第19話
マンティスは、アントと同様に遺跡領域を徘徊する蟲人だ。
アントが遺跡領域の雑事を行うのに対し、マンティスは外敵の排除を目的にした純然たる戦士だった。
無機質で機械的な見た目はアントと同様だったが、大きさはアントよりも一回り大きい。
獲物達を前にしたマンティスは、普段は折りたたまれている鎌を開き、狩りの準備を終えた。
勢いよく飛び出した鎌は、まさに死神を思わせるような鋭利さでラグナ達を恐怖で凍り付かせた。
「狼狽えるな!別に俺たちは遺跡攻略にきたんじゃねえ!さっさとそのペンギンを殺してずらかればいいんだ!」
フォッグはそう叫んだが、皆、逃げるのに精一杯だった。
ラグナの拘束は解かれた。
しかし、ラグナも等しく命の危機に晒されていた。
混戦の最中、マンティスが最初に狙いを定めたのはラグナだった。
「いいぞ!そのペンギンを殺せ!」と叫ぶフォッグ。
ラグナは自分の前に立ちはだかるマンティスを恐怖で見開いた眼でじっと見ていた。
逃げようにも足に力が入らない。
逃げられないと思ったとき、ラグナは助けを求めるように辺りを見回した。
しかし、どこを見てもラグナを助けようとする勇士は見当たらなかった。
誰もが我先にと逃げ出そうとしている。
ラグナは落胆した。
体から力が抜けていくのを感じる。
ラグナにとって、勇士たちへの憧れはラグナの体を突き動かす力の源泉のようなものだったのだ。
勇士たちの体たらくに失望したラグナの体は恐怖と相まって鉛のように重くなってしまった。
「何をぼうっとしているんだ!」
バリーが鋭く叫んだ。
その声にラグナの体は反応した。心はまだ腑抜けていたが、体だけが咄嗟に反応したのだ。
ラグナがさっきまでいた場所にマンティスの鎌が突き立てられていた。ラグナはそれをギリギリのところで避けたのだった。
目の前に突き立てられた鎌には鏡のようにラグナの姿が映りこんでいて、茫然とした顔でラグナ自身を見返していた。
「ラグナ、とにかく動け!ワイズ!エリック!ドーリン!時間を稼ぐんだ!皆が逃げる時間を!」
バリーは勇士たちに檄を飛ばす。
フォッグは相変わらずラグナに執着しているばかりなので、代わりに指示を出したのだ。
バリーの指示によって浮足立っていた勇士たちに僅かながら反撃の動きが出始めた。
相変わらず大半の勇士たちは情けなく逃げ回っていたが、その中で僅かにマンティスに立ち向かう勇士たちが居たのだ。
バリーを中心とした、そのささやかな抵抗をラグナは驚きと羨望の眼差しで見つめていた。
・・・だが、その反撃の芽はあっという間に叩き潰された。
マンティスの戦闘力は圧倒的過ぎたのだ。
雄叫びを上げながら斬りかかったオコジョは逆に一刀の元に切り捨てられた。
巧みな身のこなしで皆から一目置かれていたユキヒョウもあっさりと鎌の餌食になってしまった。
力自慢のドーリンの一撃も、固い外皮に弾かれ大したダメージは与えられなかった。
それらの事実だけでも勇士たちに絶望を与えたが、誰よりも素早いと思われていたバリーの足が斬り落とされたとき、誰もがこう思った。
抗う事はおろか逃げることも出来ないと。
「駄目だ・・・もう駄目なんだ!」
誰かがそう叫んだ。
その瞬間、僅かに残っていた統率が勇士たちから急速に失われ、代わりに恐怖と混乱が増してゆく。
そうなると皆、ラグナどころではなくなってしまう。
気付けばラグナは完全にフリーな状態だった。
マンティスも今は他の勇士をターゲットにしているし、勇士たちは逃げ惑っている。
ふと、振り返ってみると森を抜けて集落へと続く獣道がラグナの目に映った。
その道は不思議と光り輝いて見えた。
危機を脱し、生存へと続く奇跡の道筋に見えた。
・・・けれど、ラグナはその一歩を踏み出すのを躊躇った。
再び、惨状の場に目を向けると、逃げ惑う勇士たちの中に、少し様子の違う一団が見えた。
それは右足を切り落とされ、もはや逃げることもままならないバリーを助け出そうとする一団だった。
ラグナは正直迷っていた。
生き残るために自分の事を第一に考えるべきかもしれないと思ったし、何より家族の元に一刻も早く向かわなければならない。
それに勇士というものに落胆していた。
報酬や野心のためにラグナを犠牲にしようとした者が少なからず居るという事はラグナの心を傷つけた。
けれど、そうでない者もいる。
バリーや、彼を助けようとしている者たちだ。
子供だったラグナは勇士なら無条件に誇り高い者になれるものだと思い込んでいた。
・・・しかし、そうではなかった。
その事実はラグナの理想を裏切ったし、落胆したが、同時にこうも思った。
(だから誇り高い勇士ってのは、俺の憧れなんだ)
誰もが簡単に成れるわけじゃない。だからこそ貴重な存在。
正直、それ以外のクソは死に絶えろ。という暗い怒りもある。
その二つがラグナの体に力を取り戻した。
震えていた足に力が入る。
心臓が強く鼓動を打ち始め、頭もすっきりとして、思考が冴えわたる気がした。
そうして得た思考力はラグナに反撃のための策を授けた。
ラグナはそれに従い、戦いの場に向かって走っていった。
戦いは一方的な虐殺に変わり、ドーリンは戦うことを諦めて立ち尽くしていた。
そんなドーリンにラグナは駆け寄って、いきなりこう言った。
「俺を投げてくれ!」
「はあ!?」
「さっき、マンティスに銛を投げただろ?その時みたいに、今度は俺を投げてほしいんだ」
「何言ってんだ?死の恐怖で狂ったんか!?」
「いいから!マンティスの首のあたりを狙って投げてくれ」
ラグナはドーリンの事を良く知っていた。
勇士に憧れているラグナは、野球選手に憧れる子供が、それぞれの選手の特技や性格を知っているようにドーリンが力自慢なだけでなく、その投擲が正確である事を知っていた。
「何もしなきゃ、全員死ぬだけだ」
ドーリンは考えるのを止めた。
この行為が何になるのか分からないが、ラグナの言う通り、何もしないよりはマシなような気がした。
「分かった、こっちへ来い」
「よし!頼むぞ。一か八かだ!」
「無謀なペンギンめ。行ってこい!」
ドーリンはラグナを投げ飛ばした。狙いは正確だった。
マンティスは全身を金属質な外皮で守っていたが、首のあたりに境目があり、ラグナはそこが狙い目だと思ったのだ。
そして、その思惑は正しかった。
ドーリンの投擲力により弾丸のように飛んでいったラグナはフリッパーに装着された刃で見事にマンティスの首を切断したのだ。
・・・しかし、マンティスは首を失った後も元気に動き回った。
「嘘だろ!?」とラグナ。
「マンティスは俺たちとは違うんだ!首切って死ぬ程度なら苦労はしない!」とドーリン。
だが、首を失ったことによる影響が全くないという訳ではなかった。
マンティスはやみくもに暴れまわっていた。
ラグナ達が見えていないようだった。
「あれなら勝ち目がある」
やみくもに振り回される鎌をよけて、ラグナはマンティスの足を斬り付けた。
マンティスの足元をちょこまかと動き回り、足を何度も斬りつけたのだ。
危険を冒したかいがあり、マンティスを転倒させることに成功したラグナは叫んだ。
「おっさん!」
その声はドーリンに向けられていた。
「くそう!あんなちび助に言われちゃしょうがない!」
ドーリンは倒れたマンティスに飛び掛かかって、銛を突き立て、銛が折れてしまうと、近くに落ちていた石を拾ってめちゃくちゃに殴りつけた。
ラグナは立ち上がろうとするマンティスの足を斬り付けて、マンティスが立ち上がろうとするのを阻止する。
怯えていた他の勇士たちも狂乱するかのような叫び声を上げて攻撃に参加する。
そんな攻撃を何度も繰り返し、ようやくマンティスは動かなくなった。
マンティスが機能を停止した後も攻撃は止むことなく、全員が疲れ果てるまで続けられた。
そして、我に返ったドーリンの次の一言でようやく攻撃が止んだ。
「・・・やった。仕留めた。マンティスを仕留めた。ワシらがマンティスを仕留めたんだ!」
ドーリンは疲れ果てていたが、そう叫んだ。
マンティスを倒すことがドーリンにとって憧れだったし、命が助かったので嬉しくて仕方ないようだった。
「聞いたほどじゃなかったな!マンティス」
ラグナも疲れ切って仰向けに倒れながら、そう叫んだ。
「この無鉄砲なペンギンめ!こんなのはたまたま運が良かっただけだ。のぼせ上るんじゃない!・・・だが、マンティスを倒したのは事実だ。凄いぞ!ひゃっほう!」
そして、ドーリンが浮かれてこんなことを言い出した。
「妻もワシの事を見直すだろうよ!」
ラグナはそれを聞いて苦笑いした。
ドーリンが銛の名手であることを知っているように、大変な恐妻家であることも知っていたからだ。
それと同時にマンティスに遭遇するまでのいきさつはどう説明するのだろうと思った。
まさか、自分を処刑するために遺跡領域に入った時に・・・なんて説明するわけにもいかないだろうし・・・。
そんなこと想像から、自分が処刑のためにここに連れてこられたという事を思い出す。
「逃げるには今しかない」と思ったラグナは浮かれている勇士たちを尻目にこっそりと立ち去ろうとした。
・・・しかし、起き上がって歩き出そうとしたラグナの首筋にナイフが突きつけられた。
「おい、どさくさに紛れて逃げようったって、そうはいかないぞ」
フォッグだった。
マンティスが猛威を振るっている時はどこかに隠れていたフォッグが現れて、ラグナにナイフを突きつけたのだ。
それに気付いたドーリンが困ったような表情でこう言った。
「おい、フォッグ、そいつを逃がしてやるわけにはいかないのか?ワシらの命の恩人だぞ?」
「黙れマヌケ!報酬の話はしただろうが!忘れたのか?」
「ワシは元々乗り気じゃなかったんだ。いくら領主の命令でも・・・報酬なんて要らん!そいつは死なせるには惜しい奴だ!」
「もういい!俺が殺る!元々、俺一人でも十分な仕事だったんだ!」
フォッグがナイフをラグナに突き立てようとした、その時、フォッグの背後で物音がした。
その音に反応し、振り返ろうとしたフォッグだったが、そうすることは出来なかった。
その前にフォッグは背後に現れた者の正体を知ることになる。
己に突き立てられた刃によって。
その刃はマンティスのものだった。
フォッグは突如現れたマンティスによって、背後から袈裟切りにされていたのだ。
肩口から腹部までバッサリと切られ、腹部から飛び出た刃をフォッグは見つめていた。
「なんだこれ、なんで?俺の腹から急に生えたみたいんだ。なんだこれ、熱い、痛っ?あ・・・」
その顛末をラグナとドーリンは言葉もなく見つめていた。
そして、勇士の一人が叫んだ。
「また出た!マンティスだあ!」
フォッグを切り捨て、マンティス達が現れ出でる。
しかも、今回現れたのは一匹だけではなかった。続々と現れたマンティスたちは全部で三匹だった。
明らかに致死量と分かる血を切り口と口から流しているフォッグが最後の言葉を吐いた。
「俺だけなんて冗談じゃねえ、みな、死ねばいい。みんな」
それを聞いたラグナは「それこそ冗談じゃない」と思ったが、フォッグが予想した通り、皆死ぬことになるという風にしか思えなかった。
なにせ、マンティスが三匹もいるのだ。
今度こそ逃げることも、抗うことも出来ない。そう思えて仕方なかった。
「ああ、助かると思ったのになあ・・・」
ドーリンも生きることを諦めているようだった。
ラグナ達が死神を見ているような気持ちでマンティスを成す術なく眺めていると、突如、マンティスたちが暗闇が包まれた。
マンティスだけでなく、生きている者も、死んでいる者も、森の草木も、等しく暗闇に溶けていった。
先ほどまで差していた月明かりが、厚い雲に遮られて真の闇が訪れたのだ。
何度か死の気配を感じたラグナ達にとってもこの恐怖は別格だった。
視界が闇に塗りつぶされた状態で音だけが頼りなのだが、耳に届くのは不吉なものばかりなのだ。
マンティスのガサガサと歩く音。
どうやらマンティスたちにとっては、この程度の闇は問題ではないらしく、迷いなく近づいてくるのが分かる。
そして、誰かが斬り殺されたときの断末魔の叫び声。
そんな死をもたらす音が徐々に近づいているのだ。
(死ぬのは怖くないと思ってたけど、こんな死に方・・・こんな死に方!!)
恐怖によって気が狂いそうだった。
(死にたくないけど、この状態で生殺しはもっと嫌だ!)
・・・しかし、死は訪れない。
(なんで殺さない?どうなっているんだ?)
暗闇によってか、それとも走馬燈効果なのか、時間の感覚も狂っていて、とても長く感じる。
そんな中、頼れるのは音だけだった。
ラグナは耳を澄ませる。
マンティスが着実に勇士たちの命を刈り取っていく音・・・。
恐怖によって過度な呼吸を繰り返す、ドーリンの荒い息遣い・・・。
限度を超えた恐怖によって失神し、誰かが倒れる音・・・。
(マンティスたちの音が確実に近づいている・・・。もう間もなくか・・・)
ラグナは覚悟を決めた。
死の瞬間を目の当たりにせずに済むのが、幸運なのか、それとも不幸なのか・・・。
そんな事をラグナは考えていた。
ドーリンも覚悟を決めたらしく、遺言めいた言葉をつぶやいている。
「誰でもいい。もし、生きて帰れたら、妻にワシは勇敢に戦ったと伝えてくれ。マンティスを一体仕留めたと・・・」
しかし、それを聞いた誰もが「誰も帰れはしないだろう」と思った。
ドーリンは気が高ぶっているらしく、最後の抵抗のために力を蓄えているようだった。
「かかってこい。かかってこいマンティス。簡単にはやられないぞ」
ドーリンがそう呟いた時、聞き覚えのない音がラグナの耳に入ってきた。
スルスル・・・でもなく、シュルルでもなく・・・。
でも、それは確実にラグナの方に近づいてきていた。
(これ以上、勘弁してくれ。変な音で恐怖を煽らないでくれ)
そして、不意に声がした。
聞き覚えのある声だ。
「こんなところで何やってんだ?」
その時、再び月明かりがラグナ達を照らした。
そこに立っていたのはシャドウウルフだった。謎の音の正体はシャドウウルフが影を渡るときの音だったのだ。
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