第20話 それぞれのスタートラインへ

「――あの、御社みやしろくん」

 ん、と振り返ると八瀬さんだった。隣に神子島もいる。


 一年と二年のリレーが終わり、最終レースの三年生。走り終えた二年生たちと入れ替わりで、三年生各組が一斉にトラックに散っていく。所定のスタート位置は、俺が二百メートルで第四コーナー、八瀬さんは百メートルで第三コーナー、神子島が三百メートル、俺と対角線で第二コーナーになっている。バラバラだ。ちなみにこの三人にアンカー堂島を加えて、最後の千メートル走者である。

 ……ちょっと作為的だ。


「どうした?」

「あ、いや、その」


 何度目だ、これ。どうにも最近、八瀬さんの態度がよくわからん……もともと俺と八瀬さんの間にはこれといった接点もなかったはずで、どうしてなにかと声をかけてきたりしているのかも疑問だ。八瀬さんの横に立つ神子島を見るも、こちらもわかっていないようで肩をすくめるのみ。

 さっさとポジションに行かなければならないから、あまり悠長に待ってはいられないのだが……とれた俺が急かす前に、ようやく八瀬さんは口を開いた。


「その、ね。今のうちらのクラス、調子いいじゃん? 結構盛り上がってて、勝てるかもー! って感じになってる」

「まあそうだな」言葉面が感覚的だが、わからなくもない。頷く。

 そうなんだけど、と八瀬さんは俯いた。

「折角、いい感じになってて、イケイケな感じなのに……あたし、それを崩しちゃいそうで、不安なんだ」

「ん、なんで?」


 首を傾げる。今のところ、八瀬さんは別にクラスの流れに逆らったりしていることはない。むしろ向きとしては同方向で、さおを差すことはあっても水を差すことはないはずだ。

 だが、八瀬さんはゆるゆると首を振る。

「その、ね。あたしの走るときのが、さ」

 どうにも歯に挟まった物言いで、俺はやっぱり要領を得ないのだが、神子島にはなにか悟るところがあったらしい。「ああ、成程」とか頷いている。


「なに、どういうこと?」

「八瀬さんの走る、最後の百メートル走者ね。他のクラス、どこも速い人で固めているのよ」

 まあ、最後の千メートルだから当然だけど、と神子島は言う。その説明で、俺もようやく八瀬さんの心配が把握できた。つまり、

「他のみんながどれだけ頑張っても、自分の出番でそれを全部ダメにしてしまうかもしれない、ってこと?」

「ん……うん」

 八瀬さんは顎を引いて頷く。ああ、成程ねえ。それは確かに、不安だわ。


 折角出来上がっているいい雰囲気を、自分の不足で壊したくない――わからなくはない、というか、誰でも抱く不安だろう。英雄に憧れるのと同じくらいに、罪人にはなりたくない。

 それを、どうして俺に言うのかわからんが。


「まあ、出番の当たりは運だからな。神子島だってさっき言ってただろ、女子が男子に混ざって走らなきゃいけないときもあるし、周りが全部速い奴だってこともあるだろ」

「私は別に、八瀬さんを指していたわけではないのだけれどね」

「とにかく、そういうことだ。自分のできる精いっぱいで頑張る。前の奴に置いて行かれないように必死で追い縋る。んで、諦めないでバトンを繋ぐ」


 言いながらも、多分、八瀬さんが欲しいのはこういう励ましじゃないんだろうなあ、と思う。理屈としてはわかっているだろう。やらなきゃいけないこと、必要なことは。ただ、頭でわかっていても不安は拭えない。それとこれとは別なのだ。

 かといって、ならば俺になんと言えと。

 助けを求めるように神子島を見るが、また軽く肩をすくめるだけだった。助けてくれる気は毛頭ないらしい。おまけに腕を組んで、値踏みするような目すら向けてきた。おい。


「……あー、その、なんだ。八瀬さんの次に走るの、俺なんだけどさ」

 バリバリと頭を掻いて、俺は言う。ん、と視線を上げた八瀬さんに、努めて軽い調子で、


「別に最下位で入って来ても、いいぞ」

「――え」


 想像だにしていなかっただろう俺の言いに、八瀬さんは目を丸くする。神子島は眉ひとつ動かさないが。

 あのな、と続ける。


「必要なのは、バトンを繋ぐことだ。責任とか、クラスの雰囲気とか、なんにも考えなくていいから。最下位になっちゃっても、諦めないで、最後まで走って、俺にバトンを渡してくれ。それだけでいい。俺も同じように諦めないで、必死で走る。そうすれば――あとは速い連中がなんとかしてくれる」


 なにせ俺の後のふたりは歴代最速のふたりだからな。頼もしいったらありゃしない。

 俺たちがするのは、このふたりにバトンを繋ぐことだけだ。

 ……どうだ?

 俺の言葉に、どれほどの力があったのかはわからない……けれど、


「――うん」


 八瀬さんは、確かに顔を明るくした。

 わかった、と笑顔になる。こうして見る分には、もう不安は見当たらない。


「最後の最後に全力の他力本願ね……そんな覚悟で大丈夫なの?」

「大丈夫だ、問題ない」

「頼もしさもないわよね」

 かっこ悪いわ、と神子島が半目で呟く。やかましい、頼りにされてることを誇りに思えよ、最速カップル。


 それに、初めから責任は自分で取るつもりだったんだろう、お前。

 なんとかする。

 そう言ったんだから。

 ならば俺たちは、主人公たちのための舞台を彩るまでだ。

 せいぜい愉快に躍らせてもらおう。


「――行こうか」


 それぞれの始まりへ。

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