第2話 日陰者によくある話
風邪をひいて休んでいる間に勝手に役員に任命されていることがある。
「……うえぇ」
今の俺がまさしくそれだった。
しかも、誰にもそれを教えてはもらえない。
クラスに親しい奴がいないことによる大きな
つまり、“今の俺がまさしくそれだった”。
しかしこの場合は決して、俺が
現在、時刻は五限目の頃合い。
隣のクラスは、いや学校全体が五限目の授業を展開している。
その中にあって、俺のクラスには俺以外に誰もいなかった。
学級閉鎖か、ボイコット、ドッキリ、集団消失事件、いやどれでもないだろうけれど。こういう状況は別に初めてでもないから、大方の予想はつく。
移動教室、だ。
鞄やらなにやらが全て机にあることから、それを想像するに難くない――のだが、しかしどこに移動したのかがわからない。授業時間割を見ても、この時間にこの五組のクラスメート一同が受けているべきは古文になっている。教室を移動する要素がどこにもない。だから考えるとするのなら、多少時間割が前後して別の授業と入れ替わりになった、今日で言うなら二限に入っている体育と入れ替わった、とするのが妥当だが、しかし確証があるわけでもない。これで体育館を覗いて全然違ったら
そういうわけで、俺はこのままここに居座ることに決めた。
全く、季節の変わり目には毎年風邪をこじらせてしまうのだが、そのたびにこんなことになってしまうのは、いささか
なにか変事があっても、俺なんかのところに連絡網が回ってくることなんてない。連絡網も電話ではなくメールやLINEで済まされてしまう現代だ、俺のメールアドレスを知っているクラスメートなどひとりもいないし、俺はLINEなんて導入していない。
強いて個人的に連絡してくれるような間柄のクラスメートも、いない。
だから、自分で確認しなければならない。
で。
「確認した結果が、これか……」
ため息。
睨むのは教室の掲示板、クラス役員の決定表だ。つらつらと、誰が何委員、ということが記載されている。
その中に、俺の名前があった。役職は、
「体育祭実行委員……」
高校生活は三年目になる俺は、自慢じゃないがこれまでの四期二年間において、なにかしらの役職に就いたことは一度もない。ただの一度もだ。どのクラスでも常に空気として存在感を
休んでいる間に、死人に口なしとばかりに事後承諾で役職を当てられることは確かにあることだ。けれど、教室においてエアーマン(読んで字の如く)を自認する俺だ、そもそもこのクラスに俺の存在を認識している人間が何人いるのかというところから怪しい。誰も着きたがらない空席があるからといって、実在を確認されていない奴を、わざわざ掘り返して役職に就けるか? 現にこうして俺が役職に就いているということは、実際に誰かが俺の名を挙げたということなのだが、俺の名を暗唱できる奴が俺のクラスに果たしていただろうか。一体誰だそいつは。不可解。奇々怪々。
心当たりの全くないわけではないが……ひとり首を
仕事内容はさっぱり思い出せないが、多分名前からして体育祭を実行する委員会だろう。馬鹿みたいな分析だが、それ以外に考えられない。つまりは年に一度しか活動しない委員会だ。うっかり勝手に決められていたにしては、最悪というほどでもない席のようだ。
しかし、と俺は掲示板の隅に掛けてあるカレンダーを見る。
体育祭は五月。つまりは今月の中旬。
「近いな……」
あと二週間じゃないか。
悪くすれば、もう活動が始まっているかもしれない。目立たず、地味でいるためにはあくまでも無難にこなす必要があるわけなのだが、しかし他の委員会と違ってこの体育祭実行委員というのは要員がひとりだけになっていて、誰かに確認を取ることもできない。自分でどうにかしなければならないのだが……さて、どうしたものか。
などと、教室に入ってから鞄も下ろすことなくうんうん唸っているところで、閑散とした廊下の方から誰かの足音が聞こえてきた。早く、軽い。恐らく教師ではないだろう。トイレにでも行っていた生徒か……こっちに近づいてくる。誰もいない教室でぼけっとしている様を見られるのはあまりよろしくないけれど、隠れるのもなんだし、俺はそのまま対策を練る――足音が止まった。
この教室の前だ。
「あれ、来てたんだ……えっと」
教室に入ってきたのは男子だった。えっと、と彼が言い
男子Aは数秒迷っていたが、結局中途半端な愛想笑いを浮かべた。
「次の授業、変更になって化学だよ。教室もあっち。聞いてない?」
聞いてないね。
どうやら男子Aは俺の名前を思い出すのを諦めたようだが、お互い様だ。俺も負けず劣らずの愛想笑いを顔面に張り付けて、是とも否ともつかない反応を返す。
「そっか、ありがとう。すぐ行く……そっちはどうしたんだ?」
「ああ、忘れ物。筆箱忘れちゃって」
はは、と軽く笑う男子Aは、確かに筆箱を忘れたようで、自分の机の上からそれをかっさらって取って返す。それからやや迷うように視線を
「授業、もう始まってるぞ。早く行こうぜ」
悪い奴じゃないな、と俺は内心に思った。いい奴なのかもしれない。人間関係っていうのは、こういうちょっとした気遣いから繋がっていくものだ――それがわかっているから、俺は首を振る。
人間関係を繋げない。
「いや、ちょっとかかるから、先に行っててくれ」
「そっか、わかった。急げよ」
どこかほっとしたような表情で、男子Aは教室を駆け出していく。その駆け足の音を聞きながら、俺は顔面に張り付いていた愛想笑いを消した。
その安堵は、わからないでもない。現に今、俺だって安堵している。
よく知らない奴とサシでいる状況っていうのは、無駄に緊張するからな。
特に俺みたいな、誰とも接点を持とうとせず、常にひっそりとしているような得体の知れない輩が相手ともなると、なおさらだろう。滅多に視界に浮かび上がってこない、言わば背景。
バックグラウンドの個性なんて、いちいち意識したりなんかしないだろう。
相手に、男子Aにそんな印象を持たれているという事実を前にして――俺は、もう一度安堵する。
手応えを、確認する。
自分の築き上げてきた立ち位置を、改めて認識する。
決して表舞台に上がらない、自分の生き方を。
「愛と勇気だけが友達さ、なんて」
さっきまでの愛想笑いとは明らかに違う、感のこもった笑みを浮かべながら、俺はいそいそと化学室に向かう準備をする――しかし化学とはな。今日は化学の授業なんてなかったはずだが、どうやら大きく変わっていたようだ。教科書なんかはロッカーに全部突っ込んであるから問題ないが。
体育館に行かなくてよかった、と教室を出るときにちょっと思った。
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