第3話:眠りの谷・後編

オレリアの、州境に位置する大きな谷。問題の町は、その谷の底にあった。自然の地形を生かした昔ながらの集落が、長い時を経て段々と栄えていっていたようだ。

現在は人一人の声も聞こえない。おそらくは警察か何かの指示に従って全員避難しているのだろう……生きていた人々は。


「しっかし集団自殺で避難ねぇ」

「まあ、事件の可能性もあるし妥当だと思うよ」


「自殺」はメディアが勝手に騒いでいるだけだ。真相は誰にもわからない。そもそも一般人はヒュプノスの角などというオカルトチックなアイテムの存在を信じない。

朝一番の列車を逃してしまった二人は、仕方なくリディアの力を使ってこの谷までやってきた。次の列車まで一時間もあったのだ、そんなに待っている暇はない。


「そういやお前、図書館はどうしたよ」

「よく考えたら『角』を使ってる奴が何者かわかんないと調べようがないなーって」

「……なるほど」


レヴィリアの問いかけにリディアが肩をすくめて答える。実はリディアは夜の間にもう一度フィムに掛け合って『角』について調べていた。

「ヒュプノスの角」。その角を粉にして焚くと、その香りに惑わされた人々が次々に眠りに落ちるという道具だ。その使い方から、長い間使えるものの消耗品の類に入る。

問題は、現在『角』がどれだけ残っているかだ。ここ最近は不自然な事件を見かけていなかったから、おそらくほとんど全てが残っているだろう。つまり、自分たちが無策でその『角』の持ち主へ特攻を仕掛けると、高確率で眠らされることになる。


「しっかしなー。持ってくりゃよかったな、水」

「……なんで水」

「焚いた角消せるだろ」


焚いたときの独特の香りが失せれば、眠らされていた人々も段々と目覚める。教会の人々が数日間にもわたって目を覚さなかったのは、おそらくずっと『角』が焚かれたままだったからだろう。教会に突入した人が偶然その『角』の入った器を流しへひっくり返してしまったおかげで、二次被害が起こらずに済んだと聞いている。

リディアは手荷物の中に入っていた古びたメモ帳を眺めた。『角』の持ち主をこの中から特定しておきたい。リディアの持つメモ帳は、今まで二人が出会った天使やそれに準ずるもの、そして魔物などの人ならざるものへの対処法が記されていた。新種に出会えば、二人が自らこのメモに新情報を書き加える。


「今から買えば?自販機くらいあるでしょ」

「最悪唾かけときゃどうにか……」

「ならないから買ってきて」


どうにかなったとしても、それはなんとなく嫌だ。


二人は問題の教会にたどり着いた。大きなステンドグラスが特徴的な、やや大きめの教会だ。中に人がいないことを知っている二人は、特に何の声かけもせずにその大きな両開きの扉を押し開けた。もし中に誰かいたとしても、それはきっと『角』の持ち主くらいだろう。そしてそんな奴に挨拶をする義理はない。

外から見えたステンドグラスは内側から見てもやはり圧倒されるほどに美しく、その手前に整然と並んだ長椅子たちとも相まってとても神秘的に見えた。


「あのガラスの絵、誰かな」

「さあ、多分敵」

「……だろうね。天使だし」


ステンドグラスに描かれた天使を見上げて二人が呟いた。それにしてもあまり見たことのない天使だ。特徴がないというか、よく見る有名な天使たちの絵ではなさそうだ。その背に生える白い翼は一対しかない。おそらく低級の天使なのだろう。かの有名な堕天使ルシファーなどは十二枚、つまり六対もの翼を持っていたと聞く。

そのガラスの天使が、ふと揺らいだような気がした。


「兄貴、危ない!後ろ……」

「お、え、うぉっ!?」


ステンドグラスを見上げていた二人の背後から、そのガラスの天使にそっくりな人影が襲いかかる。咄嗟に気付いたリディアの声かけにより、なんとかその攻撃を避けることができた。


「サンキュ、ディア」

「『ディア』はやめて」


リディアが茶化すように顔をしかめてみせる。二人はそれぞれの上着___レヴィリアはショートジャケット、リディアはロングコート___の内側から武器を取り出すと、その人影に相対した。

人影は二メートルはあろう翼を大仰に広げて立っていた。開け放たれた扉から差す朝日が、後光のようにその人影を照らす。人影は、やはりステンドグラスの天使だった。

リディアは手に持った長めの短剣ナイフを握り直した。悪魔の力を持った彼自身の祈りの込められた短剣は、天使などの聖なる人ならざるものを刺し殺す力を持っている。レヴィリアの拳銃も、中の弾丸に同じような祈りが込められている。ここまでこれば祈りというより呪いだな、とリディアはつくづく思っている。


「お前たちも、神に導かれるといい」

「あいにく俺らは子羊ちゃんじゃないもんでね!」


レヴィリアが放った弾丸を、その天使は軽やかに避けた。レヴィリアももとより天使相手に弾丸一発で勝負が決まるとは思っておらず、二人はさっと距離を開けた。

リディアがコートの内側からさらに何本もの短剣を取り出した。取り出された短剣は、薄い青い光をまとってリディアの周囲を浮遊し始めた。リディアの力は「空間」を司る。応用すればこの程度は屁でもないのだ。

リディアのやや小さめの手が開かれる。そして彼はそれを振りかぶり、天使の方向を指し示した。周囲の短剣が意思でも持っているかのように一斉に天使へと襲いかかる。

相手が普通の天使でよかった。これが少々癖のある天使や魔物だったら、ここから逃げ出してすぐさま倒し方を調べなければならないところだった。だが、普通の天使なら刺すか撃てば死ぬ。

長いローブの裾を短剣に縫い留められた天使はその場でじたばたともがいている。今度は短剣を手に持った短剣を振りかぶろうとしている。天使が降参するように手を挙げた。


「……っ、ディア!下がれ!」


その天使の指先に怪しい動きを見たレヴィリアが叫ぶ。天使は笑うと、その指先に小さな炎を灯した。その指の間から細かい粉が数粒こぼれ落ちる。周囲に何かが焼け焦げるような匂いと、不思議な甘ったるい香りが充満した。


「クソ、角か」


慌てて口を押さえたレヴィリアは、一旦天使と距離をとりながら悪態をつく。天使の目の前にいたリディアは早くも陥落したのか、その場に丸まっている。

自分の力でもねーのに、勝ち誇った顔しやがって。レヴィリアの眉間に皺が寄る。段々とイラついてきた。


「ああもう、フィム!」

「呼んだか、レヴィリア」


ステンドグラスよりもさらに上を向いて、レヴィリアが叫ぶ。その瞬間、彼の背後から落ち着いた男の声が聞こえてきた。ばさ、と翼が広がる音がする。振り向くと、そこには加護を受けた六枚の天使の羽を広げた、おっさんが立っていた。


唐突な高位の天使六枚羽の登場に天使がおののく。正確にはフィムはその六枚羽の天使の寵愛を受けているだけであり、彼自身は普通に傷ついたりもする人間なのだが。

フィムはその六枚羽をしまうと、低級の天使へと向き直った。寝転がるリディアをレヴィリアの方に投げると、フィムは左手にいつの間にか握られていた長剣でその天使の胸を差し貫いた。

天使は驚いた顔のまま声にならない悲鳴をあげると、そのまま燃え上がる。燃え尽きたその後には、小さな焦げ跡一つだけが残った。

ごとん、という重めな音にレヴィリアが焦げ跡の付近を覗き込む。豪華な装飾の施された長い角が転がっている。先が丸く削れている。


「……これが、ヒュプノスの角」

「その通りだ。粉にせず焚きもしなければただの鈍器だが、危険物には違いない」


フィムはその鈍器を拾い上げると、それをパーカーのポケットにねじ込んだ。三分の二ほどがポケットからはみ出しているが、フィムは気にせずさらにそのポケットに両手を入れた。

開け放たれた教会の扉からフィムが出る。眠りこけているリディアを担いだレヴィリアがその後に続いた。問題は解決したし、もうするべきことはない。二人はまた近所に宿を取ることにした。まだまだ情報収集などに時間がかかると思っていた兄弟は、今朝泊まっていた宿をチェックアウトしてしまっていたのだ。

もうそろそろ『角』の香りも薄くなってきただろう、とフィムが呟いた。レヴィリアは慌てて担いでいたリディアに声をかけた。自分は成人男性、そして相手は子どもとはいえ、十六歳の男はなかなかに重い。


「こら、起きろリディア」

「……あと五分だけ」


どうやら『角』関係なしに、寝不足だったようである。

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