第24話 今だから言うけれど

 体育祭の翌週から、すぐに中間考査の準備期間になる。考査が全て終わるまでの二週間、部活動は強制活動停止で、学校もいつもより早く閉まる。

 家では勉強できない俺は、今日はどこで勉強するかなあと思案しながら鞄に物を詰め込んでいた。帰りのホームルーム終了後。俺は掃除当番に当たっていないから、終わればすぐに直帰できる。


 この二、三日は市立図書館で勉強していたのだが、あそこはちょっと静かすぎるんだよな。

 ファミレスかな。


 そんなことを思いながら立ち上がり、鞄を肩にかけ、誰に声をかけることもしないで教室を出「御社みやしろくん、ちょっと」なんですか。

 振り返ると、神子島みこしまだった。まあ、俺に声をかける奴なんて神子島くらいしかいないからな。でも神子島だって、談話室以外では滅多に話しかけてこないから、教室で神子島の顔を見るのは新鮮だ。


「んー?」

「体育祭の集合写真、届いたから、みんなに配っているの。あなた、昼休みはずっといないし、放課後はすぐに帰っちゃうからなかなか捕まらないのよね」


 ああ、そういうこと。いつも弁当は昼休み前に食ってしまって、昼休みは校内をうろうろして過ごしてるからな……いや、違うから。便所飯じゃないから。早弁だから。


 しかし、集合写真か。

 それ、俺は受け取っても仕方ないんだよなあ……。


「……まあ、ありがとう」

 と、受け取ろうと伸ばした手から、ひょいっと写真にかわされた。神子島が避けたのだ。

「あの?」

「あなた、この写真、写ってないでしょ」

「…………」バレてましたか。


 頬を掻きながら、弁解するように言う。「いや、ほら、写真ってさ、撮られたら魂取られるんだぜ。怖いじゃん。長生きしたいじゃん」

「なにをあなたは、そんな老人のようなことを……」

 いくつよ、と呆れ顔の神子島。当年とって十八です。


 精いっぱいの愛想笑いを張り付ける俺に、神子島は深々とため息をつく。それから、教室前方、黒板横の掲示板へ視線を向けて、

「あなた、あれだけ頑張っていたのだから、今回くらいはちゃんと写ればよかったのに」


 神子島の視線の先、そこに張り付けてあるのは、一枚の厚手の紙。

 体育祭の表彰状だ。

 記載してある順位は、総合二位。


「いや……俺は別に、大したことはしてないし」

「どの口でそんなことを言うのやら。私と竜賢たつまさくん以外に、このクラスで個人種目で一位に入っているのはあなただけよ。それも、砲丸投げと千五百メートルの二種目で。名誉でしょうに」

 んー……どうなんだろうな。

 いや、さ。クラス総合二位という快挙のインパクトが大きいから、俺の健闘とかかすんでて、ほとんど誰にも祝われてないんだよね。いや、別に褒めてほしいってわけじゃないんだけどさ。

 神子島と、八瀬さんと……ああ、あと堂島からも一言受けた。


『君を見くびっていた。この間は……悪かったよ』

 すっげー悔しそうな顔だったけどな。


 曖昧に笑う俺に、まあいいわ、と肩をすくめながらようやく写真を渡す。

「御社くんは、このまま帰るの?」

「あー、いや、近所のファミレスに行くよ。そこで勉強する」

「そう……それじゃあ、校門まで一緒に行きましょうか」

 神子島も掃除当番ではないらしい。鞄を提げた神子島と並んで教室を出る。


 三年生のフロアは三階、生徒玄関は階段を下りてすぐだ。タン、タンと階段を下りながら、それにしても、と、

「集合写真で、そこにいるのに写ってない人がいるなんて、信じられないわね」

「いやいや、これが画期的な方法なんだぜ。休んでないからすみにひとりだけ顔写真を乗っけられることもないし、出席はカウントされていてその場にはいるから写ってなくても誰も気が付かない」

「私は気付いたわよ」

「どうして気付かれたのか謎だな。不覚だ」

「探したからに決まっているでしょ」

 ……え、なんで? 探したの?

 そっと横顔を窺うも、例によっての鉄面皮だ。なんの感情も窺い知れない。


「実際、どうやったの? 列には並んでたわよね。一番後ろの列。そこまでは見てたのよ」

「ああそれな。最後列っていうところがポイントなんだ。カメラマンがファインダーを覗き込むだろ。その瞬間にそっとしゃがむんだな。周りの連中は自分の写りをよくするのに夢中で、もともと影の薄い俺がそんなことをしているのには全く気付かないんだ。まさにコペルニクスの卵、コロンブス的回転だろ」

「コロンブスの卵、コペルニクス的転回でしょ。あれもこれも逆じゃないの……そもそも、このタイミングで使って合ってるのかしら」

 わざと間違えたんだよ……ウィットに富んだジョークだよ。そんな、汚いものを見るような目で見るなよ。


「ああ、そういえば。今だから言うのだけれど」

 生徒玄関まで下りたところで、ふと神子島が言った。俺も靴を履き替えながら、なんだよ、と返す。神子島はさらっと、


「あなたを体育祭実行委員に推薦したの、実は私なのよね」

「なんですと!」

 お前だったのか!

 なんて迷惑な!


 下駄箱に突っ込みかけてた靴があらぬ方向へ飛んでいった。今だから、とか、まだ全然時効には早いだろうが。唖然とした顔で見ると、神子島は、なによ、と、

「文句でも言いたそうな顔ね」

おうともよ! おかしいとは思ってたんだ、顔も名前も憶えられてない奴が、どうして役職に就けられてるのかって……そういうことだったのか」

 ただでさえ「空気」な奴が、休んでいて教室に実在さえしていないのでは、忘殺されたまま名前の挙がるわけがない。

「なんでそんなことを」

「だって、そうでもしないと、あなたは体育祭をまた適当に受け流そうとするでしょう」

 俺の反応が不本意だったのか、ちょっと唇を尖らせながら神子島は言う。そりゃあ、まあ。

「別にいいだろ。受け流しても」

「よくないわよ。高校生活最後の体育祭よ? これを逃したら、あなたは高校生活に一抹の思い出もないままに卒業することになるのよ。そんなことになったら、どうなるかわかってる? 十年後、二十年後、末期まつごになって自分の一生を振り返ろうとしても、『なにもない人生だった』って独りベッドで涙することになるのよ」

 地味に嫌な未来図を描いてくれるなよ……看取みとってくれる人もいないとか、的確過ぎるだろ。


「で、でも、高校生活が人生の思い出の全てってわけでもないだろ」

「あら、私は『これを逃したら』って言ったはずよ。いい? 高校生といえば、人生で最も輝いている花の青春時代よ。ここで輝くことをサボったら、一体いつ輝けるの? 小学校でも中学校でもろくな思い出を得られなかったあなたにとっては、これが最後のチャンスなの。言ってみれば、私はあなたの人生をプロデュースしてあげたのよ。感謝してほしいわね」

 アンタが俺のプロデューサー? ……いや、よくないかな……。

 こっちが蒼くなるっつーの。

「べ、別に体育祭で終わりってわけじゃないし。まだ文化祭だってあるし」

「なにを言っているの。春の体育祭をぼんやりと過ごしたのに、どうして夏の文化祭では熱意が湧けると? 結果的に体育祭には参加できたから、まだ文化祭も参加できる可能性が残ったけれど、これをもしおろそかにしていればあなたは孤独死ルートまっしぐらよ。私のお陰でまぬがれたわけだけれど。私のお陰で免れたわけだけれど」

「二回言わなくていい……」

「大事なことだから二回言いました」

 やかましい。


 吹っ飛ばしていた上靴をようやく下駄箱に納め、俺と神子島は連れ立って生徒玄関を出る。まだ掃除中だから、喧噪は校舎の中だ。

 校門へ向けて歩き出しながら、俺は口を曲げる。

「別にいいだろ……俺はああいう青春イベントは性に合わないんだよ」

「いるわよねえ、そうやって斜に構えていた風なことを言う男子。中二病をまだ引きずっているの? 友達も恋人も作らない。人間強度が下がるから、とか?」

「く……この高潔にして冷血にして氷結の女王め……」

 ここぞとばかりにさげすむような顔をしやがる。けっ。


「まあ、リア充にはわかんねえよな。孤独を謳歌する喜びは」

「確かにわからないわね。私、友達百人でおにぎり食べられるから」

「ちなみに俺はリア充という言葉を初めて見たとき『リアみつる』と読んで大いに首をひねっていたことがある」

「友達がいないから誰にも訊けなかったのね……」

 だって、ほら、かの少年野球漫画原作者の大先生みたいじゃん? 綺麗だろ? 死んでるんだぜ?

 正しくは『リアじゅう』。

「お前なんかは友達もたくさんいて恋人もいて、さぞかしリアルが充実していることだろう。だがお前らリア充に物申したい。その程度で充実できるリアルなんて安っぽいとな!」

「また中二病くさいことを。目の焦点が合ってないわよ……それと、恋人?」


 聞き捨てならない、とばかりに眉根を寄せて俺の顔をにらむ。「……ねえ、私、前々から思ってたのだけれど、あなた多分、もの凄い勘違いをしているわよ」

 は、勘違い? なんの話だ。俺のクラスでの存在感の話か? 実は空気どころか実在すらしていないとか、名簿にすら載ってないとか?

「自分の実在に自信なさすぎでしょう。どうしてそんなに卑屈なのよ。あなた体育祭実行委員に名前が載っていたんでしょうが……」あのねえ、と神子島は吐息交じりに言う。「私の恋人がどうとかいう話。あなたもしかして、私に彼氏がいるとか思ってるんじゃないの?」

「そりゃあ、堂島だろ」


 言うと、神子島はなんとも言い難い表情になった。苦笑と呆れと非難をブレンドした感じ。

 あれ、違うの?


竜賢たつまさくんねえ……」やや遠い目になりながら神子島は言う。「あなたの口の堅さを信じて、というよりあなたの話し相手のいなさを確信して話してしまうけれど、実は私、竜賢くんに告白されたことがあるの。一年生の夏頃だったかしら」

 話し相手のいなさは大きなお世話だが。へえ、堂島からだったのか……ん?


「お断りしたわ。きっぱりと」

「え、断ったの? なんで」


 あんな高スペック男子、そうはいないだろう。ギャルゲーなら間違いなく主人公で、ハーレムエンドも容易にして、神子島はクーデレ属性メインヒロイン枠で攻略対象に違いないのに、まさか主人公をフるヒロインが存在しようとは……まさかこの世界はギャルゲーではなく乙女ゲーだったのか? 本気で驚く俺に対し、神子島はなんだかますます不機嫌になっていく。


「どうしてもなにも。私、好きな人がいるもの」

「……………………え」


 反応に今までで一番時間がかかった。

 へ、へえ……そうなんだあ。じゃあここでガールズトークっぽく「え、だれだれ?」とか軽快に訊くことが俺にできるわけがねえそもそも俺ガールじゃねーしジェントルだし「紳士って顔じゃないわよねえ」うるせえ俺のテンパりを読むなというか顔で断定するな。


「す、好きな人、いるんだ」

「ええ。中学生の頃からずっと。今でも好きよ」


 ふうん、ち、中学生からね。誰だろう。俺の知ってる奴かな。ああでも、今より多少広くても俺の交友範囲は部活限定だった。神子島の人間関係なんて知らねえ……こら、そこ! 脳内右から四番目の俺! 自意識を過剰にしない! 学習しろ!

 というか、そんなことをカミングアウトされても俺はどう反応すればいいと。少なくとも、そういうことを教えられるということは、俺は神子島にとってどうでもいい、眼中にない安全牌だってことはわかったんだが。

 本命に対して私好きな人いるんだよねとか言う奴なんて、いないもんな。

 …………。

 いや、別に、何もないよ。


「と、とりあえず堂島じゃないんだ……」

「ええ。逆に私としては、そもそもあなたがどうしてそんな勘違いをしていたのか、聞かせてもらいたいところだけれど」

 どうしてもなにも。

「だってお前ら、名前で呼び合ってるじゃん。それって仲がいいってことだろ」

 神子島は堂島を「竜賢くん」と呼ぶし、堂島だって「玲花れいか」とか呼び捨てだ。それを聞くにつけお熱いことでと内心に冷やかしていたものだったのだけれど。

 ……うわ、神子島が「キクラゲってクラゲだよね」とか言った馬鹿に向けるような顔に。


「それだけ?」

「え、うん。それだけ」

「あなたねえ……」説明するのも億劫おっくう、と言いたげに額を押さえ、「どこから正せばいいのか悩ましいけれど、とりあえずまずはそのふざけた幻想をぶち殺すわ」ぐっと右手を握る。

 え、な、殴るの? 顔面を?

 母さんにしか殴られたことないのに!


「ち、違うの? 仲良くなったら名前で呼び合うものじゃないの?」童貞の願望ですか?

「そこは別に間違ってないわ。ただ、恋人同士でなくたって名前では呼び合うでしょ。女の子同士だって普通だし、男子だってそういう人たちはいるでしょう」

 それは、まあ……姓が呼びにくいおんの奴なんかは、男子でも名前で呼ばれてるけど。

 どちらも読みにくく呼びにくい俺の場合、そもそも覚えられてないから呼ばれないけど。


「でも男女間だと……」

「割と普通よ。友達のいないあなたにはそういう文化がないのでしょうけれど、例えばそれこそたつ……堂島くんは友達が多いし気さくだから、男女問わず名前で呼んでるわね」

 無理して姓で呼ばなくていいよ。ついでに自然な流れで俺をディスるなよ。

「いや待てよ。堂島がお前を名前で呼ぶのはわかったよ。でもお前が堂島を名前で呼ぶ理由にはなってないだろ」

 神子島はこれでいてどういうわけか人望がある奴だが、誰とでも率先して仲良くするタイプではないはず。気さく、などからは程遠い性格だ。同性の八瀬さんのことだって、神子島はずっと「八瀬さん」と呼んでいたはずだし。


 まあね、と神子島はあっさり頷いた。

「結論を言ってしまうと、陸上部のルールなのよ」

「陸上部の? ……なにが?」

「だから、名前呼び。うちの陸上部は代々、全員がお互いを名前で呼び合う決まりなの。早く打ちとけるためとか、親近感を強く持てるようにとか考えられるけれど、まあ他愛もないルールよね」

 ……それは、つまり。

「私もそのルールに従っているだけ。だから陸上部員に対しては男女問わず、私だって名前で呼んでいるわ。それ以外の理由はないし、他意もない」

 へ、へえ……そうだったんだあ。こりゃあ、恥ずかしい勘違いをしてたなあ……三年近く。


 ふと気が付くと、神子島がにやにやしながら俺を見上げるように覗き込んでいる。

「なに、もしかして妬いてたの?」

「ファ!? そそそそんなわけななないだろ俺がどうして妬くっていうのでありまするか」

 動揺しまくりだった。畜生、こんなときだけ笑顔を見せるんじゃねえ。

「ふふ、いいのよ妬いても。私は寛大だから許可してあげる」

「だから、別に妬いてないって」

「あら、そう。なんなら、あなたも私のことを名前で呼んでくれてもいいのよ」

 ……え。

「いやいや、別に理由がないだろ。俺は陸上部じゃないし」

「理由が必要なのかしら。特別に許してあげるのよ? ――その代わり、私もあなたを名前で呼ぶけど」

「それは即却下だな!」却下だ却下! ド却下だ!

「あら、遠慮しないでいいのよはるかちゃん。羨ましかったんでしょう陽ちゃん。ねえ陽ちゃん」

「勘弁して下さいっ!」

 なんつー楽しそうな笑顔で人の気にしているところを連呼しやがる。サディストめ。

「くそ、それなら俺だって呼んでやるぞ。この、れ、れい、れい……」

「え、なに? よく聞こえないわね」

「れい、れ、玲花――様」

 は、と神子島は半目になった。

「踏んであげましょうか?」

「やかましいわ」

 軽口叩きながらも、神子島はほんのり頬を染めながら顔を逸らしている。お前だって照れてるんじゃねえか。


 というか、この会話がもうなんかかゆくなってくる会話だった。なにを阿呆なことばかり言っているんだか。まだ人の少ない時間帯でよかった。絶対に聞かれたくないやり取り。

 もうどうしようもなく、ぞわぞわする。

 アオハルかよ。


「っあーやめだやめ。やってられん」

 ようやく校門までたどり着いたところで、びっと神子島を指さす。

「名前を呼ぶだけでこんな葛藤とかしたくない。俺は今後もお前を神子島って呼ぶからな」

「そう、まあいいけど。私は陽ちゃんって呼ぶから」

「それも勘弁して下さい」ちゃん付けとかマジで勘弁。

 顔を見合わせて、ふ、とどちらからともなく笑った。お互いの行く方へ半身向く。神子島は家へ、俺は近所のファミレスへ。方向は逆で、同行二人どうぎょうににんもここまでだ。


「さて、それじゃあここでお別れなわけだけれど……御社くん。最後に、どうかしら」

「なんスかね」


 神子島の悪戯いたずらっぽい笑みは、俺をからかう前振りだ。だから身構えると、案の定神子島は例によっていかにも軽く、

「三年目にしてようやく私がフリーだということがわかった御社くん。二年間ずっと鬱屈うっくつとした高校生活を送ってきた御社くん」大きなお世話だ。「ところでそろそろ、青春してみたいと思ったり、しないかしら?」


 ……ええと。


 発言の意図をはかりかねて、思わずまじまじと神子島の顔を見つめてしまった。神子島は俺の視線を真っ向から堂々と受け止め――ていたのは初めの五秒だけで、すいっと顔をそらす。笑みのままだが、口角が引きつっている。

 ええと。これはつまり……その、いやいや。

 落ち着け俺。動揺するな。高揚するな。しずまれ脳内会議。これは違うから。そういうのじゃないから。勘違いして痛い目見るだけだから。

 なにより、ほら。


「青春……青春、は」はは、と笑う。「俺の手には負えないよなあ」

 俺の言葉に怪訝けげんそうな顔になる神子島へ、言う。

「友達がたくさんいるとか、恋人がいるとか、そういうのがきっと青春なんだろうな。イベントなんかで中心にいて楽しく盛り上がる。それが青春だよ。けどそういうのって、俺には身に余る。そういう青春っていうのは、主人公が経験するものだ」


 でも俺は主人公じゃない。


「友達や恋人が青春の全てじゃない。というか、俺にとってそれは青春じゃない。他の呼び方はわからないけど、とにかく違う。俺にとってのそれというのは、もっと泥臭くて、陰気で、目立たなくて、報われなくて、舞台に背を向けてひたすら背景を塗っていくようなものなんだ」

 背景がスポットライトに憧れてはいけない。そんなことをすれば、必ず手痛いしっぺ返しが来る。

「だから俺は、今までのままでいい。これが俺の青春だから」

 甘酸っぱさから甘さを百パーセント抽出して残った方。それが俺の青春。

 アオハルじゃない。


 俺の言葉を聞いた神子島は。また軽口のひとつでも寄越すか、説教でもしてくると思ったのだが、しかしそのどちらでもなかった。

「――まあ、そう言うだろうと思ったわ。今はまだ、ね」

 苦笑して、緩く首を振る。ちぇ、なんだよ。わかってたんなら訊くなよ。こういうことを真面目に言うのって、結構恥ずかしいんだぞ。

 内心ちょっとやさぐれる俺だったが、しかし神子島の言葉にはまだ続きがあった。

 でも、と。

「今回の体育祭は、あなたのその青春観から随分と逸脱していたように思われるけれど? 大活躍だったじゃないの」

「あれは……」大活躍だったかはともかく、逸脱していたのは否定できない。「あれは、だから例外だよ。あんなのは青春じゃない。たまたま上手くいっただけだ」

「そうかもね。偶然上手くいっただけ。――でも、ねえ御社くん」

 いよいよ歩き出しながら、肩越しに笑みを見せて神子島は言った。


「あなたがどう思うかは自由だけれど、でもこの体育祭は、誰がどう見てもやっぱりあなたは大いに青春していたと思うわよ。文句の付けようもないくらい、かっこよかったもの」

「違うって。あれは別に青春なんてものじゃ」


 わかったわかった、と神子島は片手を上げて緩く振る。いくら言っても無駄か、と俺も小さく吐息した。

 それから俺も背を向けて、歩き出す。


「じゃ、またね――気が変わるのをのんびり待ってるわ。期待してるわよ、アンチヒーロー」

「俺は絶対に認めないからな、正統派主人公――またな」

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