第14話

 突然の襲撃に先に反応したのはヨキだった。

ハイエナは既にナイフを抜いていて、殺気を剥き出しにしていたが、それでも咄嗟に敵だと認識し、対処するのは容易ではない。

そもそも普通に暮らしている者がそんな場面に遭遇すれば、冗談か何かだと思い、対処が遅れるのが普通だ。

しかし、ヨキはラグナを庇うようにして前に出て、更にハイエナの初撃を体当たりで逸らすことに成功した。

「なんだこいつ・・・!」

それに一番驚いたのはハイエナだった。

大抵の獲物は突然襲われれば、体が委縮し、自分がなぜ死ぬのかも理解できずに絶命するというのに、今回のターゲットはそうはならなかった。

(ただの獲物じゃねえってことか。戦い慣れている・・・?そもそも領主の依頼だ。簡単な仕事じゃねえってことか)

ハイエナは出鼻をくじかれたことで、警戒し、ペンギンを過大評価し始めた。

実のところ、ヨキが上手く対応できたのは、殆ど偶然のようなものだった。

破れかぶれの体当たりが良い結果を生んだだけで、戦い慣れてもいないし、特別な力があるわけでもなかった。

ただ、こう言う襲撃があるのではないかという予感だけはしていた。

だから、ラグナよりも早く行動できたという訳だった。

「おまえら・・・領主の差し金か?」

ヨキが問うと、ハイエナは「そうだ」と応えた。

嘘や誤魔化しは必要ない。ただ殺せばいいのだという決心の表れだった。

ハイエナの目が殺意で塗りつぶされていくのがヨキにも分かった。

「逃げろ!ラグナ!」

叶わないと知ったヨキがそう叫んだ。

ラグナもそれを理解し、走り出した。

 ラグナが走りながらヨキの方を見ると、ハイエナがヨキを追いかけていくところが見えた。

(どうする?戻ってヨキを助けた方が良いのか?それか、あのハイエナに声を掛けて気を逸らすか・・・?)

そんな事を考え、足の止まっているラグナの目の前にレティ現れた。

一度の跳躍でラグナの目の前に降り立ったレティは笑顔で挨拶をした。

「こんにちわ」

レティが優しそうに微笑んで挨拶した。

ラグナは一瞬、戸惑い、反射的に挨拶を返そうとした。

しかし、言葉が出なかった。

瞬間的に勘が働き、目の前のウサギが脅威的な存在であることを悟ったためだった。

あっちのハイエナが可愛く思えるくらい、こっちのウサギの方がえげつないハンターだと、ラグナの直感は告げていた。

 ラグナが臨戦態勢のまま固まっていると、レティは突然、こう言い始めた。

「始める前に戦いのルールを決めたいと思います」

ラグナが蛇に睨まれた蛙のように固まっていると、レティはそんなラグナに構わずルール説明を始めた。

「ええっと、あなたが死んだら、もちろんあなたの負けです。それで、どうしたらあなたの勝ちかというと、私がやる気を無くしたら、勝ちです」

ラグナはレティが何を言っているのか分からず、固まっている。

言っている意味は分かるが、その真意が分からないのだ。

レティの言葉に裏は無かったが、会ったばかりの相手が言うことを言葉通りには受け取れなかった。

「おれが何したら勝ちだって?」

「私が、あー、なんかもうやだなー、殺したくないなあーって思ったら、あなたの勝ちです」

改めて聞いても良く分からない。

「おれが逃げたり、あんたをやっつけたら勝ちとかじゃなくて?」

「? それはないと思いますけど」

レティはあまりに無邪気にそう答えた。

素直に自分があっけなく勝利するのが前提だと思っている顔だった。

ラグナはそれを聞いて一瞬カチンときたが、野生の勘が相変わらず警鐘を鳴らしているので納得せざるを得なかった。

それにそんな問答をしている間にもハイエナはヨキを追い詰めつつあるし、つまらないプライドにこだわっている場合ではなかった。

「・・・命乞いをしろって言うのか?」

「うーん、ちょっと違う気がしますけど・・・でも、可愛く言われたら効果あるかも、です」

「・・・見逃して、ほしい」

プライドが高いラグナには、これが精一杯だった。

「まじめにやってください。全然ダメです」

それに対し、レティは蹴りの一撃で応えた。

ラグナにとっては最大限努力していたのだが、ラグナの性格を知らないレティには努力の影すら見えなかった。

そして、ラグナが努力している間、レティが大人しく待っているというルールでもなかった。

レティは多少容赦しながらではあるが、ラグナの命を狙って攻撃を開始していた。

レティは銀色の足鎧(グリーブ)を履いていて、強靭な脚力と合わさって(レティが乗り気じゃなくても)一撃でラグナを昏倒させるのに十分な威力を持っていた。

足鎧は防御のためのものではなく、金属製の凶器なのだ。

その威力に怖気づくラグナ。

けれど、その目にヨキの姿が飛び込んでくる。

ヨキも必死に生きようとあがいている。ハイエナの凶刃に襲われ、血を流しながら。

その光景が目に入ってきた瞬間、ラグナはキレた。

何に腹を立てているのか分からないが、頭に血が上り、理性が吹っ飛んだ。

「やめた!」

そう言ったかと思うと、ラグナは反撃に転じ、レティに向かって突進した。

驚きながらも、避けるレティ。

「俺はやっぱり最後まで戦う・・・俺はラグナ!ビヨルンの子・・・そして、そこに居るヨキの弟だ!」

レティはその言葉に少なからず衝撃を受けた。

もちろんラグナの覚悟に感じ入ったのも確かだ。

だが、それは衝撃というほどではなかった。

彼女が大きく感情を揺さぶられたのは、ラグナの名を知ったという事だった。

唐突な自己紹介。それが彼女に大きな衝撃を与えたのだ。

仕事仲間(・・・仲間とはあまり思っていないけど)であるハイエナは未だ名前を知らない。

先ほど自分から名乗ってみたものの、案内役のキツネにも無視された。

レティは名前のやり取りにちょうど飢えていて、ラグナが偶然にそれを満たしたのだった。

それでレティは戦意を失った。

「わっ、私はレティです!」

レティにとっては必然な回答だったが、ラグナにとっては突然の名乗りだったので驚く。

一瞬、調子が狂うが、すぐに体勢を整えて攻撃を再開した。

「よろしく! ・・・そして、ごめんなさい!」

レティがそう言ったかと思うと、ラグナの視界が暗転した。


 ラグナは体に鋭い痛みを感じ、もしかして自分は死んでしまったのはないかと思った。

しかし、どうやらそうではないようだった。

ラグナは一瞬の間に自分に降りかかったことを思い返してみた。

覚えているのはレティの「ごめんなさい」という言葉と何か柔らかい感触、そして、その一瞬あとの衝撃・・・。

ラグナはその衝撃はレティに蹴られたものだと思ったが、少し事情が違うようだった。

それは自分が今置かれている状況を見て、そうだと分かった。

 ラグナが周りを見渡してみると、目の前にヨキと倒れているハイエナ。

そして、遠くにレティが居て、申し訳なさそうな顔をしている。

しばらく時間が必要だったが、その状況から、先ほどの一瞬で起きたことを理解した。

 ラグナはレティに飛ばされたのだ。

そして、飛ばされた先にハイエナが居て、その直撃を受けたハイエナは倒れている。という状況だ。

偶然そうなったのか?と思ったが、そうだとしたら不可解な点が一つあった。

それは「ごめんなさい」と、その後の柔らかい感触だ。

レティはサッカーボールをリフティングする時のように、そっと足の上にラグナを乗せたときの感触だ。

その後、レティはラグナを思い切り飛ばして、ハイエナにぶつけたわけだが、ハイエナにぶつけられるまでは痛みを一切感じることはなかった。

むしろ、優しく扱われた感覚すらあった。

もちろん、ハイエナにヒットした時の痛みは決して小さくはなかったが、もし、単にラグナを攻撃した結果、偶然にハイエナにぶつかったのなら、インパクトの瞬間のダメージも決して軽くはないはずだ。

「ラグナ、大丈夫か?」

ヨキが声を掛けてきた。彼も戸惑っているようだった。

「ああ、大丈夫。ヨキは?」

「俺も大丈夫だ。・・・でも、正直危なかった。もう駄目だ、と思ったとき、お前が飛んできたんだ」

ヨキのその言葉を聞いてラグナは驚きつつも、頭の中にあった仮説が正しいものに思えてきた。

レティは自分を飛ばしてヨキを助けたのだという仮説だ。

・・・それは、概ね当たっていたが、全部が正しいという訳ではなかった。

レティはヨキを助けようとしたのではなく、ハイエナがヨキを殺すのを防ぎたかったのだ。

そうしないと、ハイエナと事前に取り決めた勝負に負けてしまうから。

しかし、そんな事情を知らないラグナ達は戸惑うばかりだったが、いつまでもそうしているわけにいかなかった。

倒れていたハイエナが起き上がってきたのだ。

「・・・ちくしょう、なにが・・・」

後頭部にペンギンをぶつけられ、昏倒していたハイエナ。

彼も自分に何が起きたのか理解するのに数秒の時間が必要だった。

そして、理解できると怒りと共にナイフを握りなおした。

「てめえ!ウサギ!邪魔しやがったな!」

レティは邪魔してはいけないというルールではなかったよなー、と思いながら悪びれずに一応の「ごめんなさーい」をした。

それがハイエナの怒りに拍車をかける。

「てめえから殺してやろうか!この間抜けウサギがあ!」

レティもその言葉にはカチンときたらしく、こう返す。

「プロなんだから避けましょうよ。間抜けはそっちなのでは?」

「てめえ!よくも・・・!」

ハイエナが怒りで言葉を失い、手にしたナイフをレティに向ける。

 ラグナはそんな二人のやり取りを見ながら、まだ混乱していた。

ラグナはぶつけられた衝撃で頭がクラクラしていて「この二人はなぜ争っているのか」などと考えていた。

一方、ヨキの方は二人が争っている理由などには興味がなく、今しか逃げるチャンスがないと思い、弟の手を引っ張った。

「ラグナ!こっちだ!」

ヨキがラグナの手を引いて走った方向には湖があった。

得意の泳ぎで逃げ切ろうという算段だ。

「あ、逃げるみたいですよ?」

レティがそう言うと、ハイエナは我に返って「なに!?」と振り返った。

その時には既に遅く、ラグナとヨキは水しぶきを上げ、湖の中に逃れた後だった。

水の中のペンギンを追う術はハイエナには無く、レティには追う気が無かった。

こうしてラグナとヨキは窮地を脱した。

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