第4話:悪魔との契約・前編

確か、三年か四年ほど前のことだったと思う。


「いや、五年前だ」


そうそう、確か五年前のことだったと思う。悪魔の力を得たばかりの僕は、何をどう考えたかそれとは別の悪魔に縋りついた。

当時の僕は、この力が嫌で嫌でたまらなかったんだ。


特殊なカルト集団に所属する両親のもとに生まれた僕は、生まれた時からその宗教に包まれて育った。どうやらそれが良くないものだと気付いたのは、幼年学校に通うようになってからで、それを両親に相談したら次の日からは学校へ行かなくていいなどと言われてしまった。

兄貴、つまりレヴィリア・ウィルソンは、同じその集団の中で育った仲。七歳差だか、それほど歳が近かったわけじゃないけど、子どもが少なかったからか自然と友だちになって、やがて兄弟と呼べるような相手になった。学校を辞めさせられちゃった僕にとっては、唯一対等に話せる相手だったような気がする。

そんな僕がいたカルト集団はどうやら悪魔を崇拝していたらしく、僕はある日その「生贄」に選ばれた。ちょうど僕はその時新しい本に取り掛かったところで、嫌だって言ったんだけど完璧にスルーされた。仕方ないから僕は呼びに来た大人たちに従って生贄になるための部屋に入った。大人たちは「食べられやしないから大丈夫」とか言ってたけど、生贄の意味すらわかんなかったその頃の僕にとっては、しつこいなあとかそんな気しかしなかった。今になって思い返したら何ふざけたことしてんだ、とは思う。

僕はそこで生贄として悪魔の力を貰い、それからみんなの信仰対象になった。だから多分「生贄」って言うよりも「即身仏」とかそっちの方が正しいような気もする。


「どっちもズレてる」

「ああもう兄貴、日記読み返してる時ぐらい黙っててくれない?」

「お前が声に出して振り返ってんから悪いんだろ」


生贄でも即身仏でもどうでもいい。とりあえず僕は、その時にこのヘンテコな力を手に入れた。空間に穴を開けて顔を出したり、物を浮かせたり、とりあえず空間に関わる大抵のことはできる力。今思えば割と役得だったなと思う。便利だし、この力のおかげで僕は今日まで生き延びられている。

でも当時の僕はそんな得体の知れない悪魔の力なんて嫌で、そこでこっそり違う悪魔を呼び出して相談した。その相談相手も悪魔だと言うのが、まあカルト集団の一員らしいような気もする。とにかく、古い本の記述とかを頼りに僕は知恵を司る悪魔を呼び出した。

彼の名は、白き知恵の悪魔・アガリアレプト。とてもよく頭の切れる悪魔で、相談事にも親身に乗ってくれるほどの人間好きだった。


「正確には頭いいわけじゃなくて、謎解きの答えがすぐわかるだけだね」


初めてリディアが彼を呼び出した時も、そんなことを言われたような気がした。リディアは安宿のベッドが死にそうな音で軋む程の勢いで後ろを振り返った。

結局前の『角』をめぐる戦いの後、角の効力と前日の寝不足のダブルアタックに陥落したリディアは、夕方までずっと眠りこけていた。あと五分どころの長さではない。三人揃って眠り込んでいたため、夕方の微妙な時間に食事を摂ると、三人揃って翌朝までさらに寝ることを決め込んだ。今はちょうど目が覚め、気になったことを振り返るため古い日記を開いていたところだったはずだ。

先ほどまで隣にいたレヴィリアは現在水を取りにリビングへ出ている。そしてフィムはそのリビングでテレビを見ているはずだ。最近のお気に入りは朝の連続ドラマで、まだ始まったばかりのような時間帯だから、彼がこちらの部屋に来ることはまずないだろう。


「やあ、ディーン。久しぶり」


苗字まで名乗ることの少ないリディアを苗字で呼ぶ、数少ない知り合い。彼のフルネームを知っているのは、レヴィリアと、フィムと、後は呼び出す時にフルネームを伝えたはずの、


「あ、アガリアレプト……」

「……レプトでいい。呼んだだろ、ディーン。久しぶりだね」


白い髪に白いスーツを纏った、全身白ずくめの青年がリディアのベッドの上に座っていた。

別にリディアが召喚したわけではない。そもそもこんな辺境の安宿に、悪魔召喚の儀式の材料が全部揃っているわけがない。だからこそリディアは呼び出した覚えのない知り合いの登場に驚いていた。

その物音を聞きつけた兄と保護者がリディアの部屋の扉を開ける。アガリアレプトは二人を見ると、再度にこりと笑ってみせた。


「やあ、ウィルソンにバートン。何年ぶりかな?」

「五年ぶりだな、レプト」


レヴィリアが安心したような顔で言う。本来ここにいるべき悪魔ではないが、不審者ではなく知り合いだったことに安堵したのだろう。フィムは相変わらず読めない無表情でレヴィリアの隣に佇んでいる。羽も剣も出していないため、警戒状態にあるわけではないということだけはわかったが、何を考えてその悪魔を見下ろしているのかは皆目検討もつかない。

そのまま持っていた水をサイドテーブルに置きに行ったレヴィリアに置いていかれ、天使のような男は戸口にぽつんと一人残された。

フィムは持っていたテレビリモコンを手の内でくるくると弄びながら悪魔に訊いた。


「アガリアレプト。君はなぜここに?」

「なぜって、呼ばれたからだよ。そこのディーンに」


アガリアレプトがリディアの頭を指して言う。リディアはそっと肩をすくめてみせた。


「確かにいたらいいなとは思ったけど、呼んではないよ」

「それはもう実質的に呼ばれたことになる」

「ならないと、思うんだけどなあ」


不毛なやりとりを予感したリディアは小声で呟くとさっさと会話を切り上げた。

彼はなかなか人間に好意的なため、この人間界に放置しておいてもさして害はないだろう。ただ、その理由が「人間の作るお菓子が好きだから」なのは少々心配になってくるが。

このアガリアレプトはリディアが五年前に呼び出した悪魔だ。おそらくその時に生まれたつながりか何かのせいで、儀式もなしにここにやって来れたのだろう。リディアはフィムと一方的に談笑しているアガリアレプトを見て、ため息をついた。

全く緊張感がないが、彼は一応エリートな悪魔だった。


アガリアレプトの興味は尽きることがなかった。リディアたちが新しくとった宿屋は前よりも部屋が広く、その分彼らの荷物も撒き散らすようにして堂々と広げられている。悪魔はその中から一つのものを見定めた。


「これ、角かい?」


アガリアレプトが一本の長い角を持ち上げて訊ねる。あれは確か、先日谷底の集落にいた天使が持っていた道具だ。ヒュプノスの角だとかいっただろうか。装飾もそのままにテーブルの隅に放置してある。一度近所で買ったおろし金で削ってみようと思ったのだが、なんと角はおろし金よりもはるかに硬かった。今そのおろし金は真っ平らになった表面を輝かせて、これまた放置されている。使い物にならなくなってしまったため、いつか捨てなければならない。


「すりおろし式の角な。ゴリゴリ削って火ぃつけると、安眠できる」

「それは素晴らしい安眠グッズだね。そのまま永眠する危険性さえなければいいんだけど」


答えたレヴィリアにアガリアレプトが茶化して返す。けらけらと笑っているあたり、おそらく訊ねた時点で答えは分かっていたのだろう。


「ベルフェゴールに持たせたら、面白そうだね」


彼の知り合いなのだろうか、怠惰の悪魔の名前がちらりと出てくる。リディアは枕を持っただらしない悪魔が『角』を持っている図を想像し、軽く吹き出した。

アガリアレプトの興味はそのままレヴィリアの仕事用鞄へと向いた。中に詰め込まれた様々な銃火器を手に取っては、これは何、あれは何だと訊ね倒す。レヴィリアはきちんと応えることを諦めてスマホを手渡していた。スマホを受け取ったアガリアレプトは、フィムよりも遥かにスマートな指さばきでブラウザを立ち上げた。


「エロサイトは見んなよ」

「あいにくそういうものに興味はないよ。美味しいスイーツの店の方が大切だし」


あっけらかんと言い放った悪魔に、レヴィリアがきゅっと眉間に皺をを寄せる。こいつ、悪魔のくせに。


「そういやディア、なんで来たんだ?あいつ」

「なんか勝手に呼び出したことにされてて。確かに話したいことはあったからいいんだけどさ」


リディアがひょいと肩をすくめる。そのリディアの背後からフィムが音もなく現れた。


「何を相談する気だったんだ?」

「いやあ、ね」


リディアは考え込むような素振りをする。どうやって誤魔化そうか、いや誤魔化さない方がいいのか。


「狩りって、こんな感じでいいのかなって」

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ANGELHUNTER 巡屋 明日奈 @mirror-canon27

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