村百年史」の中巻だった。


「えらく、待たせるじゃない」


 絵を描く手を止め、ヤンが教室に入るなりアメリアが言った。彼女のスケッチブックには花の絵が一つ描かれていた。影の部分も光の当たる部分もうまく描かれていて、鉛筆で描かれたモノクロの絵ではあったが、花びらや茎、葉の部分まで色が容易に想像できるくらいの繊細さだった。結局のところ、この待ち時間は花の絵を描かせるのには丁度いい時間だったようだ。


「ごめん。図書委員の人に許可もらうのに手間取っちゃって…下校時刻までには返すようにってさ」


 ヤンは汗を拭いつつ「リンガン村百年史・中巻」を机の上に置き、例のページを開いた。

「これって汽車の駅?」タムが例の記事にあった小さなモノクロ写真を見て言った。


「ケーブルカーは今もあるけど、他の町に行ける列車なんて走ってたんだ」サラも興味を持ったようだ。


「ヤンが今日ずっと様子がおかしかったのはこれのせいか」アメリアも辛辣に返す。


「そう。五十五年前まであったんだ。ここに書かれている通りね。ただ、今はどうなっているかはわからな

 い。下校時刻まであまり余裕がないから単刀直入にいうとね。今、この駅がどうなっているか、みんなで見に行きたいと思っているんだけど、どうかな?」


「面白そう!」旅や冒険好きのリリが最初に賛同し、他の三人もそれに続いた。


「けれど…」


 タムが絞り出すように言った。


「もし仮に五十五年も放置されているとしたら、天井が腐って急に上から物が落ちてきたりしないかな。もしくは床とかの足場だって…」


「タムは心配性ね。」


「でも一理あるか。行く場所が危険だったらピクニックどころじゃないわね」アメリアが机に頬杖しながら続

 く。


「あれ、これってピクニックなの?冒険じゃないの?」


「正直言って、ピクニックでも冒険でもどっちでもいいなぁ」


 リリは冒険かどうかにこだわっていたが、サラはそのあたりは興味が無いらしい。タムは懸念点どうするのか確認したかっただけなのに、別の方向へ話が進んでしまっているので、困惑の表情を隠せないでいた。

「えーと、そのとこなんだけど、実際には僕も行ったことが無い訳だから、発案者の僕が責任を持って下見をしてまずそこが安全かを確認したいと…」


「ハイ!」

 と、ヤンの説明途中で急にリリが手を挙げた。


「その下見、私がやりたい!」

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