【cafe&bar あだん堂へようこそ】VTuber 湯呑せらぴ/佐藤茅乃の苦悩

七篠康晴

Vtuber 湯呑せらぴ/佐藤茅乃の苦悩

 



 画面上。流れ落ちていく、言葉の滝。目が眩むような値段がしたコンデンサーマイクとPCに向かって、今日も私は一人、語り続ける。値段相応に高性能なこのマイクが、私の感情を拾わないことを祈って。


「みんあこんばんはー! 湯呑ゆのみせらぴだよ!! 調子はいかが?」


 ディスプレイに取り付けられたカメラが、私の顔の動きを認識して、画面上のキャラクターが動いた。プロイラストレーターの手によって生み出された第二の私は、可愛らしい、薄緑色の髪をした、小さな女の子だった。


 こんばんせらぴ〜( ・∇・)

 こんばんせらぴ〜( ・∇・)

 山田クラッカー ¥10000

 こんばんせらぴ〜( ・∇・)


 同じ言葉だけが、流れ落ちていく。今日も、変わらない。


「山田クラッカーさん! スパチャありがと!」


 なんで、なんだろう。意味がわからない。






 私、佐藤茅乃さとうかやのが最近流行りのVtuberになったのには、理由がある。私は元々、ある動画サイトで、生配信者として活動していた時期があった。


 大学の卒業が近づいてきたのとともにやめてしまったけれど、日常的に配信を続けていた私は、どうやらそこそこ有名になっていたらしい。あれから一年。新進気鋭のVtuberたちが所属する企業から、企業所属のVtuberにならないかと、コンタクトがあったのである。


 就職も決まりそうだったけど、あの時の楽しさにもう一度戻れるのなら。そう思って、オファーを受けた。それから、半年以上が経っている。


 あの頃はノートパソコンを点けて、安物のマイクで皆んなと交流するのが、楽しくて仕方がなかった。しかし今は、そうじゃない。



 SNSを開いて、湯呑せらぴのアカウントにログインをする。VTuberは、日常的にポストを行うこと、そしてSNS上で他のVTuberと交流を行うことが、企業側から義務付けられていた。


 配信が終了したことを伝えるポストをすると、すぐにいいねやリプライが飛んでくる。いっつも、吃驚するぐらい早い。


 検索欄を開く。自分のために作られたハッシュタグや、名前検索、所謂エゴサーチを通して、配信のイラストを描いてくれた人や、感想をポストしてくれている人に、いいね、リプライを送った。感謝の気持ちはもちろんあるけど、これも契約の上で、義務付けられている作業、というのが主な理由だった。


 検索を続けていると、嫌な情報も目に入る。早く、寝たいのに。



 せらぴ声汚いしさっさと引退してほしい。にゃーら見たいのにあいつがいると配信開けん

 今日のせらぴちゃん、マジ可愛かったガチでぶち犯したい

 湯呑の住所特定した 今度凸する

 湯呑せらぴ、オタサーの姫感出ててキツすぎたw!



 ああ。うんうん。私もそう思うよ。


 スワイプを続ける。イラストがあると思ってタップしたら、薄緑色の髪の毛の女の子が、数人の男に陵辱されているものだった。私の声で私の性格を映すキャラクターが、酷い目に遭っている。それには何百件かのいいね、そして十件近くのリプライが付いていた。



「うっぷうおぇ……!」



 トイレへ駆け込んだ。せり上がってきた胃液が、便器に垂れ落ちていく。

 明日は、月末。銀行へ、通帳の記帳に行こう。





 昼前。だいぶ遅めの朝ごはんを食べてから、銀行へ向かう。VTuberの活動を通して得た収入が、入金されているはずだ。こまめに記帳しないと、よくないからね。


 ATMの前に立って、操作を行う。入金された金額を見て、ひどく驚いた。マネージャーさんが、最近湯呑さんかなり伸びてますよ、とは言っていたけれど。


 私が学生の時、必死にバイトをして得たお金の数十倍が振り込まれていた。初めて手にした時はあんなにも嬉しく、大事に使おうと思っていたお金も、今では、物凄く軽い。なんで、こんなふうに。


 自分が手にしたこのお金に、誇りを抱けない。


 必要最低限のお金を引き出して、夢遊病者のように、銀行を去る。


 家にふらふらと帰ってきた後、気づけばベッドで眠っていたらしい。配信を行うのは、主に夜。その前に、急いで買い出しに行かないと。立ち上がって、髪の毛を整えた後、家を出た。





 両手にエコバックをぶら下げて、激安スーパーから出る。今日は、お肉がすごく安かった。やっぱり、閉店直前に行くのが一番良い。予想よりも安く済んだその買い物に、珍しく気分が良かった。出来るだけ自炊をしたいし、食事は健康的でありたい。


 夜。日が落ちてきて、家路につく。ここから、後二十分くらいだ。最近、家を出ることもメッキリ少なくなったし、少しでも運動をしないと。


 都会の片隅。都内の中でも住みやすいと評判のこの町は、他のエリアに比べて、住宅が多い。人っ子一人いない路地を、進んでいった。


「……?」


 なんだろう。誰かに、見られているような気がする。何となく、後ろを振り返って見てみると。


 電柱に、人影。黒いパーカーを着て、フードを被った男がこちらをじっと見ていた。


 ドクンと、大きな鼓動が鳴る。普段から浴びるように受けている誹謗中傷の嵐の中から、殺害予告、ストーキング宣言、記憶に残っていた数多のコメントが、頭の中をぐるぐる駆け巡った。


 ドサリと、エコバックを両手から落とす。

 恐怖に駆られて、一人夜に駆け出した。






「はぁ…! はぁはぁ……!」


 怖い。怖い。怖いよ。おうちに帰りたい。必死に走る。後ろからは、こちらを追いかける足音が聞こえてきていた。


 路地から通りに出て、どこか、避難できる場所はないかと辺りを見回す。しかし、夜も深くなってきたこの時間。どの店もすでに閉まっていて、逃げ込めるような場所がない。


「あれ…?」


 明かりの付いている店が、目に入る。確かそこは元々、お洒落なカフェがあった場所のはずだ。こんな時間に、開いているような店じゃなかったはず。


 Cafe & Bar あだん堂。

 英語ってだけで、意外と目に入らないものなんだなって思いながら、お店に駆け込んだ。





 からんからんとドアベルの音が鳴るのと同時に、バーカウンターにいる、ダンディで無茶苦茶美形なおじ様が、私を迎え入れる。


「いらっしゃいませ」


 彼はグラスを拭きながら、こちらに視線を向けていた。


 必死になって駆け込むようにに入店してきたけど、バーに来るなんて初めてだ。クレカは持っているしお金は大丈夫なはずだけど、どうしよう。


「あ、あのッ……そのッ……」


「大丈夫ですよ。お掛けください」


「あ、有難うございます……!」


 カウンターの方に近寄っておじさまの前に座ったけれど、どうすれば良いか分からない。お洒落なお酒なんて飲んだことないし、どうしよう。


「ソフトドリンクもありますよ」


 全てを見透かしたように、私が声を発する前に彼が言った。とはいえ、ソフトドリンクとしてはメジャーな炭酸を私は飲まない。りんごジュースを頼む。


 バーテンダーのおじさまの雰囲気に呑まれて忘れていたけど、私は追っかけられてたんだった。マ、マネージャーさんに相談しないと。


 あたふたしながら動く私を見て、おじ様が口を開いた。


「私は、安壇征四郎あだんせいしろうと申します。本日は、どうなされたのですか? 随分と慌てたご様子で」


「じ、実は、さっき、誰かに追いかけられて、それで、ここに」


 ピクリと眉を動かした彼が、カウンターの近くにある、受話器に手をつけた。


「おや。それは大変ですね。では、警察に通報しておきましょう。どんな見た目をしてました?」


 随分と冷静な彼が、妙に頼もしかった。きっと私だけだったら、警察官の人たちに、上手く話せなかったに違いない。


「宜しければ、何があったのか聞かせてください。ここは、そのための場所ですから」


 彼が拭いていたコップを、コトリと置いた。


 せきを切るように、話していく。本来は契約上やってはいけない行為であるというのに、自分が所謂VTuberと言われる存在であるということ。楽しかったから配信をやっていたのに、訳のわからない人が沢山やってきて、それが崩れてしまったこと。何のために渡されたのか分からないお金と、誹謗中傷が降り掛かってくること。全てを、話した。


 彼は時折頷きを返しながら、話を聞いてくれている。息を切らし涙ぐんだ状態でも、彼は嫌な顔一つせず、真摯に、聞いてくれていた。


「辛いんです。お互い、ただ一方的なこのコミュニケーションが……私はただ、色んな人とお喋りがしたかっただけなのに」


 言葉を選ばんとしているのか、彼が口をつぐむ。ゆったりとした時間が、私と彼の間に流れていた。


「確かにどこにでもおかしな人はいますし、理解できない事象はあります。しかし、それに気を取られすぎると、良いことまで見えなくなってしまいますよ」


「良い……こと?」


「貴方はきっと、私なんかよりも素晴らしい人だ。多くの人に、拠り所を提供している」


 彼にどういう意味かを尋ねようとした時、ピコンと携帯の通知が鳴った。その通知の正体は、E-mail。恐らく、先ほど送信したメールを、マネージャーさんが確認したのだろう。そう思ってメールを開こうと携帯を見たら、SNSアプリに、途轍もない量の通知が付いていることに気が付いた。


 思わず、アプリを開く。するとそこには。



 今日配信ないのか 何があったんだろう 心配だ


 せらぴちゃん配信休むことなんて滅多にないよ、、、


 何があったのかはわからないけど、配信いつも楽しんでるし、いつまでも待ってます!


 せらぴちゃん休止になったりしたら俺はしぬ助けてくれ


 いやだあああ配信ない生活なんて想像できない 怖いよ



 最後の私のポストに、私を慮るリプライや、私の不在を嘆くリプライがたくさん付いていた。そういえば、今夜は配信予定だったんだ。



「私も職業柄色んな人に出会うのですが、この世の中、生きづらそうな人が多い。バーという飲食店の中だけでこの有様なのですから、他に目を向ければ、もっと沢山の人が苦しんでるでしょう」


「ウチにもいらっしゃいますよ。変なお客様が。でも、私は私の店を楽しんでくれるお客様のために、頑張っているのです」


「そして貴方は、私よりもはるかに多くの人々にその場所を提供しているのですよ。頂いてるお金も、きっとその価値の表れです」



 目を見張る。そんな大層なことを、してるのかな。私。



「まあ、話を聞く限り、問題も多そうですけどね」



 微笑した彼が、小皿に盛られたおつまみを差し出してくる。至れり尽くせりだ。このお店は。薄暗い店内に、椅子の足が軋む音が響く。


「安壇さん。相談に乗ってもらって、ありがとうございます」


「いえいえ。それが仕事のようなものですから」


「最後に、一つだけ質問があるんです。私は、どこを拠り所にすれば良いんでしょう?」


 物音一つしない、静かな店内。彼の、控えめに笑う声が響く。


「言ったでしょう。ここは、そのための場所です」








 私は、佐藤茅乃。VTuber 湯呑せらぴとしても生きる私は、近所にある、cafe & bar あだん堂の常連客。昼に時間があれば、喫茶店でマスターが淹れるコーヒーを楽しみ、夜、配信おしごとのない日には、ちょっとずつ慣れないお酒を飲みながらも、マスターに従業員、他のお客さんとの会話を楽しむ。


 この店に訪れるようになってから、外へ出る回数が増えたし、楽しく生活できている。困ったことや悩み事があれば、彼らに相談した。


 この店が、私の居場所だった。湯呑せらぴも、こんな場所を作れてたら、いいな。






 おわり



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