第15話 いつもの

 競技を終えたその足で、なんとなく競技場正面入口の方へ回る。そこにはやはり、人が群がっていた。彼らが見ているのは、壁に立てかけられているボードだ。

 横一メートル、縦二メートルほどの赤と青の二枚の板。それぞれ女子と男子で、表面に張られているのは既に終了した種目の記録表だ。

 そこに、神子島と八瀬さんもいた。


「御社くん。お疲れさま」

「あ、お疲れー」


 歩いてくる俺に気が付いて、神子島はいつもの冷面れいめんで、八瀬さんは朗らかに手を振ってくる。

「ああ、お疲れさん……八瀬さん、観てたけど凄かったな。三位だっただろ」

「うん、そうなの! 自分でもびっくりしちゃって……まだ興奮してて!」

 確かに言う通り、まだ頬が紅潮している。隣の神子島がややうんざりした顔になっているところを見ると、ずっとこのテンションに付き合わされていたのだろうか。


「神子島は、昼休みのあとの千五百が終わったら、八百だよな。それに、そのすぐあとに百メートルの決勝か。忙しいなあ」

「ええ、まあね。でもいつもは百と二百で、間隔なんてほとんどないから、むしろ待ちが長すぎるくらいよ」

 淡々と答える神子島。そっか、頑張れよ、と言って俺はさりげなく立ち去ろうと「ちょっと」すぐさま神子島に掴まれた。


「な、なんでしょうカ? ミヤシロに落ち度でモ?」

「どうして挙動不審になるのかしら……あなたも、昼休み直後に千五百でしょ。食べ過ぎないようにね。――それから」

「それから?」

「砲丸投げ、どうだったの?」


 えっと、と俺は口ごもる。ひとりだけ要領を得ていない、そもそもどうやら俺が砲丸投げに出ていたことすら知らないらしい八瀬さんが「え? 砲丸投げ?」と首を傾げているが、ともかく。


「……あー、っと」

「はい?」

「優勝、だ。一位」


 ぼそぼそという俺の答えに、一瞬の空白があった。

 それから「ええええええ!?」と八瀬さんが叫び、神子島はふんと鼻を鳴らす。

「ゆ、優勝!? 一位!? 凄い凄い!」

「当たり前とはいえ、まあ大したものね。褒めてあげるわ。あなたも誇りなさい。どうしてそんな、申し訳なさそうなのよ」

 どうして神子島は上から口調なのか……俺の態度は、そっとしておいてくれ。

 慣れてないんだよ。中学の頃だって、地区大会じゃ万年二番手だったし。

 ただ、さすがに心得のあるものとないものの違いか……差は歴然だった。


「それで、記録は?」

「俺は、九メートル半」まあ、中学の頃とほとんど変わらない。ある意味で健闘だが。

「ふうん。で、他は?」

「……二位で五メートルだ」


 結局グラインドまで取り戻すことはできなかったら立ち投げにしたのだが、それでもこの差だった。

 正直に言わせてもらえば、一投目を終えて振り返ったときの巨漢どもの唖然とした表情には、成程これが出し抜く感覚なのかと悪い気分はしなかったのだけれど、こうまで明らかに差がついてしまうと、自分だけズルでもしてしまったかのような感じがして申し訳ない気持ちになる。


「情けないわねえ……情けないというか、小心ね。勝ったときに喜ばないでいつ喜ぶのよ」

「いや記録だって大したことないから、誇るに誇れないというか」

「それ、二位以下の巨漢たちに言って来たら?」

「絞め殺されるわ」


 呆れた風に言う神子島と軽口を叩き合っていると、ふと八瀬さんが静かなことに気付いた。どうしたんだと神子島とふたりで見ると、八瀬さんは俺たちをじんわりとした笑みで眺めながら、

「ふたりとも、凄く仲良いんだねえ」

 はい? 「「いや、そんなことは」」ハモった。「「……別に」」また被った。

 く、と歯噛みして俺と神子島は睨み合う。次こそは出し抜いてやろうと注意深く、

「……真似しないでもらえる?」

「それはこっちの台詞だ」

「ほんとに、仲良いよ。ふたりとも」

 違うって、と見ると、八瀬さんはなんだか羨ましそうな顔をしていた。

「いいなあ」

 ……八瀬さんだって、神子島と仲良いだろうが。

「あら、私は御社くん以外に悪口を言ったりはしないわよ」

「そんな特別は嫌だ……」悪口を言うことが仲の良い証なのか? 八瀬さんはそれが羨ましいの? 神子島に罵ってもらいたいの? 業界ではご褒美なの?


「とにかく、俺は次は千五百だ」時計を見る。もう少しで昼になる。「昼休み込みで、あと一時間くらいか。のんびりウォーミングアップしてくるよ」

「ええ、行ってらっしゃい」

「頑張ってねー」

 おう、と手を振り返す。うむ、と神子島は重々しく頷いて、

「三位以内に入らなかったら、明日からあなたのことをはるかちゃんと呼ぶわ」

「あ、それいいねえ!」

 全然よくねえ! これじゃあ絶対に負けられないな!

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