第15話
ハイエナは標的が消えていった湖面を憎々し気に睨み、何とかできないものかと思案したが、結局、諦める他なかった。
ハイエナは次に蓄積された怒りのはけ口を探した。
もちろん、その第一候補はレティだ。
ハイエナは振り返ってレティを睨みつけた。
「てめえのせいだぞ!どうしてくれんだ!?」
「レティですってば。さっき、自己紹介しましたよね?」
レティは抗議した。
妨害したのはハイエナに持ち掛けられた勝負に勝つためだし、その後、ペンギンから意識を逸らして逃がしてしまったのはハイエナの落ち度だ。
何よりラグナ達が逃げたとき、ハイエナの方がレティに近かったし、プロだったらそんなミスはしないはずだ。
なのに怒りを優先し、ペンギンを逃がした挙句、それを自分のせいだという。
・・・だが、それは気に入らないが無視できるレベルだった。
レティが何より気に入らないのは自己紹介したのに、相変わらず「てめえ」と呼ぶことだった。
だから、その事について抗議したのだ。
しかし、ハイエナははぐらかされたと受け取って、更に怒りを滾らせた。
「てめえの名前なんか知るか!代わりに死ね!」
怒りは既に限界を突破して殺意へと昇華された。
ハイエナは殺しの動作を開始した。
・・・だが、マグマのように燃え滾った怒りは、一瞬で冷や水を掛けられたかのように急速にしぼんでしまった。
それは、レティから発せられる冷たい気配をハイエナが感じ取ったからだ。
ハイエナに寒気をもたらしたのは、それだけではなかった。
・・・ハイエナの殺気を受け、レティはそれに対抗する処置をすでに終えていたのだ。
レティは一瞬でハイエナの背後に立ち、ハイエナの命を奪う準備を終えていた。
レティがその気なら、もうハイエナの命はなかっただろう。
そして、ハイエナが抵抗するそぶりを見せれば、次の瞬間、ハイエナの命は失われるだろう。
他ならぬハイエナの経験と勘が、それが揺るがざる事実だと告げていた。
「そういえば、魚って、食べるとき背中を割くやり方とお腹を割くやり方があるって聞いた事があります」
レティは何の気なしにそう言った。
たまたまここが湖のほとりで、ヨキが獲ってきた魚が散乱しているのを見て、何となくそう言っただけだった。
しかし、ハイエナには脅し文句に聞こえた
しかも奇妙で理解し難かった。
「・・・おまえ、殺した相手、食うのか?」
ハイエナは震え声でそう聞いた。
レティが突然、魚の捌き方について話したりするので、そんな風に思ったのだ。
「背骨に沿って刃を入れて、お前を魚のように捌いてやろうか → そして、刺身にして食ってやろうか」
という解釈だった。
「え・・・むりです!むりむり!私、人なんて食べませんよ。普通にニンジンとか好きだし」
レティはそう言って否定した。
そして、ハイエナから離れた。
ハイエナが変なことを言うので、気味悪がって離れた形だ。
傍から見たら奇妙な事を言っているのはレティなのだが、とにかくレティが離れたことでハイエナは死の恐怖という呪縛から逃れた。
「くそ・・・なんなんだ」
ハイエナは立て続けに理解できない事が起きて混乱していた。
レティが言う事も訳が分からないが、殺し屋として腕に自信のある自分が簡単に背後を取られ、死の恐怖で動けなくなったこと・・・。
それをこの間抜けそうなウサギが難なくやって見せたこと・・・。
そして何より、いつでも殺せるであろう自分をウサギがこうして解放したこと・・・。
理解し難いことは沢山あったが、口は一つだけなので、最も優先すべき質問を口にした。
「・・・殺す気は、ないのか」
「別にそっちにその気がないなら」
レティはあっけらかんとそう言った。
それを聞いてハイエナは溜息をついた。
死ぬかもしれないというストレスを溜息と共に吐き出すと、今度は凍りついていた怒りが蘇ってきた。
その怒りを消化すべく、ハイエナは殺し屋としての矜持を総動員させ、こう言った。
「・・・てめえのせいで失敗したって報告するからな」
「え、それは困ります。お給料、減らされちゃうかも」
「知るか!俺にだってペンギンなんかに逃げられたなんて言えば面子が丸つぶれだ!」
「うーん、別につぶれて困る面子なんてないと思いますけど・・・」
その時、恐る恐るフォッグがやって来た。
「おいキツネ。ペンギンが泳いで逃げた。探しに行くぞ」
「ええ!?」
「ところで逃げた先に心当たりはあるか?」
「いや・・・ないっす」
「役に立たない野郎め」
「それは、むしろ、あんたの方じゃ・・・」
「なんだって!?」
「・・・いや、何でもないっす」
ハイエナはイライラしながらフォッグとやり取りしていた。
きっと逃げたペンギンは見つからないだろう。
ハイエナの頭は怒りで煮えたぎっていた。
そして、その頭で自分が受けた屈辱や怒りを、目の前のキツネに押し付けられたら・・・と考えた。
熱くなった頭はすぐに答えを導きだした。
(俺たちはペンギンなんかに会わなかったことにすればいい)
案内役のフォッグは叱責を受けるだろうが、それもいい気味だ。
ハイエナは我ながら良い案だと満足そうに笑みを浮かべた。
ペンギンなんかのために面子をつぶさないで済むし、報酬も減らさずに済む。
それに、叱られたキツネを見るのも楽しみだ。
自分勝手な作戦を思いついたハイエナは、急に機嫌を直した。
「まあいい。ペンギン探しはもう止めだ。ひとまず領主の館に帰るぞ」
「いや、でも、領主様がなんと言うか・・・」
「いいから来い!」
そんな風にハイエナは強引にフォッグを連れて行ってしまった。
レティはそんな二人に何となくついていく。
そして、一度だけ振り返って「ラグナさん、かあ・・・」とラグナが去った後の湖を眺めた。
湖からザバッと現れるラグナとヨキ。
そこは飛び込んだ場所と対岸の波打ち際だった。
全速力で泳いだせいで息が切れて、喋ることも出来ず、二人ともその場に倒れこんだ。
息を整えたラグナが最初に発した言葉は「あいつら、なんなんだ」だった。
ラグナには殺し屋に狙われる心当たりは一切無かった。
だから、そんな疑問が口を突いて出た。
それに対し、ヨキは神妙な顔をしたまま、空を睨んでいた。
それはどうやら心当たりがあるかのような顔だった。
ラグナが不思議に思って、隣であおむけに倒れているヨキの顔を見る。
そして、その顔に何かしらの確信があることを悟った。
「ヨキ?アイツら、知ってるのか?」
「・・・いや、知らない奴らだ。だけど、たぶん・・・」
ヨキは言い淀んだ。
言おうか言うまいか悩んだ。
それを口にすれば、ラグナを傷つけてしまうだろうから。
けれど、それをはっきりさせないと、今後の行動に支障が出ると判断し、意を決して口を開いた。
「あいつら、たぶん、領主の手先だ。遠くにフォッグの姿もあった」
「・・・フォッグ!?」
それを聞いてラグナも確信を得た。
なにせ既に遺跡領域でフォッグのせいで命を落としかけたからだ。
ただ、ラグナはフォッグ個人がラグナの命を狙っている可能性も考えていた。
しかし、ヨキははっきりと領主の名を出した。
「なんで、領主がおれなんかのこと・・・」
「理由は知らん。だが・・・あの領主はペンギンを憎んでいる」
そんな馬鹿な・・・とラグナは思った。
たしかに領主の権力は絶大だが、この集落にも法がある。
「気に入らないから殺す」なんてことはあり得ない。リスクが大きすぎる。
しかし、ヨキはそう信じているようだった。
その目にはラグナの知らない確信があるようだった。
そして、それを口にするのを躊躇っているようでもあった。
「ヨキ、何か知ってるのか?」
ヨキは起き上がって溜息をついた。
ラグナもそれに倣う。
しばらく沈黙が続いた。
波の音だけが響く。
ヨキは確信の理由をラグナに告げる必要はないような気がしていた。
言わずとも、この後の行動に支障はない。
けれど、それを言わなければならない気もしていた。
そして、何より、ヨキがその事を吐き出したがっていた。
「・・・領主がペンギンを憎んでいる理由は分からないが、ラグナ、お前が勇士になると聞いた時、いつかはこうなる気がしていた」
それを聞いてラグナは驚いた。
それは自分だけでなく、ヨキの命をも脅かした原因は自分にあると言われた気がしたからだ。
だから、否定したかった。
それは憶測にすぎないだろう、と言いたかった。
「なんだよそれ!おれのせいで・・・おれが勇士になったから命を狙われるだって!?」
「落ち着けよ、ラグナ」
「勇士は・・・!おれは・・・何も悪いことなんて!」
「落ち着けって。そういうことじゃない。俺が今から話すのは・・・父さんの事だ」
取り乱していたラグナだったが次第に落ち着きを取り戻していった。
それは「父さん」というキーワードに気を引かれたからだった。
ヨキはラグナがいくら聞いても父の事を何も教えてくれなかった。
他の家族も父の話題になると痛ましい表情を浮かべ、口を噤んだ。
だから、ラグナは父のことを知りたがっていた。
「父さんが何だって?」
「・・・父さんも領主に殺された」
ラグナはやっぱりそうか・・・という顔をした。
父の死について何となく察しはついていた。
それにフォッグに命を狙われたとき、その裏で領主が糸を引いている気もしていた。
「驚かないんだな」
「・・・うん」
ラグナは頷いた。
だが、半信半疑な部分もあった。
首領はペンギンを憎んでるらしいが、そんな事で命を狙うなんて信じられなかった。
領主はこの集落の最高権力者ではあるが、この集落にも法がある。
むやみに誰かを殺せば、領主だって裁きは免れない。
・・・しかし、父の死という前例があるならば、領主のしわざだという疑いが深まることになる。
「確かなの?父さんを領主が殺したのって。証拠とか・・・」
「証拠はない。見つからなかった」
「じゃあ・・・」
「・・・父さんが死んだ前の日、父さんの仲間たちが領主の所に直談判しに行ったんだ。父さんを自分たちのまとめ役にしてくれって」
ラグナとヨキの父、ビヨルンには人望があった。
この集落ではペンギンが要職に就くことを禁じられていたが、例外として認めてもらうためにビヨルンの仲間たちは領主に直談判に行ったのだった。
ビヨルンはまとめ役に就くことを断ったのだが、仲間たちは良かれと思い、そして、領主が認めればビヨルンも快く引き受けてくれるだろうと思ったからだった。
だが、それは裏目に出た。
「そんなことで・・・」
ラグナが戸惑いを見せるとヨキは畳みかけるように言った。
「昔、向かいに住んでたロロの家のおじさんは商売が上手くいき始めた矢先に死んだ。偶然かと思ったけど、他にもたくさん例がある」
ヨキは確信をもって語気を強めた。
「ここじゃペンギンが何か上手いことをやると、そのペンギンは死ぬんだ」
ラグナは「そんな馬鹿な」と言いたかったが、それは口から出てこなかった。
ラグナの直感もヨキのいう事が正しいと告げている。
・・・だとすると、自分が勇士になったために平穏を壊してしまったのか。
しかも、自分だけでなくヨキにも被害を及ぼしてしまった。
そう考えだすと、急に怖くなってしまった。
ラグナが青ざめた顔をしていると、ヨキは弟の心情を察し、肩を叩いた。
ヨキが慰めるそぶりを見せると、ラグナは泣きそうになってしまった。
「ごめん、おれの、せいで」
ラグナはヨキに涙を見せまいとしながら、やっとの事でそう言った。
ヨキは「いいさ。気にするな」と言ったが、ラグナの方は納得できなかった。
「だって、ヨキはそれを知ってたから、勇士になるの反対してて、おれ、いう事、聞かなくて」
「そうだな。でも、俺も確信があったわけじゃないから、あまり強く止められなかった。ごめんな」
「でも、だって、おれがいう事、聞かなかったから・・・」
「いいから。それより、これから先の事を考えないと」
「・・・これから先?」
「そう。もうここには居られない。集落を出ていかなければ」
ラグナはそれを聞いて、さらに落ち込んだ。
集落を出ていくのは容易なことではない。
この辺りの環境は厳しい。だからこそ、人々を身を寄せ合って暮らしているのだ。
自分のせいで家族を過酷な環境に追い込むことになるという事がラグナの気持ちを落ち込ませたのだ。
だが、ヨキがそれを許さなかった。
落ち込んでいる場合ではない。と言わんばかりにラグナの背中を強く叩いた。
「おい、気にするな!いつかはこうなった」
ラグナはせき込みながら兄の顔を見た。
その表情から本心から言っているようだった。
「本当なら、その扉を開くのは俺のはずだったんだ。弟に先を越されるとは我ながら情けない!」
「え・・・?」
「意外そうな顔をするな。俺だって貧乏漁師のままでいいなんて思ってなかったぞ」
もちろんそれは、ラグナを慰めるための言葉だったが、全部が全部そうではなかった。
多分にヨキの本心が含まれていた。
「それにしても、お前は大したもんだ。さっきも助けられたし」
ヨキを助けたのは、正確にはレティなのだが、ヨキも必死な状況だったので正しく状況を把握しておらず、ラグナに助けられたと思っていた。
「・・・いや、それは、おれじゃなくて」
「とにかく、状況は否応なく変わる時がある。出来るだけ良い方に転ぶように最善を尽くさなきゃ」
ヨキはあえてラグナへの慰めの言葉をさっさと打ち切ってそう言った。
その目は真剣で、余裕がないことを訴えていた。
ヨキの視線と言葉に込められた感情をラグナも察し、クヨクヨしている場合じゃない。と気分を強制的に切り替えた。
「そうだね」
ラグナがそう言って立ち直った様子を見たヨキは満足そうに笑みを浮かべたが、それも一瞬だけで、すぐに厳しい表情に切り替えた。
「すぐに集落を出よう。皆に事情を説明しないといけない」
皆というのは家族の事だ。
母、祖母、そして弟たち。
誰も置いていけないし、犠牲にしたくない。
「皆を連れて、集落を出るんだ」
「もしかして、二手に分かれた方が良い?」
「そうだな。他の皆は家に帰ってる頃だけど、母さんはまだ職場だろう」
「じゃあ、おれが家に」
「いや、家には俺が行く。ラグナは母さんを」
「・・・わかった」
そう言いつつもラグナは不安そうだった。
家には領主の手先が待ち構えているんじゃないだろうか。
良くない想像が胸をざわつかせる。
家だけじゃなく、母の安否だって分からない。すでに領主に捕まっていたら・・・。
そんな恐怖に囚われつつあるラグナの背中をヨキが強く叩いた。
「待ち合わせは家にしよう。ここからだと櫓(やぐら)の方がちょっと遠いが、できるか?」
櫓は母の職場だ。
少しだけ涙目になっていたラグナも兄に「できるか?」と問われれば、その目を拭って「できる!」と応える他ない。
「じゃあ、家で」
「ああ、家で」
二人は短くそう言って、別々の方向に走っていった。
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