第25話 今やっと言うけれど

 高校の近所とはいっても、市街中心部からはやや外れているためか、ファミレスは結構空いていた。じきに夕食時になるが、立ち退きを要請される心配はなさそうだ。店の経営は心配になってくるが、俺の領分ではないのでドリンクバーの注文だけで遠慮なく居座らせてもらう。

 教科書、ノート、参考書をテーブル上に広く展開して、試験範囲を勉強していく。やはり環境は悪くない。自販機の駆動音が店内BGMに置き換わったくらいだ。気を抜くと時折、ついさっきの神子島とのやり取りが勝手に回想されて邪念が脳内をうろうろし始めるが、そいつらを適度に抹殺しつつペンを進める。概ね程よい集中力。客が来ないから人の動きも少なくて気が散らない――とか考えていたらうぐいすの鳴き声が入店を告げる。暇そうにテーブルを拭いて歩いていた店員さんが、パタパタと入り口へ向かう。


 顔を上げて見るともなしに見ると、俺と同じ高校の女子三人組だった。

 そのうちひとりは八瀬さんだった。


「…………」反射的に顔を下げて見なかった振りをしてしまう。人付き合い下級者のさがだ。見られてなければいいのだが。

 偶然出くわした、ということよりも、一旦気付いてから気付かなかったふりをした、ということを捉えられることの方が気まずい。

 全席禁煙、などという説明の後、店員さんが客三人を席へ案内する――のはいいのだが、どうしてこっちの方に来る。店内ガラガラなんだぞ。

 なんでだ、と顔を上げると折悪おりあしく今度こそ八瀬さんとばっちり目が合ってしまった。

「…………」向こうも気付いて軽い会釈。もう無視するわけにもいかないからこちらも会釈。

 そして店員は俺の真後ろを案内しやがった。

「あ、それじゃああたし、こっち座るね」

 八瀬さんの声。次いで、俺の椅子の背もたれがわずかに揺れる――どうやら俺と背中合わせの席に座ったようだ。そう? などという声の響きから、他ふたりは向かい側に座ったらしい。全員がドリンクバーのみを注文して、店員が立ち去るのを待たずあれこれと喋り始めた。勉強しにきたというわけではないようだ。

 一気に局地的に騒がしくなる……もしかして、勉強に集中できなくすることで暗に立ち退きを要求されているのだろうか。


 ふ。

 そう易々やすやすと屈すると思うてか。


 俺はむしろ深々と腰を据えてペンを走らせ、背後の女子高生らはガールズトークに花を咲かせる。聞く耳を立てずとも勝手に聞こえてくるのだということを先に断っておくが、結構ディープな話題が多くて控えめに言って女子って怖え。そんな世間話より試験勉強しろよ、と俺は言いたいがあんな連中でも俺より成績は優秀だったりするのだから世の中は儚い。

 八瀬さんはというと、背後の俺を気にしているのか口数が少ないようだ。もっとも、空気が悪いというわけではない。しかし。

 どうやら向こうは気付いていなかったが、あのふたり……ふうん。


 そのまま、三十分ほど経った頃にふたりが立ち上がった。ちょっとトイレ、と立ち去っていく。背後の席には八瀬さんだけが残されて、店内が一気に静かになる。今が好機とばかりに俺はいよいよ教科書に前のめりに「ねえ、御社みやしろくん」はい?


 思わず顔を上げる。誰だ。いや後ろの八瀬さんしかいないんだけどな。

 お互い、振り返らない。声だけが聞こえる。


「今日はここで勉強してるんだ」

「ああ、まあ。学校はもう閉まってるし、家じゃ集中できないし。八瀬さんは、勉強は?」

「あたしは帰ってからするんだー」

 さいですか。

 相槌を打って、口を閉じる。沈黙。あのふたりはまだ戻らない。


「……ねえ、御社くん」

 静かに、恐る恐る、といった調子で八瀬さんが言った。この声音は、今までも何度か聞いている。

「なに?」


 応じるも、今までは続きがあったためしがない。今回もそうなのかなと思ったが、どうやら違った。

「体育祭のこと、なんだけど……その、ありがとう」

「へ?」


 背中合わせのままだから、八瀬さんの顔は見えない。しかし、なぜ礼を?

 首を傾げていると、八瀬さんは、あのね、と、

「レーカちゃんがLHRロングホームルームで言ってた、あの作戦。優勝する必要はなくて、少なくとも勝ったら楽しい、って。あれ、考えてくれたの御社くんなんだよね」

「…………」


 どうしてそれを。いや、どうしてもどうやっても、それを知っている奴はひとりしかいなかったんだが。

「レーカちゃんが教えてくれたの。はるかちゃんにお礼言っておきなさいって」

 それは結構だがあいつが俺のこと陰で陽ちゃんと呼んでいるなら大問題だな。

「今までもね、何度もお礼、言おうとしたんだけど、なんか恥ずかしくって……」

 ああ、そういうことだったのか。何度となく俺のところに来てもじもじしては帰って行ったあれは。ふう、危ない危ない。

「危うく俺の服のセンスでも悪いのかと勘違いするところだったぜ」

「いや、それは結構悪いと思う」

「あっれーこれ制服なんだけどな!?」

 俺のセンス違うよ。学校のセンスだよ。センスもなにも、ワイシャツとズボンなんだが。

 ふふ、と小さく笑う声が聞こえた。

「レーカちゃんが、御社くんは話してみれば結構面白いって言ってたんだけど、ほんとだね」

「そうかね……『面白いね』って感想を面と向かって述べられる奴って、大概本当は面白くないんだが」

 褒めるところがないから苦し紛れに言いました、って奴だ。優しいね、というのも類義語。逆に、本当に面白い奴は面と向かって面白いと評されることはない。ここテストに出ます。

「え、そうかな。じゃあ言わない方がよかったのかな」

「気にしないでくれ、戯言ざれごとだから。……お礼っていうのも、別にいいよ。神子島になんて聞いたか知らないけど、俺は別になにもしてないから」

 左手で頬杖をつき、右手でペンをくるくる回す。

「俺はせっせと背景を塗ってただけで、舞台にいたのは俺以外の連中だ」

「うん、レーカちゃんも、御社くんはそう言うだろうって言ってたよ。考えた作戦を自分で言わなかったのも、御社くんがシャイボーイだからって」

「よ、読まれてたのか……し、シャイボーイとか、ちげーし、奥ゆかしいだけだし」

「あ、その、シャイボーイって言ったのはあたしのオブラートで、レーカちゃんは『あの骨なしチキン野郎』ってはっきり言ってたよ」

「はっきり言い過ぎだよ!」

 そのまま包みっぱなしでよかったよ。くそ、今に飛び立って、もとい這いずり回ってやるからな。


 ……とにかく。


「あのふたり」

「え?」

「仲直り、したんだな」


 ああ、と頷く気配がする。

 八瀬さんが一緒に入ってきた女子ふたり。あれは、確か陸上部のふたりだったはずだ。体育祭の選手を決める前に、談話室で八瀬さんを言い負かしていたふたり。

 この体育祭に関わる一連の、その引き金となったふたりだ。そんなふたりと、こうして一緒に談笑しているということは、

「うん……体育祭ね、ふたりのいたクラスに勝ってたんだ。それで、やればできるじゃん、とかって。二年近く冷たかったことも、謝ってくれたの」

 そっか、と俺の返事は短い。愛想が悪いのは承知だが、こういうのに慣れてないんだから大目に見てほしい。


「全部、御社くんのお陰だよ」

「……いや、それは」


 違うよ、と否定する。だから、俺はなにもしていない。

「俺がなにかしたからとかじゃなくて、八瀬さんが頑張ったから、結果になったんだろ。だから、別に俺に感謝とかする必要はないよ。ただ自分を誇りに思っていればいい」

「そう、かな」

「そうさ」


 事実としてそうだし、まさかないとは思うが、今後の俺を過大評価してほしくもないからな。また背景に埋没していくつもりなのだから、そもそもこうして八瀬さんに認識されていること自体がいっそ失態なのだ。感謝なんか適当にして、さっさと忘れてもらいたい。


 八瀬さんはちょっと迷っていたようだったが、やがて「うん」と頷いた。

「でも、お礼は言わせて。――助けてくれて、ありがとう」

「……おう」

 ――助けてくれて、か。

 頬を掻いているのは別に痒いからじゃない。あのふたり、早く戻って来いよ。そろそろ気まずいぞ。


「体育祭、御社くんかっこよかったね。二種目も一位だったもんね。誰も御社くんの話はしないんだけど」

「……そりゃあ、俺は影が薄いからな。タイミングもタイミングだったし」砲丸投げはもともと地味で、千五百はゲロっている間に主人公たちが百メートルを優勝してたからな。

「誰も見てないし、誰も覚えちゃいないのさ」

「でもあたしは見てたし、覚えてるよ」

「……さいですか。あー、八瀬さんだって二百で三位だったよな。俺も見てたけど、根性あるなーって……」

 なんだ。既視感が。落ち着け、これはフラグじゃない。俺の人生に死亡フラグ以外のフラグが立ってたまるか。それはそれでどんな人生だ。「あのさ、御社くん」なんですか。

「その、あのね……あたしのこと、呼び捨てにしてくれてもいいよ……というか、してほしいかなあ、って」

「え?」

「あ、ほら、レーカちゃんのことは『神子島みこしま』って呼び捨てじゃん? だから、あたしにもそうしてほしいというか、絶対無理だけどちょっとくらいレーカちゃんに並びたいというか……」

 えーっと、なんだろう。俺はジェントルだからガールズトークの呼吸ってわからないんだよね「え、ジェントル?」「本気で首を傾げるんじゃない」いや、でもついさっきそれこそ神子島に、呼び名の幻想をぶち殺された後だし、深い意味はない、よな?


「別に、いいけど」

「そっか、わかった。ありがとう!」


 声だけだが、妙に嬉しそうだ。そんなにこだわることなのかなー……?

 まあ、もう話すこともないだろうから、気にすることなんかないよネ!

「修学旅行とか文化祭とかまだあるし、いっぱい楽しもうね!」

「いやいやいやいや、確かにあるけど、楽しむのも結構だけれど、俺ってそういうイベントは慎重派なんだからね? 今回みたいな行動はもうしないんだからね?」

 活躍というか暗躍だったが。しかし全力の否定に、八瀬さん……八瀬は明らかに残念そうにトーンを下げて、

「しないの……?」

「……う、うん。しないよ」

 そういう場面に陥ることから避けなきゃいけないんだから、とか言うと神子島のアンチヒーロー説を認めるようでしゃくだが。そう何度も背景担当が舞台に手を出すようなことがあってはならなかろう。ましてやうちのクラスの舞台には、人材が豊富なんだから。

 しかしそうは言うものの。


「……まあ、ちょっとくらいなら、またそういうことをすることもなきにしもあらずかも」

 どっちなんだと我ながら突っ込みたくなるくらい曖昧に濁しているが、しかし八瀬(言い慣れない)は前向きに取ったらしい。

「よかった! 楽しみにしてるね!」

 それは勘弁して下さい。


 ようやくトイレあたりからあのふたりが出てきた。ふたりで行ったから長かったのか。女子のトイレを斟酌しんしゃくすると天誅てんちゅうが下りそうなのでやめにしておく。とにかく俺はそれを機に、テーブルに広げていたあれこれを手早くまとめて鞄に突っ込み、立ち上がった。

「あれ、帰っちゃうの?」

 立ち上がった俺に、振り返って八瀬(まだ口かゆい)が問う。うん、と頷くと、「うるさかった?」と不安げな顔になるが、俺は首を振り、

「そろそろ晩飯だから帰らないと」

「ファミレスにいるのに家に帰ってから食べるんだ……」

「母親が怒るんだよ。私のメシが食えないのか! って」

 冗談めかしているが半分事実だ。ともかくも、それで八瀬(……よし)は小さく笑ってくれた。


「それじゃあ……またね」

「…………」


 ちょっと驚いて八瀬を見下ろす。けれどすぐにあのふたりが戻ってきてしまうから、俺は早々に頷いて目線を切った。


「ああ、また」

 また、と。

 誰かに言うことなんて滅多にないから、戸惑ってしまった。一応神子島に言うことはあるが、神子島とは一応中学からの付き合いがあるからな。


 なんとなく新鮮で。

 ちょっとだけ痒かった。


 陸上部のふたりとすれ違い、レジへ向かう。会計を済ませる間に、すぐにまたあのガールズトークが華やいでいた。楽しそうに談笑する八瀬を視界の隅に捉えながら、俺は店を出る。


 じゃあ、また。

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