第19話 団結する弱者たち
八百メートルのあと、すぐに神子島は(堂島も)百メートルの決勝があった。
「おげぇろろろろろ」ビチャビチャビチャビチャ「こぇ……ごぼっぉろろろろろ」ビチャビチャビチャビチャ。
で、ふたりして
「うぅ……ぅぶっごぺろろろろろ」ビチャビチャバチャビチャ「えっぷ、おぼろろろろ」ビチャバチャビチャビチャ。
で、なんでも、ふたりそろって歴代新記録樹立だそうだ。これで一年、二年、三年それぞれでの歴代最高記録は全てふたりが制覇したというわけだ。恐らく、再び全国クラスの猛者が入ってこない限りまず破られまい。まして県内トップクラスの学力のうちの高校だから、そいつは文武両道でなくてはならない。これは向こう十年は
「うげぇぇぇぇ」
らしい、とか伝聞調なのは、残念ながら俺は観戦できなかったからだ。いやあ、本当に残念だ。一度スタンドに戻ったはいいものの、すぐに
俺がトイレから青い顔のままスタンドへ戻ると、既に神子島と堂島も戻っていた。
「あら、どうしたの御社くん。顔色が悪いけれど」
「いや、ちょっとな……」
はは、と力なく笑う。百メートルの決勝が終わった後は、残すところはクラス対抗リレーだけだ。そしてその直前に、クラスごとの得点の一次集計が行われる。それがひと段落するまでは待機なのだ。
俺の戻る頃にはクラスは神子島と堂島の快挙に沸いていて、その前にあった千五百や八百については既に誰の意中にもないようだった。
「…………」
ま、どーでもいいんですけどね。
ふんだ、と
「……ん」
振り返ると、俺に声をかけてきたのは八瀬さんだ。
勢いよく声をかけておきながら、俺が振り返ると、えっと、と前髪をちょっといじって、それから意を決したように、
「千五百、観てたよ! 一位、凄かった! かっこよかった!」
なにもそんなに大声で言わなくても聞こえてるよ。「ああ、うん、ありがと……」行っちゃった。照れる暇もありゃしない。
……悪い気は、しないけどな。
ともあれ、ようやく俺は安楽の座へ帰還する。二十分近く便器に覆いかぶさっていたお陰で、気持ち悪さはかなり和らいだ。食欲は未だ皆無だが。
と、誰かが興奮を制し、注目を集めるように手を二度叩いた。見るとやはり、神子島だ。
「さて……今本部が集計を行っているところだけれど、私の方でも個人的に得点を集計してみたの」
見てもらえるかしら、と数枚のルーズリーフを配る。受け取ったクラスの面々はそれを
ご丁寧に、三年生全クラスの得点が列記されていた。
……ふむ。
「見てわかると思うけれど、私たち五組は今のところ、三年生総合四位よ」
残り一種目にして、まだ表彰台に届いていない。だがわずかに起こるざわめきを制するように、神子島は続けて言う。
でも、と。
「次、最後のクラス対抗リレー。これで四位以内に入れば、逆転して三位になれるわ」
リレーで四位以内。これは、地味に高いハードルだ。確かに現在得点を見るに、そしてリレーにおける得点配分を思うに、リレー四位で総合三位確定だ。二位と三位は得点が結構な僅差だから、なんならさらに上位に食い込むこともできなくはなさそうだが……。
いやあ、という声が聞こえる。でもなあ、と。
「もう、いいんじゃね?」
誰かが言った。そうだな、と頷きも続く。
「俺ら、結構頑張ったし。なあ」
「そうだよね。最下位クラスが四位だもん。表彰台は無理でも、大健闘でしょ」
「そうそう」
空気が、
現状への満足。戦闘意欲の喪失。大詰めを残して、この状況はよくない。よくないが、
「…………」
神子島は、わずかに眉根を寄せるも、なにも言わない。そう、この段階まで来ると、神子島ではダメなのだ。いくら弁が立っても、既に神子島は影響力を使い切っている。さらに焚き付けるには、神子島ではダメだ。
しかし、それなら、誰が。
俺は当然、ダメだ。俺に求心力なんて皆無だし、そもそも誰も俺の話なんか聞くまい。
八瀬さんを見る。下唇を噛んでいるその表情を見て、密かに安心している自分に気付いた。
まだ、諦めていない。もっと勝ちたい。
そう願うのなら。
……俺が声を上げて、届くだろうか――
「あの」「もうちょっと頑張ろうよ、みんな」
口を開きかけた俺と同時に声を発したのは――堂島だった。
一斉にばっと注目が集まる。堂島は、歴代最速の男はちょっときまり悪そうな顔ながら、
「ここまで、頑張ってこれたんだからさ……もうちょっと、頑張ってみようよ。やる気なかった俺が言うのもなんだけど……でもここまで来れたんなら、もうちょっと頑張りたい」
どうかな、と面々を見回す。カリスマの言葉だ。思えば長いこと静かだったが、その発言力は揺るぎない。エースの言葉に、満足ムードだったクラスメートたちは再び戦意を取り戻していく。
そうだな。それもそうだ。堂島が言うんだから。
そうやって、目に力が戻っていく。
「……はン」
さっすが、主人公。
今は素直に賞賛しよう。
ちらっと、堂島がこちらを見た。なんだかもの凄く悔しそうな目だ。な、なんだよ。振り絞った勇気の出鼻を挫かれて所在無いのはこっちだぞ。戸惑う俺は無視して、堂島は顔を戻す。
「そうと決まれば、ちゃんと戦おう――勝算はあるんだよね、
堂島の視線を受けて、ええ、と神子島は頷いた。大会のプログラム、事前に提出しているクラス対抗リレーのオーダーを示す。
「まず、ルールを確認するわ。クラス対抗リレーは変則的な、スウェーデン式よ」
スウェーデン式リレー。あまり耳馴染みはない方式だが、要するに千メートルリレーだ。ただし、走行距離がやや違う。
百、二百、三百、四百の計千メートルをリレーする。
「みんなひとりひとりが全力で走るのは勿論だけれど、なにせ男女混合で人数が多い。中には女子が男子に混ざって走らなければならないパートもあるわ――けれど、あまり深く考えなくていい」
いい? と神子島は言う。
「一位からどれだけ差をつけられようと、気にしないで。みんなはそれぞれ、目の前を走るひとりを抜けばいいの。抜けなくても、張り付いていればいい。そうやって追い
「なんとかって……」
女子のひとりが、不安げに言う。
「本当に、それでなんとかなるの?」
「なる。具体的なことを言えば、三位との距離を二百メートルまでに抑えられれば――なんとかする」
勝てる、と神子島は断言した。
その
ただの確信だ。
「難しいことは考えなくていい。置いていかれず、追い縋って、次の仲間にバトンを繋ぐ。焦ることも慌てる必要もないわ。みんなでみんなを信じましょう――信じて、勝って、表彰台に上って」
にやっと神子島は笑う。
「一泡吹かせてやりましょう」
滅多に見せない神子島の笑みは、効果抜群だった。男子は勿論、女子も否応なく
誰、と見ると、八瀬さんだった。
「一緒に」
「……おう」
恐る恐る、円陣に混ざり、中心に向けて拳を突き出す。それを待って、堂島がよしと発した。
文言は、いつかと同じ。
「――勝って笑うぞ!」
そして誰ともなくお互いに顔を見合わせて、頷く。
さあ、これがラストゲームだ。不承不承とはいえ、団結の儀に参加してしまったのでは仕方がない。ああ仕方がない。俺ももうグダグダとは言わない――いいとも。
勝って笑うぞ。
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