当たり障りない変化

 リバス城のクエストを達成してから数日経ったが、二人は問題なく活動して共にいくつかのギルドクエストを達成していた。イルバナがあの一件を無かったかのように接するのでムロウが思っていたような酷い事にはならなかった。ただそれでも些細な変化はあったようだ。


 今度は遠征ではないクエストが翌日にあった。夕のうちに二人が必要な荷物を整理したり調整したりと準備をしている。

「こんなものでいいかな」とイルバナが切り上げる。時間も時間でなんだかお腹が空いてきた。


「ムロウ。今日はスープにしようか。いつもの材料と……水も無くなってきたから水も買ってきてくれ」

「うん」

 ムロウはイルバナにしか聞かれない時は素の話し方で接するようになった。


「嫌なら私が行こうか?」

 イルバナはムロウの負担を減らすように心がけるようになった。

「大丈夫だよ。別に……」とムロウがお金を受け取ってカバンを持って家を出た。

 ただしムロウはイルバナの気遣いをほとんど受け付けなかったため二人の生活サイクルはほぼ何も変わっていなかった。


 ただ、リバス城の一件以来キスをすることが無くなった。触れることも減っただろう。しかしそれでも、イルバナはたまに触れる時にムロウから伝わる小さな震えを味わうのが辛くなった。

 イルバナが一番不安なのがムロウにまだ裏切る意思があるという点だ。おそらくムロウはまだ自由になることを諦めてないだろう。

 しかしイルバナは、無一文のムロウが単身で外の世界に行くよりも金を持つ私の奴隷として生きていく方が幸せだと信じているし、幸せにするつもりなので自由にしたくは無い。実際、女の獣人族が1人で生きていくには過酷な世界だった。


 そんな事を考えながらしばらくするとムロウが帰ってきた。「おかえり」と言うと「ただいま」と返ってくる。

「ムロウ、ちょっといい?」

「どうしたの?」とムロウが晩御飯の入ったカバンを机に置いた。


「私のことどう思う? 好きか嫌いか、正直に言って欲しい」

「えっ?」

 ムロウは少し戸惑った後に考え込んだ。

「……人としては好きだよ。だけど私から見たアンタは嫌い、って感じ。首輪外してくれないから」

「そっか」


 イルバナは肯定も否定もせず、ただ微笑みを返した。


 スープを作り終えた二人は机で一緒に食べ始めた。最初は全然料理が出来なかったムロウだったが、イルバナと一緒に作っているうちに最近はじゃがいもの皮むきくらいまで出来るようになった。それでも料理が得意なイルバナの足元にも及ばない。


「ねえ」とムロウが話しかける。

「ん?」

「明日倒しに行くモンスターってどんなやつなの?」

「興味ある?」

 イルバナはどこか嬉しそうに応じる。

「まあ、うん」

「『フィーアバード』って言って、魔力で炎を吐く黒くて大きい鳥のモンスターなんだ。くちばしや骨は自分の熱を耐えるために高温耐性が高くて需要があるんだよ。ちなみに肉は臭みが強くてそんなに美味しくないよ、栄養は良いんだけど。それから、雛は巣立ちに2ヶ月かかるのも特徴だね」

「へ、へえ。よく知ってる……」と若干引き気味に言う。

「まあね。これでも魔法学校でエリートだったんだよ? といっても、私みたいにモンスターの研究してた同級生はいなかったけどね」


 ここで得意げにスープを啜るイルバナ。ムロウも続いて1口飲んだ。


 翌日の朝ぐらいから出発した二人だが、まずフィーアバードが生息する山の麓の森まで着いた頃にはもう太陽は登りきっていた。一旦昼食を摂ってからフィーアバードを探し出して、遭遇した頃には空が若干赤みがかっていた。


「やあぁっっっっっと見つけた!」


 イルバナは嬉しさで思わず声を出した。木の上でびっくりしたフィーアバードは「グァーーーーーイ!」と鳴き声を出して飛び立ってしまう。その様をムロウは無表情で見ていた。

「あっ……」とさっきまでの明るい顔が嘘のように消えて落胆したイルバナ。


「意外とビビりなんだ」

「いや、普通は好戦的なんだけど、雛がいるメスのフィーアバードは警戒心が強くなって戦いたがらないんだ。多分メスだったんだろうね。はあ……ねえ、ちょっと慰めてよぉ」

「はぁ? なにそれ?」

「いいから! ほら!」

「…………元気出して。次も絶対見つかるよ」

「そう? ムロウにそんな事言われたら頑張るしかないなぁ〜」とさっきまでの落胆が嘘のように明るく笑いかけた。

「意味わかんない。早く行こうよ」


 またフィーアバードを探し出した二人。今度はさっきまでの遭遇率とは考えられないほどすぐに発見した。地面で何かモンスターの死骸をついばむフィーアバードだった。二人は木の影でそれを見る。気づかれないようにそっとムロウが話しかけた。


「そういえばフィーアバードって火に強いんでしょ? イルバナの魔法って火属性だけど大丈夫なのか?」

「魔法使いはメインで使う属性で相手しづらい相手が来た時用にサブ属性も身につけておくもんだよ。私の場合は雷」


 するとイルバナがなにか呪文のようなものを空に囁いた。イルバナが向く方向の宙に小さな黄色い光の塊が誕生する。それは次第に大きくなり、イルバナの顔くらいの大きさになった。

 ムロウが耳を立ててみるとバチバチという非常に小さな音が聞こえた。


「これ何……?」

「まあまあ見てなよ」


 その光の塊は急速に移動し、15m先にいたモンスター目掛けて進む。ぶつかる直前で気づいたのかフィーアバードが食事を中断したがもう遅い。光の塊に当たったフィーアバードは麻痺して硬直した。「グァーーーーーーイ!」という鳴き声がこだまする。


「あんな風にダメージは無いけど麻痺させるんだ」


 ムロウにそう言うと、フィーアバードの前に姿を出してもう1回呪文を唱えた。

 すると魔法陣が2つ出現した。1つはイルバナのすぐ前、もう1つはモンスターのすぐ後ろだ。

 呪文の詠唱が終わるとその魔法陣の間を一斉に7つの落雷のような雷が通った。森の中でモンスターの鳴き声よりも響いた音が鳴り終わると、そこには絶命したフィーアバードが残った。


「……やりすぎじゃない?」ムロウが思わず言う。

「念には念をって事でね。もう探したくないし」

「確かに見つけづらかったけど……。そんなにレアなモンスターなの?」

「いやそんな事無いよ、運が悪かっただけで。私もすぐ終わると思ってたんだ。こんなに苦労するなら報酬がちょっと割に合わないなあ」


 イルバナはムロウが持っていたカバンからロープを取り出してモンスターを縛り上げる。今回のクエストはくちばしだけではなく骨も求められているので死骸ごと持って行って任務完了だ。


 モンスターの縛り上げを完了したイルバナが「よいしょっ!」と持ち手を持った。

 なんとイルバナがモンスターを運ぼうとしていた。精一杯持ち上げるイルバナを慌ててムロウが制止する。

「ちょ、ちょっと! 何してんの?」

「え? だってムロウが荷物持ってるからこれは私が持たないと……」

「私なら平気だから。このために私を買ったんだろ?」

「ならいいんだけど……無理しないでよ?」

「だから無理してるのはそっちだって……」


 結局ムロウが全部の荷物を持って2人は帰路に着いた。しかし帰っている時だんだんと疲弊していったのはイルバナの方だった。

 夜になろうとしている道でフラフラながら前を歩くイルバナを、後ろから着いていくムロウは次第に見ていられなくなった。


「イルバナ、ちょっと止まって」

「なに?」


 今までほとんどムロウから何かアクションを起こすことが無かったので、突然のことに戸惑いながらもイルバナが振り返る。

 ムロウはそんなイルバナをお構い無しに抜かして前に出ると膝を折って屈んだ。


「お……おんぶするよ。乗って」

「えっ?嬉しいけど、良いの?」

「遅く歩かれるとこっちが困るし……」


 イルバナは慎重に片手をムロウの肩に触れた。驚くように一瞬肩が浮く感覚がしたが懸念していた震えはほとんど消えていた。もう片方の肩も同じ反応だった。

 イルバナが完全におんぶの体勢にするとムロウは立ち上がる。両手を後ろに回してイルバナの脚を支えながら、両腕の肘と横腹の間で、器用に重い荷物とモンスターの死骸を持っていた。

 筋肉質の背中を前面で感じるイルバナ。それと久しぶりに間近で嗅ぐムロウの髪の匂いが安心感を生み出していた。


 ムロウは全身にかなりの負荷が掛かっているが本人はむしろさっきまでのイルバナより早いペースで歩き出した。


「どういう風の吹き回し?」とイルバナが言う。

「だから、アンタ歩くの遅いんだよ」


 今のムロウはイルバナに対する恐怖心がかなり減っていた様子だ。イルバナの丁寧な気遣いの賜物だった。ムロウの歩みがリズミカルな振動になってイルバナに届く。


「ムロウ、まだ私から自由になりたいって思ってる?」

「そりゃね。自由になりたいし、やらなきゃいけないことがあるから」

「初耳。どんなこと?」

「私みたいに奴隷にされた家族がいるんだ。助けに行かないと」

「……じゃあ、ホントに私はあなたにとっての邪魔者ってわけだ」

「そう。首輪外す気になった?」

「いや、逆に……。だって危ないよ……」

「危ないとかじゃないんだよ。やらないと」

「気持ちは分かるけどさ、今この国じゃ、奴隷のことは複雑なんだよ……。いろいろ……」

「関係あるか」


 そのムロウの言葉を最後に会話が止まった。ムロウが振り返るとどうやらイルバナが眠ってしまったらしいことに気付く。

 ムロウはイルバナがこうして完全に肉体を預けて眠っている姿を見る。さっきの会話にはとても自分への敵意や悪意は感じられなかったし、むしろ自分のことを精一杯考えた発言だと感じる。

 イルバナを起こさないように、ムロウは慎重に歩いた。


 ミラゴラスの街に帰ってきた時には眠る時間の数歩手前だった。まだギルド施設が開いているのが救いだ。

 ムロウはすっかり夜で人が少ない道の端を歩いてギルド施設に着く。その中にも人は少なかった。いくつかあるうちのひとつだけ開いてた受付に行くと、そこにいた少し年を召された受付嬢が話しかけた。


「あっ、イルバナの腰巾着。遅かったね」

「はい。今しがたクエストを達成して帰ってきた所です」

「はいはい。その鳥ね。しかしよくそんな持って帰れたね。特に背中のお荷物とか重かったでしょ? 正直にダイエットしなって言いなよ」

「言っておきます」


 この受付嬢はムロウが奴隷だからこうして接しているわけではなく誰に対してもこうだ。ただ彼女は根っからの仕事人間なので、大体はギルド施設にいるし仕事の出来や意識は高いから今やギルド施設の名物になっている。


「後で処理するからそこに置いといて。その鳥」と受付嬢が指さしたのはギルド施設に置いてあるモンスター用の大きい台だ。ムロウがそこにフィーアバードを置いて受付に戻ってきた。

 そして受付嬢がクエスト達成証の正式書類と報酬の金が入ったジャラジャラとした袋を渡して、それを受け取ったムロウはここでの用事を終えた。


「ありがとうございました」

 ムロウがそう言って振り返ると後ろから受付嬢の声がした。

「あんたたち仲いいねぇ。ひとつアドバイスだけど、あんたの背中のナマケモノには何があってもついて行くんだよ」

「……分かっています。私はイルバナ様の奴隷です」と答えて施設を出ていった。


 その後ろ姿を受付嬢が見送ると、最後の業務だと判断したギルド施設の従業員が扉の鍵を閉めた。

 受付嬢が受付の椅子から立ち上がりながらイルバナとムロウの関係性を考える。

(あの腰巾着分かってないね。立場だとかの話じゃなくて……)


 家に帰ってきたムロウは荷物を下ろす前にイルバナを寝室へと運んでいった。寝室のベッドはだいぶ前に大きいものに買い替えていて二人用のダブルベッドになっている。そのベッドにイルバナを寝かせた。

 そしてリビングに荷物を下ろそうとイルバナから手を離した時、イルバナが寝言をつぶやいた。


「行かないで……」


 その声を聞いたムロウはしばらく呆然と立ち尽くした後に、イルバナのおでこから髪にかけてをそっと撫でた。


「安心してよ。ここにいるから」とボソリと呟いた。

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