第33話「矜持」

 そのころ、短い休憩を終え、ゴツゴツとした岩肌に沿って角を曲がったベルたちは、突然開けた坑道に息をのんだ。

 今まで進んできた坑道の一番広い場所でも、ベルたちが四人やっと並んで歩ける程度の幅だったのである。

 カンテラのシャッターを開き、サシャが高く掲げても、天井も向こう側の壁も暗闇に消えるほどの道幅は、本当にここが悪名高き暴虐の火竜リントヴルムの住処なのだと、否応なしに納得させた。

 常にうろこの隙間から噴き出していると言われる炎により、坑道の壁は溶け、今は滑らかに固まっている。

 まるで未だに熱を持っているように半透明に輝くその壁へと、ベルはそっと手を触れた。


「本当に……ガラス化してるんだな」


「うん、アルカイオス英雄譚の記述通りだ」


 かの英雄がリントヴルムと戦った末に、しゅを超えた友情をはぐくんだ章は、吟遊詩人たちにも好まれる有名な部分だ。

 それによれば、リントヴルムの巣穴は黄色味がかったガラスで覆われ、夜明け前の精霊力で緑色に光る。

 書物通りの壁を感慨深げに眺めるベルたちを、カールがいらいらと急かした。


「ここはもう火竜の縄張りの中なんだぜ? のんびりしてるヒマはねぇよ。こっちだ、急ぎな」


「そうじゃな、ベル、サシャ、ゆくぞ」


 ヒルデガルドにも急かされ、カールとベルを先頭に走り始める。

 時折速度を落としながらも、休むことなく数時間、四人は暗い坑道を進み続けた。


「もう……ひぃふぅ……少しだぜ……はぁひぃ」


 一番最初に限界を迎えたカールを気遣い、今は歩く程度に速度を落としながら、ベルたちは火竜の巣を進む。

 カールの地図と記憶が正しければ、あと一時間もかからずに火竜の道をそれ、人間の作った坑道に戻ることができるはずだ。

 ホッと一息つきかけて、カールの背中を押しながら歩いていたサシャは道の奥、暗闇の中へと視線を向けた。

 ほぼ同時に、ベルの歩みが止まる。

 カンテラのシャッターを無言で下ろし、真っ暗になった火竜の道で、サシャはほんのわずか、眼帯をめくった。


「んぐっ……おえっ」


 緩やかに湾曲した道の奥、壁の向こうから漏れ出る巨大な生命力オドに、サシャは膝をつく。

 暗闇の中、肩を貸したベルは、できる限り声を潜め、たずねた。


「いるのか?」


「か……かなり、近いと……思う」


 眼帯を元に戻したサシャは、一つ深呼吸して立ち上がった。

 カンテラのシャッターを開く。

 心配そうにサシャをのぞき込むカールとヒルデガルド、目を細めて通路の奥を覗くベルの姿が浮かび上がった。


「で、でも……動きが、お、おかしい」


 話に聞いたような「ナワバリの見回り」の動きとは思えない。

 もちろんサシャはドラゴンの専門家というわけではないが、そのせわしすぎる火竜の動きは、まるでのように思われた。


「なにか獲物でも見つけたんだろ。いいから今のうちに抜けちまおうぜ」


 サシャの言葉に、カールがそわそわと答える。

 火竜の足音と息遣いの音がかすかに空気を震わせ、全員の皮膚が泡立った。


「カールの言うとおりじゃ、まだ間に合うじゃろ」


 ヒルデガルドが皆を急かす。

 しかし、耳をそばだてていたベルは自分のこぶしに視線を落とし、ゆっくりと顔を上げた。


「ダメだ」


「なにを言っておる。かの火竜めから逃げるのにダメなことなどなかろう」


「いや、ダメだ。……聞こえないか?」


「なにがじゃ」


「人の声だ」


 今ではもう地響きとして体に感じる振動とともに、その声は聞こえてきた。

 悲鳴とも雄たけびとも判断がつかないその声は、滑らかな火竜の道に反射して、彼らのもとに届いた。


「……ほ、ほんとだ」


 言葉を失ったヒルデガルドに代わって、サシャが答える。

 それでも、カールとヒルデガルドは首を振った。


「人がおったにせよ、余らに何かができるわけではなかろう! 相手はかの火竜リントヴルムじゃぞ!」


「そうだぜ! ここは逃げる一択だろ!」


 カールはすでに道の先へと進み始めている。

 しかしベルは首を振り、まっすぐに火竜の道を見つめた。


「逃げるのが正解だと俺も思う。俺が行ってどうにかなるとも思えない」


「ならば答えはもう決まっておろう」


「……ずっと考えてたんだ、が教えてくれた『冒険者の矜持きょうじ』ってのが何なのか」


 ヒルデガルドの言葉も聞こえていない様子で、ベルはつぶやく。

 サシャもヒルデガルドも、【運び屋】ベゾアール・アイベックスとベルの間で交わされたあの会話は聞いていない。

 それでもというベルの言葉で二人の脳裏に浮かんだのは、世界最強の異能者ギフテッドと呼ばれる冒険者王、その穏やかな笑顔だった。


「誰かを助けられる可能性があるなら、……少しでも可能性を上げることができるなら、冒険者おれたちは行かなきゃならない。行くべきなんだ」


 向かう先には火竜リントヴルム。

 生ける伝説、暴虐の王である。

 ベルは震える足を、一歩、進めた。

 その震えは恐怖であっただろうか、それとも武者震いだったろうか。


「い、行くなら、ぼ、ぼくも一緒だ」


 自分で原因がわからぬうちに、サシャの手が肩にかかる。

 隣に立った友の目を見ると、不思議と震えは止まった。


「あぁもう! 仕方ないのう!」


 カールに先に行って待つようにと告げ、ヒルデガルドも歩みを進める。

 火竜の元へ。

 幼い冒険者は立ち向かうことを選んだ。

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