02

 糸絡芽生と僕こと、ひかるが出会ったのは数ヶ月前のことだ。

 きっかけはとある噂に興味を持ったこと。

 その噂は、一体誰が始めに言い出したのだろう。発端が何処に有るのか未だに分からないまま、いつの間にか耳にする機会の増えた話題は、気が付けば学校中に広まってしまっていた。

 勿論、噂なんてこれ以外にも沢山あるはず。それなのに、いつまで経ってもこの噂だけは消えることが無く、噂自体に尾鰭が付き形を変えることもない。いつもなら気にすることもない下らない話。それなのに、何故それに興味を持ったのか。今でも不思議に思っているのだが、この時は【坂の上の魔女と黒猫の噂】が気になって気になって仕方が無かったことだははっきりと覚えて居る。

 その噂を確かめようと思ったのは、同級生の一言がきっかけだった。

『だって、黒猫は不気味じゃん』

 たったそれだけの理由で不気味と決めつけられるのは可哀想。昔から動物が好きだったからからこそ、そんな風に理不尽な理由で嫌がられるのは気に入らないと思ってしまう。

『黒猫だって、可愛いよ!』

 思わず言ってしまった言葉は予想以上に大きな声で。

『じゃ、じゃあ、お前がその噂、確かめて来いよ!!』

 反射的に返されたのはこんな言葉。

『分かった。確かめて来れば良いんだよね?』

 売り言葉に買い言葉。引くに引けない状況に大きく啖呵を切った結果、一人で坂の上の屋敷へと向かう事になったのが彼女と知り合う事になったある日の出来事である。

「それにしても、芽生さんも随分悪趣味だよね」

「何が?」

 未だ喉の奥に感じる不快感。もう一度大きく咳をしてから彼女を睨みつつ言葉を続ける。

「毎回、僕にこうやって煙を吹きかけるんだもん」

 そう。これは始めてこの場所に来たときからされている行動。確かに、身近な大人が吸う市販されている紙煙草に比べると大分柔らかく仄かに花のような甘い匂いがするのだが、それでも喉の痛みと煙たさは心地良いものでは無い。

 始めてそれをされたときは純粋に驚いた。同じように煙を吹きかけられたとき、僕は大声で彼女に怒鳴った。

 何度も止めてと頼んでも、彼女は毎回こうやって、僕に煙を吹きかけてくる。

 抵抗するだけ無駄なこと。

 そう思いはしても、今日は違うのではないかと抱く淡い期待は、今の所全て打ち砕かれ惨敗が続いている。

「諦めなさいよ。此処に来る以上、アンタはこれを受け入れる義務があるんだから」

 煙が嫌だと声を上げる度、彼女は決まってこう言ってくる。

「だったら、その理由を教えてよ!」

 そしてまた、今日も同じ質問を繰り返す。どうせ返ってくる答えも決まった言葉と言うことは分かって居るはずなのに。

「嫌よ。面倒臭いもの」

 最後に大きく息を吸い込むと、彼女は何も無い空間に向かって口の中に溜めた煙を吐き出していく。白い煙がふわりと広がり、空気と混ざり消えていく。残ったものは鼻の奥に残る香りだけ。

「煙を吹きかけられたくないのなら、もう、此処に来るのはやめたら良いじゃない」

 煙管の中に溜まった灰を灰皿へと落としながら芽生さんは小さく溜息を吐いた。

「やだよ」

「分からず屋」

 来るなと言いながら無理に追い出すことはしない。だからつい甘えて時間の許す限り居座ってしまうのだろう。

「いつ来ても、お客さんなんて来ないよね」

 相も変わらず閑古鳥。この建物は一応、品物を売る店だというのにいつだって客の姿は皆無だから、本当に儲かっているのかどうか心配になる。

「アンタが来るから客が寄りつかないのよ」

 使い終わった煙管を片付けながら言われる厭味も何時も通りなもんだから、気にせず言葉は右から左へ。真剣に受け止める事をやめ、聞き流して終わるのが当たり前。

「変な場所にお店なんて構えるからだよ。ってか、この建物、品物を売る店に全然見え無いのも問題なんじゃないの?」

 そこまで言って、ふと有ることに気が付き言葉を止めた。

「何?」

「そう言えば芽生さん。このお店って一体何を売っている店なの?」

 何を今更。そう思われても仕方無いだろう。しかし、今の今までその事について考えたことがないと言うことに気が付き驚いてしまった。

「お店だって事は知ってるんだけど、何を売っているのかを今まで聞いたことないから……」

 そう。今まで、その事について考えたことは無い。そもそも、何故この建物がお店だと思い込んで居たのだろう。店の入り口に看板なんて物はないし、入って直ぐにカウンターが有るわけでもない。内装は店として使うには適さないような作りになっているし、何より、奇妙な調度品以外の品物を見たことがない。

「……怪しいインテリア?」

「煩い!」

 その答えはいい所を突いていると思ったのに、呆気なく一蹴されてしまう。確かに、エントランスに並べられた歪なオブジェはインテリアとして飾るには適さない様な気もする。それでも、中にはああ言うのが好きなマニアみたいな人間が居るのかも知れないと思ったのに、どうやら違うらしい。

「あ! 分かった」

 何を言っても否定される。ならば、思い付いた可能性はたった一つ。

「芽生さん、お金持ちなんでしょ!」

 金持ちの道楽。それならば、金にならない骨董品もどきを適当にならべていたとしてもおかしくない。

「違うわよ」

 だが、それも即座に否定されてしまう。

 何故? 何? 疑問ばかりが頭に浮かぶのに、何一つ明確な答えが分からず気持ちの悪い靄だけが溜まっていく。

「アンタ、コレで何回目?」

 その様子を黙って見て居た芽生さんが、呆れた表情を浮かべながら書斎机に凭れ手を動かした。

「まぁいいわ。どうせ、回数なんて数えても忘れるんだから」

 チチチチ。舌を軽く鳴らす事で出すサイン。それに反応するように、膝の上で丸くなった黒猫の耳が小さく動く。

「おいで、クロ」

 芽生さんの声が猫の名を呼ぶ。

「なーん」

 だが、黒猫は一言だけ答えただけで、彼女の命令を無視し、再び膝の上で船を漕ぎ始めてしまった。

「…………可愛くないんだから」

 つまんない。珍しくふて腐れた様子の芽生さんが、猫を呼ぶことを諦め瞼を伏せる。

「その子、アンタに懐きすぎ。飼い主の顔を忘れるなんて、どういう事よ」

 クロと呼ばれた黒猫は、尻尾だけで彼女の言葉に反応を返すと、より大きな音で喉を鳴らしながら、前足を上下に繰り返し動かし始めてしまった。

「あっ! 狡い! ふみふみなんて、私にはやってくれたことないじゃない!」

「やったね! 芽生さんよりも先にふみふみしてもらっちゃったよ」

 いつの間にか話題は店の商品の話から、膝の上で自由を満喫している猫の話へ。いつもこうやって上手くはぐらかし、詮索をされないよう誘導されている事に気付かず一日が過ぎていく。

 飲み物のおかわりは二杯目、三杯目。規則正しく時を刻む振り子時計の秒針の周回は、一体何回行われたのだろうか。

 突然響き渡る低い音。一回目、二回目、三回目……と続き、六回目の音が鳴ったところで芽生さんが大きく手を叩いた。

「もう六時よ!」

「え?」

 その言葉に釣られ窓の外へと視線を向ければ、いつの間にか空は茜色へと変わってしまっていた。

「今日はお終い。店じまいするから帰った、帰った!」

 膝の上で眠りを貪っている猫を無理矢理抱き上げると、芽生さんの白い手が腕を掴み、強制的に椅子から引っ張り上げられる。

「早く帰んな。じゃないと間に合わないよ」

 その言い方は妙だと思った。

「芽生さ……」

「ほら! 急いで」

 だが、その違和感を確認する暇もなく、強制的に玄関まで引っ張られ外に放り出される。

「いい? 帰る時は、遠回りでもいいから表通りからね」

「何で?」

「良いから!」

 追い立てるように門まで歩かされ見送られる。芽生さんの腕の中に居る猫は、少しばかり寝ぼけている様子で何度も欠伸を繰り返していた。

「芽生さん! 痛い! 痛いよ!!」

「急げって言ってんの! ゆっくりしてる暇は無いはずよ!」

 屋敷と外を繋ぐ境界線。一歩足を踏み出せば、この不思議な空間に流れる時間が終わり、何時も通りの現実がやってくる。遠くから聞こえてくる鴉の鳴き声は悲しげで、一日の終わりを告げる夜が訪れる事をこれでもかという程自覚させられるから嫌で仕方無い。

「芽生さん。明日……」

 向こう側へ戻る手前で、一度足を止め振り返る。

「明日、また来ても良い?」

 それは、何となく言った言葉だった。

『だ・め・よ』

 それなのに、何故か彼女は、とても寂しそうにそう呟いて微笑む。

「約束。守ってね」

「約束?」

「そう。約束」

 そっと背中を押されると、身体は簡単に向こう側へと押し出されてしまう。

「じゃあね。バイバイ」

 そう告げると、彼女は門を閉ざし建物の中へと戻っていってしまった。

「…………」

 閉ざされた門。今日はもう、それが開く事は無いと分かって居る。

「……帰ろう」

 紫が忍び寄る空の色。肌寒さを覚え小さく肩を震わせると、坂道を一気に駆け下りる。彼女とかわした約束とは、一体何のことだろうと考えながら進める足。

「帰る時は、表通りから……」

 多分、その内容は、帰り道の事を指しているのだと解釈し、一度は表通りへと向かうべく足を進めた。

「……でも、こっちからの方が近いんだよなぁ」

 だが、彼女の言葉を裏切るように、選んだ選択肢は近道を通ること。日が落ちたことで余計に薄暗くなった細い路地は、日中感じる不気味さよりも更に恐怖心を煽る。だが、この道は向こう側までそれほど距離は無い。急いで走り抜ければ、直ぐに明るい場所へと出られる事も分かって居た。

「大丈夫、大丈夫」

 一度手を胸に当て、大きく繰り返す深呼吸。大丈夫だと自分に言い聞かせ覚悟を決めると、見通しの悪い路地へと一歩足を踏み入れる。

「大丈夫! きっと、何も起こらない!」

 大きな声でそう叫ぶと、急いで足を動かし一気に路地を駆け抜けるべく動き出した。

 ……はずだったのに。

 何故だろう。全然前に進んだ気がしないのは。

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